中さん

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日記(6.7)全国犯罪被害者の会(あすの会)

2018-06-07 18:27:02 | 日常
6月7日 (木曜日)  晴れ

先日の防災・運動会の後処理で許可の出ている
補助金分の額の領収書をもって市の危機管理課に提出。
約1ヶ月後に入金されるという。
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家を出たついでに妻沼のコメリにて畑に使う黒マルチのシートを購入。
車内が暑い事!すごい天気になった。
 例年、”梅雨明けの時期に味わう、この感じだ!”

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【産経抄】6月7日コラム・・
 遺影を持って傍聴席に座りたい。
 妻を殺した男の公判を前に、岡村勲弁護士は裁判所に願い出た。
 今から20年前である。



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 岡村さんは経営破綻した山一証券の代理人、
 男は株で損をしたという顧客だった。
 恨みを買い、いわば身代わりで妻は刺された。
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 ▼裁判所の答えは「ノー」。それどころか起訴状などの資料も開示されない。
  公判記録の閲覧すら拒まれ、疎外感だけが募ってゆく。
  かつて日本弁護士連合会副会長を務めた岡村さんは司法のプロだが、
  被害者を蚊帳の外に置く刑事司法制度の理不尽に言葉を失った。

 ▼「犯罪被害者とは、かくも絶望的な存在だったのか」。
  当時の心境が夏樹静子さんのノンフィクション
  『裁判百年史ものがたり』にある。

  被害者の権利を認めさせ、被害回復に向けた制度を作る。
  実現不可能ともいわれた難題を掲げ、同じ境涯の有志と手を結んだ。

 ▼それが平成12年1月に設立された
  「全国犯罪被害者の会(あすの会)」である。

   ●被害者の裁判参加、
   ●凶悪犯罪の公訴時効撤廃、
   ●少年審判の傍聴などをかなえ、
   被害者や家族の屈託をぬぐってきた功績は、読者もご存じだろう。
   遺影の持ち込み許可も実現させている。

 ▼紙面を開く手が悲惨な事件の報に震えぬ日はない。
  14年前に幼いわが子を奪われ「家族の時計はあの日から進んでいない
  つづった母親の手記をきのう目にした。
  犯罪被害者への補償は今も「一時給付」の色が濃く、
  国が完全補償するフランスなどにはほど遠い。

 ▼「あすの会」は一定の成果を残したとして、約18年の活動に幕を下ろした。
  宿題は社会に引き継がれたと考えるべきなのだろう。

  8日は、大阪教育大学付属池田小学校の児童殺傷事件から17年になる。
  傷の癒えぬ人たちを思うことから始めたい。
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★我が身や身内に被害が起こったら、
 当然・・裁判には参加できるであろうと思っていたが・・

 今日もなんとも痛々しいニュースが
 5歳の女の子が必死で親に向けて書いた”ひらがな文字”の中身は
 どんなに頑張ろうとしてか・・良い子になるから・・助けてと叫んでいる。
 胸が痛む!この親たちは人間として壊れてしまっているのであろうか?
 池田小の児童殺傷事件も・・壊れてしまった人間が起こしたとしか思えない。
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日記(6.7)コラム

2018-06-07 09:29:12 | 日常
6月7日  (木曜日)  晴れ

梅雨に入ったが今日は晴れ間が!

それでも湿度は高いなあ~!
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いよいよキュウリが成りはじめたので
次の苗を10本程移植した。
いよいよ大分畑も潤った感じだが草が目立つようにもなあ~
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東京新聞のコラムに
ウナギの事が・・・・
 俳優の高倉健さんはウナギを食べるのが苦手だったそうだ。理由がある。
 小学生の時に肺の病気になり、一年間休学した。
 お母さんは病に伏せる高倉少年に毎日毎日、ウナギを食べさせたそうだ。

▼なんとか滋養をつけさせ、元気にしたい。
 そう願う心はありがたいと思ったそうだが、
 さすがに毎日となると「つらかった」。
 それで苦手になってしまったと書いていらっしゃる。

▼お母上の愛情の深さを思う一方で、ウナギを好物とする人ならば、
 その味がだめとは何ともったいないと考えるか。
 それをはるかに上回るもったいないウナギの話がある。
 環境保護団体グリーンピース・ジャパンによると

 ニホンウナギなどのかば焼きが
 昨年、捨てられた量は、
 なんと二・七トンに及ぶそうだ。

 あくまで確認できた量であり、
 実際はもっと多くのウナギが捨てられているかもしれない。

 ▼絶滅が心配されるニホンウナギである、
  不漁だ、値上がりだと大騒ぎになるわりに、
  その裏側ではさばききれぬまま、
  大量に捨てられているとはもったいないを通り越して
  愚かしい話である。
 
 ▼人の口に入らず、味をほめられることもなく、
  ただ捨てられているとすれば、
  そのウナギは殺され損である。
  絶滅を食い止めるためにも流通、消費の在り方を見直す必要があろう。

 ▼健さんのセリフではないが、
  ただ「死んで貰(もら)います」だけでは、
  ウナギも浮かばれまい。
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