システム担当ライブラリアンの日記

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『大学は何処へ』(吉見俊哉著, 岩波新書, 2021)

2022-01-11 21:36:28 | 本の紹介
『大学は何処へ』(吉見俊哉著, 岩波新書, 2021)
978ー4004318743

高等教育の歴史って、なかなか知らないなぁと再認識。
どこまでが「フツーに知っておくべき範囲」かというのはあるにせよ。

●第1章から痛快。
戦中期に大学の(理工医の)大増強があった。戦争で衰退した高等教育でなく、戦争(社会的ニーズ)で拡大したと。

青学まで(文系廃止に抗して)工業専門学校を設置している。
https://www.aoyamagakuin.jp/history/
立命も(工学?)専門学部を専門学校に改組してる。
http://www.ritsumei.ac.jp/profile/about/history/chronology/

●第2章(p.83)に「戦前の旧制高校一覧」として、それぞれの旧制高校がどの大学に吸収されたり、母体になったかが表にまとめられている。
事情や背景も記述されている。
この辺りの基本的な事実について、私はあまり知らない…。

●第5章(p.207~)に、高専(高等専門学校)が、確か専門教育とリベラルアーツ教育の観点で、なかなか良い事例だと書かれていたように思います。

それはそれでなるほどと思いますが、吉見氏も書かれているような、専門教育とリベラルアーツ教育のバランスについては、違和感があるのですね。
吉見氏は、概ね国立大学の事例で、「教養と専門課程」みたいに書かれていると思います(その問題点についても)。

ところが、1990年前後の立命館大学なら、「くさび型カリキュラム」みたいな言い方で、1回生の時から基礎的な専門科目はありましたし、3回生まで一般教養科目を履修する形になっていました。

一般教養科目も、人文社会・社会科学・自然科学の3分野から最低何単位と決まっていました。内容も、いくつかの科目の内容は今でも覚えていますし、基礎的なこととして有用だと思っています。
どこまで網羅的だったかという点はあるかもしれませんし、数学とか統計学のイロハはなかったなぁと。

なので、学部が中心になってしまった国立大学の背景はあるにせよ、なに言ってるんだろうなぁとは前から思ってました。

(数年前、東京の某有名国立大学に進学した親戚が「社会学」を履修していると言うので、内容を聞いてみたら、登校拒否・不登校のこととか。社会学の基礎理論は押さえていたんですかね。「個人と集団」とか、デュルケームとかウェーバーとか、あと誰だっけ…、規範のこととか。)

●第5章(p.200)に「そもそも大学に求められるのは(中略)人生における様々なキャリアや認識地平の転轍機としての役割である」と。
私も、昨年度、大学院の博士前期(修士)を修了しました。認識は広がったと思いますが、キャリアの方はどうだろう・・・

この辺りは、吉見氏の以前からの主張だが、なかなか実態が追いつかないか。

ちなみに(前にも書いたかもしれませんが)、吉見先生には、私が立命館の学部1回生の時、直接お会いしています。所属していた歴史系のサークルで学祭イベントとして、学生による発表と講演会を実施した際に、講師としてきていただきました。
この学生発表は、内容はメンバーで決めるのですが、登壇は1回生がするという慣習で、私が登壇しました。
(何年か前に吉見先生にお目にかかった時に聞いてみましたが、さすがに覚えておられませんでしたが)
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