
「量子現象の数理:新井朝雄」第2章
(全体の章立ては記事のいちばん下を参照。全体の詳細な目次はこのページを参照。)
第2章:物理量の自己共役性
- はじめに
- 小さい摂動
- 加藤-レーリッヒの定理の応用 - シュレーディンガー型作用素の自己共役性、原子と物質の弱安定性
- 必ずしも小さくない摂動
- 混合型ポテンシャルをもつ場合
- 交換子定理
- 解析ベクトル定理
- 準双線形形式と自己共役作用素
- 形式による摂動 - KLMN定理
- ディラック型作用素の本質的自己共役性
付録B:作用素の和が閉であるための条件
付録C:閉対称作用素の基本的性質
付録D:閉対称作用素が自己共役拡大をもつ条件
ノート
演習問題
関連図書
章のタイトルで示されているとおり第2章のテーマは「物理量の自己共役性」である。この世界の物質に位置 x や運動量 p 、エネルギー(ハミルトニアン H)などがどのように存在できているのかという本質的なからくりを説明している。
量子力学のコンテキストで作用素(演算子)であらわされるものが物理量になるためには、それが自己共役であることが必要だ。これは量子力学の公理のひとつである。物理量の(本質的)自己共役性が証明されなければ、スペクトル定理を適用するわけにはいかないので、普遍的な形での確率解釈ができないからである。第2章では量子力学で代表的ないくつかのケースにおいて、作用素の自己共役性を数学的に「証明」している。
量子的粒子の運動量作用素や自由ハミルトニアン、自由なスカラー量子場のハミルトニアンが自己共役作用素として実現されることは既に「量子力学の数学的構造 II:新井朝雄、江沢洋」で証明されている。第2章では、他の諸々の物理量の自己共役性を証明するための判定条件を定式化しているのだ。
そのための基本的な考え方は量子力学の摂動理論に基づく。摂動とは時間がわずかだけ経ったとき、状態がどのように変化するかという「ずれ」を求める手法だ。つまり量子系ハミルトニアンを H = H0 + H1 のように無摂動部分 H0 と摂動部分 H1 に分ける。H0の部分は自己共役作用素であることがわかっているので、H1やHの部分の自己共役性を証明していく。平たく言えば、はじめの状態で物理量が存在できていることがわかっているから、時間の流れに従って変化していく部分も含めて物理量が存在し続けられるのだということを確認するやり方だ。
)
のような時間発展するシュレーディンガー型作用素Hも、この考え方で自己共役性を確認することができるのだ。その際に(そして第2章全体を通じて)要となるのが「加藤-レーリッヒの定理」である。この定理はウィキペディアにも記事が見当たらないので書いておこう。
加藤-レーリッヒの定理:Aをヒルベルト空間H上の自己共役作用素、BをH上の対称作用素とする。BはA-有界でそのA-限界aとして a<1 なるものがとれると仮定する。このとき次の(i)~(iii)が成り立つ。
(i) Aは自己共役である。
(ii) A+BはAの任意の芯上で本質的に自己共役である。
(iii) Aが下に有界で A≧γ>-∞(γ:実定数)ならば、A+Bも下に有界であり、
A+B ≧ γ - max1{b/(1-a), a|γ|+b}
ただし、0≦a<1、0≦b である。
この定理の証明からはじまり、以下のキーワードで示される説明が続く。難易度は高く全体としての理解度は60%止まり。ただ、何のために定理や証明がなされているのかがはっきりわかるので、興味は損なうことなく読むことができた。
自己共役性の問題、原子の安定性、ハミルトニアンの摂動、相対的有界、無限小
Kato-Rellichの定理、伸張変換(スケール変換)、伸張不変、並進(平行移動)、並進共変性
水素様原子、多体問題、多電子系、電磁場中を運動する荷電粒子、磁場
多項式型ポテンシャル、Katoの不等式
混合型ポテンシャル、交換子定理、Faris-Lavineの定理、Stark効果、Stark Hamiltonian
解析ベクトル、Nussbaumの定理、Nelsonの解析ベクトル定理
作用素に同伴する準双線型形式、Von Neumannの定理、形式芯、準双線型形式の閉、準双線型形式に同伴する内積空間
Friedrichs拡大、形式和、形式の意味での相対的有界、形式の意味での無限小、KLMN(Kato Lions Lax Milgram Nelson)定理
Loentz変換、四元ポテンシャル、Clifford代数、Pauli行列、反交換関係、自由なDirac作用素、局所的特異性の無いポテンシャル、不確定性原理の補題(Hardyの不等式)、局所的特異性の有るポテンシャル
シュレーディンガー型のハミルトニアン作用素や電磁場中を運動する荷電粒子のハミルトニアン作用素の自己共役性が証明されてしまうのを見るのも興味深いが、何より面白かったのは、2体系の作用素の自己共役性から水素原子の弱安定性を導いている部分。(プラスの電気を帯びている原子核とマイナスの電気を帯びている電子からなる水素原子は2体系である。)
そして非相対論的理論(シュレディンガー型のハミルトニアン作用素
)では本質的自己共役性に制限がつかなかったのに、特殊相対論的な理論(ディラック型のハミルトニアン作用素
)では、まず原子番号が68より小さいときに限って本質的に自己共役、すなわち原子(のハミルトニアン=エネルギー)が弱安定であることが示される。そして(本章では証明が省略されているが)原子番号が118より大きいと本質的自己共役性が証明できなくなってしまう。つまり弱安定性が証明できないのである。
このように(地球上には存在しないが)発見されている原子の最大原子番号と近い値が得られるのだ。(参照:原子番号一覧)電気素量の値は使うものの、数学だけでこんなことまで導けてしまうということと、原子の安定性に特殊相対論が直接関与していることに感動した。原子番号が何番以上になると原子が不安定になるかを導くのに使われるのが「ハーディの不等式」である。量子力学のコンテキストではこの不等式のことを「不確定性原理の補題」と呼んでいるそうだ。
ちなみに原子番号118番は「ウンウンオクチウム(Uuo)」という面白い名前の超重元素なのだそう。こういう記事も見つけた。
原子番号118番は未確認だった - スラッシュドット・ジャパン
http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=02/07/16/118208
ウンウンオクチウム - ChemicalWiki
http://ihc_wiki.mydisk.jp/index.php?%A5%A6%A5%F3%A5%A6%A5%F3%A5%AA%A5%AF%A5%C1%A5%A6%A5%E0
難しくて第2章をすべて理解するのはとても無理だったが、第1章より読後の満足感があった。
そのまま第3章に進むと息切れしそうなので、軽めの本を1冊はさんでからにしよう。
「量子力学の数学的構造 I:新井朝雄、江沢洋」
「量子力学の数学的構造 II:新井朝雄、江沢洋」
「量子現象の数理:新井朝雄」

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ヒルベルト空間論:保江邦夫
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https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/196b59dc50fca361ba523036e7eeb908
量子力学の数学的構造 II:新井朝雄、江沢洋
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a4ef01e94a8c0384cec353ebe4d542e4
「量子現象の数理:新井朝雄」
章立て
第1章:物理量の共立性に関わる数理
第2章:物理量の自己共役性
第3章:正準交換関係の表現と物理
第4章:量子力学における対称性
第5章:物理量の摂動と固有値の安定性
第6章:物理量のスペクトル
第7章:散乱理論
第8章:虚数時間と汎関数積分の方法
第9章:超対称的量子力学
(全体の章立ては記事のいちばん下を参照。全体の詳細な目次はこのページを参照。)
第2章:物理量の自己共役性
- はじめに
- 小さい摂動
- 加藤-レーリッヒの定理の応用 - シュレーディンガー型作用素の自己共役性、原子と物質の弱安定性
- 必ずしも小さくない摂動
- 混合型ポテンシャルをもつ場合
- 交換子定理
- 解析ベクトル定理
- 準双線形形式と自己共役作用素
- 形式による摂動 - KLMN定理
- ディラック型作用素の本質的自己共役性
付録B:作用素の和が閉であるための条件
付録C:閉対称作用素の基本的性質
付録D:閉対称作用素が自己共役拡大をもつ条件
ノート
演習問題
関連図書
章のタイトルで示されているとおり第2章のテーマは「物理量の自己共役性」である。この世界の物質に位置 x や運動量 p 、エネルギー(ハミルトニアン H)などがどのように存在できているのかという本質的なからくりを説明している。
量子力学のコンテキストで作用素(演算子)であらわされるものが物理量になるためには、それが自己共役であることが必要だ。これは量子力学の公理のひとつである。物理量の(本質的)自己共役性が証明されなければ、スペクトル定理を適用するわけにはいかないので、普遍的な形での確率解釈ができないからである。第2章では量子力学で代表的ないくつかのケースにおいて、作用素の自己共役性を数学的に「証明」している。
量子的粒子の運動量作用素や自由ハミルトニアン、自由なスカラー量子場のハミルトニアンが自己共役作用素として実現されることは既に「量子力学の数学的構造 II:新井朝雄、江沢洋」で証明されている。第2章では、他の諸々の物理量の自己共役性を証明するための判定条件を定式化しているのだ。
そのための基本的な考え方は量子力学の摂動理論に基づく。摂動とは時間がわずかだけ経ったとき、状態がどのように変化するかという「ずれ」を求める手法だ。つまり量子系ハミルトニアンを H = H0 + H1 のように無摂動部分 H0 と摂動部分 H1 に分ける。H0の部分は自己共役作用素であることがわかっているので、H1やHの部分の自己共役性を証明していく。平たく言えば、はじめの状態で物理量が存在できていることがわかっているから、時間の流れに従って変化していく部分も含めて物理量が存在し続けられるのだということを確認するやり方だ。
のような時間発展するシュレーディンガー型作用素Hも、この考え方で自己共役性を確認することができるのだ。その際に(そして第2章全体を通じて)要となるのが「加藤-レーリッヒの定理」である。この定理はウィキペディアにも記事が見当たらないので書いておこう。
加藤-レーリッヒの定理:Aをヒルベルト空間H上の自己共役作用素、BをH上の対称作用素とする。BはA-有界でそのA-限界aとして a<1 なるものがとれると仮定する。このとき次の(i)~(iii)が成り立つ。
(i) Aは自己共役である。
(ii) A+BはAの任意の芯上で本質的に自己共役である。
(iii) Aが下に有界で A≧γ>-∞(γ:実定数)ならば、A+Bも下に有界であり、
A+B ≧ γ - max1{b/(1-a), a|γ|+b}
ただし、0≦a<1、0≦b である。
この定理の証明からはじまり、以下のキーワードで示される説明が続く。難易度は高く全体としての理解度は60%止まり。ただ、何のために定理や証明がなされているのかがはっきりわかるので、興味は損なうことなく読むことができた。
自己共役性の問題、原子の安定性、ハミルトニアンの摂動、相対的有界、無限小
Kato-Rellichの定理、伸張変換(スケール変換)、伸張不変、並進(平行移動)、並進共変性
水素様原子、多体問題、多電子系、電磁場中を運動する荷電粒子、磁場
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混合型ポテンシャル、交換子定理、Faris-Lavineの定理、Stark効果、Stark Hamiltonian
解析ベクトル、Nussbaumの定理、Nelsonの解析ベクトル定理
作用素に同伴する準双線型形式、Von Neumannの定理、形式芯、準双線型形式の閉、準双線型形式に同伴する内積空間
Friedrichs拡大、形式和、形式の意味での相対的有界、形式の意味での無限小、KLMN(Kato Lions Lax Milgram Nelson)定理
Loentz変換、四元ポテンシャル、Clifford代数、Pauli行列、反交換関係、自由なDirac作用素、局所的特異性の無いポテンシャル、不確定性原理の補題(Hardyの不等式)、局所的特異性の有るポテンシャル
シュレーディンガー型のハミルトニアン作用素や電磁場中を運動する荷電粒子のハミルトニアン作用素の自己共役性が証明されてしまうのを見るのも興味深いが、何より面白かったのは、2体系の作用素の自己共役性から水素原子の弱安定性を導いている部分。(プラスの電気を帯びている原子核とマイナスの電気を帯びている電子からなる水素原子は2体系である。)
そして非相対論的理論(シュレディンガー型のハミルトニアン作用素


このように(地球上には存在しないが)発見されている原子の最大原子番号と近い値が得られるのだ。(参照:原子番号一覧)電気素量の値は使うものの、数学だけでこんなことまで導けてしまうということと、原子の安定性に特殊相対論が直接関与していることに感動した。原子番号が何番以上になると原子が不安定になるかを導くのに使われるのが「ハーディの不等式」である。量子力学のコンテキストではこの不等式のことを「不確定性原理の補題」と呼んでいるそうだ。
ちなみに原子番号118番は「ウンウンオクチウム(Uuo)」という面白い名前の超重元素なのだそう。こういう記事も見つけた。
原子番号118番は未確認だった - スラッシュドット・ジャパン
http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=02/07/16/118208
ウンウンオクチウム - ChemicalWiki
http://ihc_wiki.mydisk.jp/index.php?%A5%A6%A5%F3%A5%A6%A5%F3%A5%AA%A5%AF%A5%C1%A5%A6%A5%E0
難しくて第2章をすべて理解するのはとても無理だったが、第1章より読後の満足感があった。
そのまま第3章に進むと息切れしそうなので、軽めの本を1冊はさんでからにしよう。
「量子力学の数学的構造 I:新井朝雄、江沢洋」
「量子力学の数学的構造 II:新井朝雄、江沢洋」
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https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a4ef01e94a8c0384cec353ebe4d542e4
「量子現象の数理:新井朝雄」
章立て
第1章:物理量の共立性に関わる数理
第2章:物理量の自己共役性
第3章:正準交換関係の表現と物理
第4章:量子力学における対称性
第5章:物理量の摂動と固有値の安定性
第6章:物理量のスペクトル
第7章:散乱理論
第8章:虚数時間と汎関数積分の方法
第9章:超対称的量子力学