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日記(7.15)コラム「米騒動」

2018-07-15 16:00:24 | 日常
7月15日  (日曜日) 酷暑

こう暑いと日中は外に出られない。
何処にもいきたくなくジッとしている。
TVも面白くなく時折PCをのぞいている。

ここ関東は梅雨明けが本来は7月の20日前後のはずが・・・
もう随分と真夏の気温が続いている。
確か6月29日に梅雨明け宣言だった!ので約2週間が過ぎて行った。
雨も適当に降ってくれないと、野菜作りが難しい。
耕運機を掛けたあと地は雑草が伸びやすく大変だ!
毎日涼しいうちに抜いてはいるが、半端な量ではない。
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コラムに

大正時代の「米騒動」は富山県から始まった。
1918(大正7)年7月、魚津港に漁師の妻らが集まり、
輸送船へのコメの積み出し中止を求めたことなどがきっかけで、
暴動を伴う騒動が全国に広がった。


富山での騒動の主役は、米価高騰の窮状を訴える女性たちだった。
 地元紙の「高岡新報」は

「女房連は海岸に集合し其(その)数百七、八十名」「米の廉売を為(な)されたしと哀願し」などと報じている。
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▲ときの寺内正毅内閣の総辞職にまで発展した事件から、
 今年は100年にあたる。魚津市は専用ロゴマークを作り、
 講演会や資料展示などの記念事業に取り組んでいる・

▲市の一連の事業には「暴動の地」という印象を払拭したい思いもこめられている。
 魚津歴史民俗博物館の麻柄(まがら)一志館長(63)によると、
 魚津での抗議行動は非暴力的なものだった。
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 死者まで出た全国各地の騒動と異なり、逮捕者もいなかったという。
 「暴動の震源地だと誤解されがちです」と残念がる。

▲当時は第一次大戦による好景気だったが、庶民には実感が乏しく、
 社会には格差が広がっていた。

 騒動に参加した人たちに聞き取り調査を続けた地元の研究家、紙谷信雄さん(84)は
「家族を守る一心からの行動だったのでしょう」と

 女性たちの心情を思いやる

▲米騒動は普通選挙運動など、大正デモクラシーに大きな影響を与えた。
 折しも今年、国会や地方議会で女性議員を増やすことを目指す法律が成立した。
 女性が政治を動かしてから100年、新たな節目となるだろうか。
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★今年も稲の花が咲くときに酷暑ではコメが白くなったりするので
 農家の方も困るなあ~心配だ。

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