『民主主義とは何か』(宇野重規、講談社現代新書、2020)
978-4065212950
民主主義のことを改めて少し勉強してみたいと読みました。以下、簡単な感想。
・民主主義のコア、ないし要点とは一体何か。学校でも習う言葉なのに。
・本書は、民主主義を「参加と責任のシステム」と位置づけている。
一方、同志社大学での政治学の授業では、(正確な表現は忘れたが)リーダーの「置き換え可能性」と説明していた。
つまり(歴史的に見て)君主政などでは、リーダーは既定だが、民主主義(民主政?)では、そうではないと。
私がその授業を聞いた時は「構成員の参加」がキモではないかと思った(と記憶する)。
本書は(ある意味)風呂敷を広げすぎてはっきりしないと感じなくもないが、「制度」「構成員の意識や態度」など幅広く触れていると思った。
・その同志社での授業からすれば、日本で「民主主義」が始まったのは、現在の憲法施行後となるのではないか。つまり、それまでは、将軍だったり、天皇が置き換えられないリーダーだったので。
本書では、小さなコミュニティで構成員の参加に基づく合議なども取り上げられていた。個人的には、「そこまで広げる? 民主主義的でない制度の中で小さな動きを取り上げる?」と思ったりした。
「参加」に注目すると、それも民主主義の一端となるのかもしれない。けど、その中身がどの程度だったのか、個人的には疑問が残る(つまり、針小棒大というか、○○でも良いことはあった的な)。
・本書の大部分、民主主義に関連する歴史などは、正直難しい。理解したとは思えない。けど、背景の一端に触れられたことや、ルソーの一般意志(だっけ?)などを思い出させてもらえたことは、よかった。
古代ギリシャについても、別の本(塩野七生「ギリシア人の物語」かな)で、陶片追放のことに触れていたので、少し理解できたつもりになるけど。
・結局、定義が難しいから、読後にスッキリ感がないのかもしれない。
時間が取れなければ、冒頭に出てくる3つの観点×2つの意見のところと、それをまとめた最後の部分を読むだけでも、本書の要点はつかめるように思いました。
・ついでながら、共和政って、学校や大学を含め自分の人生で、どんなものか触れた記憶が(恥ずかしながら)ないのですが、少し理解できた…と思う。
978-4065212950
民主主義のことを改めて少し勉強してみたいと読みました。以下、簡単な感想。
・民主主義のコア、ないし要点とは一体何か。学校でも習う言葉なのに。
・本書は、民主主義を「参加と責任のシステム」と位置づけている。
一方、同志社大学での政治学の授業では、(正確な表現は忘れたが)リーダーの「置き換え可能性」と説明していた。
つまり(歴史的に見て)君主政などでは、リーダーは既定だが、民主主義(民主政?)では、そうではないと。
私がその授業を聞いた時は「構成員の参加」がキモではないかと思った(と記憶する)。
本書は(ある意味)風呂敷を広げすぎてはっきりしないと感じなくもないが、「制度」「構成員の意識や態度」など幅広く触れていると思った。
・その同志社での授業からすれば、日本で「民主主義」が始まったのは、現在の憲法施行後となるのではないか。つまり、それまでは、将軍だったり、天皇が置き換えられないリーダーだったので。
本書では、小さなコミュニティで構成員の参加に基づく合議なども取り上げられていた。個人的には、「そこまで広げる? 民主主義的でない制度の中で小さな動きを取り上げる?」と思ったりした。
「参加」に注目すると、それも民主主義の一端となるのかもしれない。けど、その中身がどの程度だったのか、個人的には疑問が残る(つまり、針小棒大というか、○○でも良いことはあった的な)。
・本書の大部分、民主主義に関連する歴史などは、正直難しい。理解したとは思えない。けど、背景の一端に触れられたことや、ルソーの一般意志(だっけ?)などを思い出させてもらえたことは、よかった。
古代ギリシャについても、別の本(塩野七生「ギリシア人の物語」かな)で、陶片追放のことに触れていたので、少し理解できたつもりになるけど。
・結局、定義が難しいから、読後にスッキリ感がないのかもしれない。
時間が取れなければ、冒頭に出てくる3つの観点×2つの意見のところと、それをまとめた最後の部分を読むだけでも、本書の要点はつかめるように思いました。
・ついでながら、共和政って、学校や大学を含め自分の人生で、どんなものか触れた記憶が(恥ずかしながら)ないのですが、少し理解できた…と思う。
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