とね日記

理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。
量子テレポーテーションや超弦理論の理解を目指して勉強を続けています!

ヒルベルト空間と量子力学:新井朝雄

2010年07月06日 19時37分32秒 | 物理学、数学
ヒルベルト空間と量子力学:新井朝雄

このひと月あまり個人的に楽しい出来事が目白押しだったので、物理や数学の勉強、ブログの記事がおろそかになっていた。それでもようやく昨夜「ヒルベルト空間と量子力学:新井朝雄」を読み終えることができた。

年明けから数学の本ばかり読んでいたので、物理学に少しだけ戻ってこれたのがうれしい。この本の最初の3分の2はヒルベルト空間や作用素解析など関数解析という数学が解説され、そして後の3分の1は量子力学という物理学の話である。

量子力学の数学的な定式化、基礎付けという分野で、本書は格好の入門書だと思った。通常、物理学の教科書で量子力学を学ぶと、その原理や基礎であるシュレディンガーの波動方程式ハイゼンベルクの運動方程式複素数であらわされる確率振幅ハイゼンベルクの不確定性原理などは、学生がそれらを理解するために最小限のレベルで紹介されているのだが、その数学的な基礎付けはあいまいなまま残されている。物理学科の学生にとって特になじみにくいのが「作用素」だろう。(作用素は物理学では「演算子」と呼ばれている。)

つまり「観測可能な物理的な量(オブザーバブル)はヒルベルト空間上の自己共役作用素によってあらわされる。」という公理。「作用素」をきちんと理解しておかなければ、この公理は天下り的に鵜呑みにせざるを得ないからだ。

この「観測可能な物理的な量」によって、この世界を構成する物質や現象の実在性があらわされているのだから「自己共役作用素」という数学的な概念とその数学的な意味での実在性(数学理論構築の中でそういう作用素が存在することが証明でき、その性質が明らかになること)はとても重要なのだ。

量子力学を特徴づける本質的な部分は、数学の世界では「ヒルベルト空間」、「自己共役作用素」など関数解析と呼ばれる分野で厳密な証明が行われる。そして関数解析の基礎付けは「ルベーグ積分」や「測度論」、そしてそのベースは「位相空間論」、「集合論」などの数学が基礎となっている。年明けから続けてきた僕の数学の勉強は、ここにきて物理学と密接な関連をいったん示すことができたわけだ。

本書について、僕自身の理解度は数学の部分で90%、量子力学の部分で85%くらいだった。ヒルベルト空間論を含む関数解析は前もって他の教科書で学んでいたから自分としては満足のいく理解が得られていたが、もしこの本をいきなり読んでいたとしたら数学の部分の理解度は60%程度にとどまっていたと思う。数学的な意味での実在性と物理学的な意味での実在性の関係が明快に示された名著だと思った。

誤解のないように言い添えておくが、数学という架空の論理的構築物によって現実世界の物理的な実在性を証明できるわけではない。数学によって明らかにされるのは表層として私たちの目にうつる物理現象や物理法則の間の関連の仕方の整合性を証明しているにすぎないのだ。

この本を読めば数学が物理学にとって単なる「道具」ではないことがよくわかる。たとえて言えば私たちが見ることのできるビルの壁面が物理的な観測対象であり、その内部の骨組みにあたるのが数学が果たしている役割である。けれども数学による説得力を過信してはならない。というのも数学によって裏打ちされる物理法則の間の整合性を美しくかつ不思議な偶然ととらえるか、あるいは神の摂理による必然ととらえるかは人間の感性の範疇のことであり、ここに科学と宗教あるいは科学と哲学の境界があるのだと思うからだ。

読後の感想としては、後半の量子力学系の解説にもう少しページを割いてほしかった。しかしこの部分については新井先生の他の(より進んだ)教科書でカバーできるので「量子力学に対する数理物理の入門書」という視点にたてば、このくらいに抑えておいたほうが筋書きがすっきりわかっていいのだろうと納得できた。

新井先生のより高度なレベルの本に進む前に、いったん初心にかえって量子力学の入門的な教科書を3種類読み比べてみることにした。さしあたり、小出昭一郎先生猪木慶治&川合光先生という代表的な2種類、そして人気度は若干劣るが新しいものとして江沢洋先生のを読んでみようかとも思っている。(ちなみに、理解度はそれぞれ異なっているものの朝永先生ファインマンJ.J.サクライディラックの量子力学はひととおり読んでいる。)

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2015年3月18日に追記:

本書の改訂増補版が2014年7月に刊行されていることに気がついた。こちらをお買い求めいただきたい。

ヒルベルト空間と量子力学 改訂増補版:新井朝雄


内容紹介:
ヒルベルト空間と線形作用素の理論の基本的なアイデアと結果を系統的に叙述し,ヒルベルト空間の形式を用いて量子力学の数学的基礎を解説。
改訂増補版である本著は,関数解析への接続を意識し,新たにバナッハ空間とコンパクト作用素についての記述をそれぞれ大幅に追加した。また,量子力学の応用例として「水素原子のスペクトル解析」についての章も追加している。
平成9年の初版以来,多くの方にご愛読を頂いた本書に,新たな応用的知識を増補することにより,ヒルベルト空間に関する更なる広い知識と深い理解の修得を目指す。2014年7月刊行、338ページ。(改訂前の版は276ページ)
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関連ページ:

ヒルベルト空間についてネットで学びたい方はこちらでどうぞ。

ヒルベルト空間(PDF文書)
http://tenasaku.com/academia/notes/hilbert-space-notes.pdf

発売情報: ヒルベルト空間と量子力学 改訂増補版:新井朝雄
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/84313bfed4331fe0c1343a55a531809a


今日紹介したのはこちらの教科書だ。

ヒルベルト空間と量子力学:新井朝雄


目次:

第1章:ヒルベルト空間
1.1 ベクトル空間
1.2 内積空間
1.3 ヒルベルト空間
1.4 正射影定理
1.5 完全正規直交系
1.6 L2(Rd)におけるいくつかの基本的事実

第2章:ヒルベルト空間上の線形作用素
2.1 線形作用素
2.2 有界線形作用素
2.3 有界線形汎関数とリースの表現定理
2.4 ユニタリ作用素とヒルベルト空間の同型
2.5 有界作用素の基本的性質
2.6 非有界作用素
2.7 作用素の拡大と共役作用素
2.8 閉作用素と可閉作用素
2.9 レゾルヴェントとスペクトル
2.10 自己共役作用素
2.11 自己共役作用素のスペクトル

第3章:作用素解析とスペクトル定理
3.1 正射影作用素
3.2 単位の分解と作用素値汎関数
3.3 作用素値汎関数の性質――作用素解析
3.4 スペクトル定理

第4章:自己共役作用素の解析
4.1 自己共役性に対する判定条件
4.2 本質的自己共役性
4.3 強連続1パラメータユニタリ群とストーンの定理
4.4 自己共役作用素の強可換性

第5章:偏微分作用素の本質的自己共役性とスペクトル
5.1 急減少関数の空間とフーリエ変換
5.2 偏微分作用素とその本質的自己共役性
5.3 スペクトル
5.4 一般化されたラプラシアン

第6章:量子力学の数学的原理
6.1 量子力学とはどういうものか
6.2 量子力学の基礎概念――状態と物理量
6.3 ハイゼンベルクの不確定性関係
6.4 正準量子化
6.5 状態の時間発展――シュレーディンガー方程式
6.6 物理量の時間発展――ハイゼンベルグの運動方程式
6.7 最低エネルギーに対する変分原理

第7章:量子調和振動子
7.1 量子調和振動子のハミルトニアンと固有値問題
7.2 固有値問題の抽象的定式化とその解
7.3 ハミルトニアンのスペクトルと固有関数


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8 コメント

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Unknown (ひろゆき)
2010-09-12 22:51:48
通りすがりのものです。

私も現在、量子力学を勉強してます(朝永先生の3部作で)。

量子力学の数学は、ノイマンの『量子力学の数学的基礎』(みすず書房)を読もうと思ってます。。難しいと思いますが読んでみます。もし、難しかったら貴殿の奨めていらっしゃる本を読んでみたいと思います。

ノイマンの書籍(上述のもの)も読んでみてはいかがでしょうか?
返信する
ひろゆきさんへ (とね)
2010-09-13 13:55:25
お久しぶりです。

ノイマン著に挑戦なさるのですね。頑張ってください。名著ですので僕もいずれ読んでみたいと思うのですが、まだ歯が立ちそうにありません。

その代わりといっては変ですが、新井朝雄、江沢洋著「量子力学の数学的構造I、II」を既に買ってあるので、こちらをまず読んでみたいと思っています。
返信する
偶然にも (廉太郎)
2010-12-30 03:11:51
ほぼ同時期にヒルベルト空間と量子力学(僕らが“白本”と呼ぶ)を読み終えていたものですから、少し嬉しくなってコメントしています。

いま新井先生の下で数理物理の勉強をしている修士1年生です。白本の後にフォック空間の上巻に進んだのですが、白本の知識で殆どは突破可能でしたから、量子力学の数学的構造ⅠⅡは必要に応じて参照するだけでもいいかもしれません。(densely defined closed operatorの絶対値とその平方根だけは新井先生の著書シリーズの中にないので、他書で勉強しなければなりませんでした。フォックで頻出!)

数理物理学を学んでいて感動的であるのは、我々の構築した数学的理念と同じ構造が、万物の理念の一端に含まれていることを確認できることのようです。先生とこのような数理哲学談義をしていると、とても興奮されまして、「数学の公理論的構造によって物理が示す理念がそれ以上遡上できない原型的理念に昇華され我々の精神と宇宙が一体にフオオオオオオオオオオ!!!!」といった感じでとても盛り上がります。

僕などは物理をまだ十全に学んでいないものですから、理念の開拓がまだ内側に限られているのですが、とねさんはその点、物理に深く精通していらっしゃるようでとても羨ましく思います。

他の記事も楽しく読ませて頂いております。また面白い本がありましたら記事でご紹介下さい。
返信する
Re: 偶然にも (とね)
2010-12-30 10:58:41
廉太郎さん

この記事にコメントいただけて、とてもうれしく思っています。新井先生から直接教えていただいているとは、羨ましい限りです。プロフィールに書きましたとおり、僕は数学専攻で卒業(学部卒)してから20年目にして、物理や数学を学ぶことの楽しさ、奥深さに気付いたものですから、今思うと若いうちからもっと勉強しておけばよかったなと思っています。素人物理ファンの一人に過ぎませんが新井先生にもよろしくお伝えください。

記事に書いたこの本は通称「白本」と呼ばれているのでしたか。僕が数理物理学の魅力を知り、新井先生の本を手にするきっかけとなったのは保江邦夫先生の「数理物理学方法序説(日本評論社)」を読んでのことでした。そしてこの白本も感銘を受けて、先走って「量子力学の数学的構造I,II」と「フォック空間と量子場(上)(下)」も買って手元に置いてあります。(せっかく買ったのだから「量子力学の~」も読む予定です。)

> densely defined closed operatorの絶対値とその平方根だけは...

そうなのですね。教えていただきありがとうございます。

今月以降、僕は「ファインマンの経路積分」に熱中しているところですが、その後数学書を何冊か読んでからまた新井先生の本に戻って「フオオオオオオオオオオ!!!!」と盛り上がってみたいです!

> 他の記事も楽しく読ませて頂いております。また面白い本がありましたら記事でご紹介下さい。

ありがとうございます。了解いたしました。自分自身が感動したり、楽しめる本を読んで記事にすることが大切なのだと思っています。

年末年始、楽しくお過ごしください!

返信する
はじめまして (横山)
2011-01-12 10:14:40
とね様

はじめまして.googleで「新井朝雄」を
キーワードにして検索をかけたところ,
こちらへたどり着きました.
私は札幌在住のもので,大学院では新井先
生の研究室に所属しておりました.今でも
趣味として数学を行っています.こちら
でご紹介されている本はどれもレベルが
高く,購入したいのですが,レベル以前
に値段が高く,なかなか手が出せません(笑).
実は病気で退職して以来,アルバイトの
身分な為,学術書までなかなか手が回ら
ないのが現実です.

廉太郎様
新井先生のところの学生さんなのですね.
私は年に1,2回位いまだに研究室に
お邪魔しています.そのうちお会いする
かもしれませんね.その時はどうぞお手柔らかに(笑).私もセミナーは「白本」でした.ちなみに朝倉書店の本は「構造」,
「フォック空間と量子場」は「フォック空間」と言っていました.
返信する
Re: はじめまして (とね)
2011-01-12 10:46:40
横山様

コメントいただきありがとうございます。このコメント欄にも新井先生の同窓生が集まりそうですね。
専門書は(中古であっても)高価ですので僕もだいぶ財布を痛めております。
図書館の利用などいいかもしれません。貸し出し期限はたいてい2週間ですが、数学書、物理学書は借りる人が限られていますので延長しても問題ないですし。良書と巡り会えるといいですね。
返信する
コメントありがとうございます (横山)
2011-01-23 10:03:22
とね様

拙いコメントに返信いただきありがとうございます.
大雪の後始末で忙しく,しばらく拝見していなかったのですが,早い返信で驚いております.
>図書館の利用などいいかもしれません。
図書館の利用ですか.その手がありましたか(笑).借りてみて良さそうだったら書店に取り寄せてもらうというのがいいかもしれないですね.
返信する
Re: コメントありがとうございます (とね)
2011-01-23 11:11:32
横山様
どういたしまして。
コメント投稿いただくと、携帯メールに通知するようにしているので、返信はなるべく早く書き込むことにしているのです。

本は場所をとりますから、余程大切な本以外は図書館から借りたほうがいいなと思うようになってきました。札幌市ですと蔵書の数も多いでしょうね。ネット検索して本が貸し出し可能か家で調べられるのも便利です。

札幌市中央図書館
http://www.city.sapporo.jp/tosyokan/
返信する

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