徒然に思いをこめて♪

季節のさりげない出来事を、思い出のポケットに仕舞い込むように・・・
あなたの心に届くようにと・・・♪

大部屋で ③

2006年02月28日 | 命の闘病記
12月2日(金)術後7日目
隣のベッドのSさんが今日退院である。
退院までの、あいた時間に色々話したら
よっぽど私の話がおかしかったのか
腹を抱えて笑ってた。その間1時間あまり♪
こんなに笑ったのは久しぶり♪
おなかが痛くなった♪
元気になった♪

そう言って 退院して行った


★13:00 リハビリの診察
「腕を上げてみてください」
「(o ̄∀ ̄)ノ”ぁぃ」
「あれ?あがりますね」

普通の人は、この時点で45度くらいがやっとだそうで
90度あがれば上出来なのに
私の場合は160度くらいあがってました。
中には、脇と腕を離すことも出来ない人も居るようです。
お陰様で、診察は3分ほどで終ってしまった
月曜からリハビリ開始とのこと♪
頑張らなくっちゃ

午後、仲のいい叔母が遊びに来た

胃のせいか 唇がただれて痛い。。。
薬をお願いしたら
口内炎の薬を出してくれた
昨日から喉も痛いので、トローチも出してもらった
夕食は、胃が痛くて食べれなかった。。。



12月3日(土)術後8日目
朝食、半量しか食べれない。。。
胃痛が続いてる。。。
本日より軟飯軟菜に変えてもらった。
総合病院の病院食は、ダイエット食のようで
あまり美味しくはない。
私って。。。ベジタリアンじゃないんですけどぉ。。。
と言う感じ
そこに、軟飯軟菜だからどろどろの見た目もよくない食事である
でも、胃のためだ。。。。
仕方ない。。。。

午後、Hさんが来る♪
私の2人の子供たちのピアノをずっと教えてくれた人だ。
のんびりやで ちょっと天然である
学校帰りに、子供たちが いつの間にか練習に行ってて 
慌てて授業料納めに行くこともしばしば
面倒見のいい人だ

夕食後、益々唇は痛い。。。。
薬が効いてないようだ。。。。

( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん
おし!リンデロンをぬってみよう
ってことで、ステロイド剤だと知っていたが
もっていた リンデロンを薄くぬってみた
まぁ、死ぬことはないでしょう

明日は日曜日
お見舞い 誰がくるかなぁ。。。。。
そんなことを考えながら
休みました


大部屋で ②

2006年02月25日 | 命の闘病記
11月30日(術後5日目)
夕べも脇が痛くて寝れなかった。。。。
ドレーンは抜いたのに、やはり切り刻んだから仕方ないかなぁ。。。

担当看護師のUさんが、久しぶりに来た。
他が忙しくて、顔を出せなかったようだ。
私の術後ケア用のファイルを出して見たら何も書き込みがない
普通、毎日その部屋の担当看護師がチェックするようだが
そう言えば。。。。暇つぶしに話に来る看護師さんは居ても
チェックされたことはないなぁ。。。。
「私って、病人に見えないんでしょうね」
と言って笑った

しかし・・・・ここの看護師さんは 良く働く
昼間勤務してたはずなのに
夜も居たりするのは普通である
「ちゃんと寝てるの?」
「はい♪大丈夫ですよっ♪」
と言うが、遊ぶ暇はなさそうだ。。。。
若いのに 頑張るなぁ。。。。

午前中、洗髪して上半身だけ清拭を頼んだ。
午後から、自分で半身浴をする。
洗髪の際、忙しそうだったので
自分で乾かしますからと言って ドライヤーで乾かしてたら
「あれ?腕 普通にあがってますね」
と言って看護師さんが驚いた。
「(・-・)・・・ん? このくらいは、あがりますが。。。」
「普通は、そこまであがるのに泣くような努力が要るんですよ」
「へ~そうなんだ。。。」

部屋に帰ると 主治医のJ先生が来てた
今後の予定の話にきたらしい
*明日から全身浴OK
*金曜からリハビリ
*調子が良かったら、来週水曜日には退院

腕の内側の神経が鈍いことを告ると
細い神経が手術の際切れたからだと言う。
それは、仕方ないことで、今後元に戻る可能性は大きいと言うこと

その後で 先生が申し分けなさそうに言った
「僕の予測じゃ、とまとさんは良性のつもりで もうここには居ない予定だったので、先に出張を入れてまして。。。退院の時も僕は居ないんですけど。。。」
「ですよねぇ~~。大丈夫いってらっしゃい
代わりにM先生にお願いしてあることを告げてJ先生は申し分けなさそうに出て行った。
仕方ないよぉ~~~~ でも、大丈夫



12月1日(術後6日目)
早朝より生理が始まった。。。
昨夜から、腕の痛みも少なくなったが 今朝からの生理で憂鬱。。。
婦人科受診を予定してたが、来週にしてもらった。

午後、母の友達のNさんが来た。
同じ病棟に、ご主人が緊急入院したらしい。
「お母さんは?」
「うちのお母さんは、私に興味がないみたい(;^_^A アセアセ」

そう言えば、ここに来て2回しか まだ母は来てない
と言うか、1回目は手術中に来て終る前に帰ったらしいので
正確には、私は1回しか見てない。。。
昔から、ほったらかしだったが 今も変わらない
まぁ、自由希望の私に取っては すごくいいんだけどねっ♪

夜、あくびと話してると I さんがものすごく大きい
フラワーアレンジメントを持って来てくれた。
ピンクのチューリップが 沢山入れてあった 可愛い
「元気そうで よかった」
「元気なんだけど、胃潰瘍が出来てさぁ~」
「見た目は平気そうだけど、身体は正直だね」
そうかぁ。。。。
潰瘍が出来るほど、悩んでたんだ私。。。。
しらなかったぁ。。。。(;^_^A アセアセ
I さんは、面会時間が終るまで
あくびと私を笑わせて 帰って行った


大部屋で ①

2006年02月24日 | 命の闘病記
11月28日(術後3日目)
病院の朝は早い
特に ここ回復室は早い
24時間寝ないで 待機してる看護師さんが
5時を過ぎる頃には、採血などで動きだす

★6:00採血
採血の際に聞いてみた
「私って 今日ここを追い出されるんですよね。どう見ても元気だもん私」
「はい残念ながら、今日でここはおしまいです」
と言うわけで 同じ日に手術した人の中で
一番早く、大部屋に引越しになった

新しい部屋は、病棟の一番端の4人部屋。
私は、窓際の暖かい部屋になりました。
そこへ、手術前の部屋で色々話してたKさんがやってきて
私の元気さに驚いてた

そういえば このKさん。
前同じ部屋のNさんの紹介で知り合ったのだが
出会いが面白かった

手術前のある日
「Nさんが、あなたは後ろ向きだからとまとさんのとこに行って 話を聞いてきなさいって言われたんですけど。。。」
「はぁ?」
いきなり私のベッドの横に来て そう言ったのがKさんだった。
その時、Kさんはもう手術から1週間近く経っていて
動かない腕にへこんでたようだ。
話を聞いてきなさいって言われてもぉ。。。。。何を話せばいいのか。。。
意味の判らないまま、色々話して
何故か、元気になってKさんは自分の部屋に戻っていった

その後、何人も知らない人が突然現れて同じような事を言う。
(○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・
どうやら 同じ部屋のNさんが 私のとこに行ったら元気になれるって あっちこっちで言ってる様だ。。。
(;^_^A アセアセ
Nさんは、入院した日も手術の日も一緒で 母と同じ歳♪
私のことを 娘のようだといって気に入ってくれてた。
よっぽど気に入ってくれたのか。。。。
悪い気持ちはしないけど、私ってそんな力ないしぃ~~
(-人-)ごめんよおぉって感じ



午後、介助付きで洗髪してもらった
きもちい~~~いぃぃぃ
脇の下の ドレーンが痛くて
うまく腕が動かせないので 看護士さんに洗ってもらった
洗髪中、ずっと旅行の話とか下着の話で盛り上がった

他の看護士さんが洗髪してくれるはずだったが
「私がしますから」と言って変わって洗ってくれた。
どうも、下着の話とかしたかったらしい



11月29日(術後4日目)
夕べは、痛みであまり眠れなかった
★10:30ドレーンを抜いてもらった
普通、6日以上かかるらしいのだが4日目で許可がでた
ヽ(  ´  ∇  `  )ノ ワーイ
これで、私を繋いでいる邪魔なものは全部取れた

その回診の時、J先生とT先生が部屋を見まわして言った
「この部屋は、年齢層 高いねぇ~」
「私が若く見えますよね♪」
「とまとさんは、この病棟のベスト5の若い人の1人ですよ」
と、冗談をあまり言わないJ先生と大笑い

この先生も、だんだんトマト菌に感染して 壊れつつあるなぁ。。。
(*⌒m⌒*)ぷっっ♪

自由になったので、早速1階の売店とかに行ってみた。
偶然、売店の前で前の部屋の人にあったら メッチャ驚いてた
「とまとさん、術後4日目にみえない。。。。」
(;^_^A アセアセ

午後から、一番仲がいい従妹がやってきた
「お母さんにね、とまとねえちゃん どんげ?って聞いたら」
(*゜▽゜)b☆・゜:*☆ 糸色 女子 言周 ☆・゜:*☆d(゜▽゜*)って言ってた」
だって・・・・・

私、ガン患者ですけどぉ。。。。

    

夕方 半身浴
今日は、介助なしで 入った。
やっぱ、介助がいないほうが 気を使わずいいなぁ。。。
(o^-^o) ウフッ


回復室で♪

2006年02月21日 | 命の闘病記
11月27日(術後2日目)
今日から普通食になった
胃の痛みも少し 楽になった
それと同時に、脇の下の痛みが強くなってきた。
ドレーンが、寝返りするたび
脇に突き刺さってるような痛みだ。。。。
(-________-;) ウッ・・・

傷は、痛み止めの点滴のせいか
我慢出来ないほどではなかった
と言うか
左の腕の内側から、胸の傷にかけて
しびれたようになってた
先生に聞くと、細かい神経が手術によって切れたせいだと言うことだった。
感覚が完全に戻るのは、1年くらいかかるようだ

左腕を動かそうとしたら
脇の痛みが強くなる

乳癌の手術は、そのあとのリハビリが大変だと聞いていた。
実際手術前に、隣の部屋にいたKさんが
腕があがらず リハビリで涙が出たと言っていた
覚悟はしていたが、最初が肝心だと思って
痛みをこらえて 腕を出来るだけ動かすようにした
脇に新しい筋が出来たみたいに、引っ張られて痛い。。。
ドレーンだけでも、早く抜けないかなぁ。。。

お昼前、日曜で お風呂はお休みの日だが
特別に 看護師さんが半身欲を許してくれた
介助付で、少々恥ずかしかったが
木曜の午前中に入ってから 入ってなかったので
気持ち良かった

って。。。。。
私って、いつもは この看護師さんの立場なんだよねぇ。。。
洗ってあげるほうは、何ともないんだけど
洗ってもらうほうは、結構" "(/*^^*)/ハズカシ
( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん

午後、回復室に
実家の母と叔母が来た
もちろん あくびや娘も
入れ違いで、主人の両親も来た
( ̄~ ̄;)ウーン・・・

主人の両親は、出産の時もだったが
お見舞いに来てて、かえって手がかかる人たちである。
病室で、お花見弁当広げて 後片付けもなく
帰って行く人たちだ。。。。。
今日は、回復室。。。。
大きな声で 話さないように。。。。
他の人に迷惑をかけないように。。。。
と思っていたが、今日は短時間で切り上げてくれた
(´▽`) ホッ

夕方、最後の抗生剤が点滴から入れられた。
夕食後に、安定剤入りの痛み止めを入れてもらって
抜いてもらえることになった
(●⌒∇⌒●) わーい

この点滴、右手にしてあるのだが
場所が問題だった。。。。
手首の曲がる部分の親指側にしてある。。。
つまり関節の部分だ。
人って 起き上がるのに
ベッドに手をついて 起き上がるのが普通だが
左手は、手術で動かず 右手は手首が曲げれないので使えない。。。
起き上がるのに いちいち電動ベッドを垂直までもっていって起きていた。

点滴を打つときに
え?そんなとこに打つの?
そこじゃなくても、いっぱい血管はあるでしょ~~~
と思った。。。。
      

それにこの点滴、非常に太い
3種類くらいの点滴を 一度に入れるのだから仕方ないのだがよりによって そんな痛そうな 肉のないとこに しなくても。。。。。



消灯前、主治医のJ先生が来て、ドレーンから出てくる廃液の量と色をチェックしてる。
「先生、チューブの先が 刺さってるような痛みがあるんですが。。。」
「思い切って、抜いてみる?」
「(⌒^⌒)b はい♪」
「液が脇に溜まったら、どうする?」
「注射針で抜いてください」v(*'-^*)bぶいっ♪
「( ̄へ ̄|||) ウーム 明日まで様子を見ましょう」
( ̄▽ ̄;)!!ガーン
 ガックリ。。。  

ドレーンは、明日以降に持ち越し。。。。。
今夜も、ドレーンの痛みで眠れないのか。。。。。

つか、病院の夜は早いなぁ。。。。。。






術後1日目

2006年02月20日 | 命の闘病記
11月26日(2日目)
麻酔が完全に切れたのか、早朝に目が覚めた。
頭の感覚が戻ってきたら
ようやく自分の状況が判ってきた。

口には酸素マスク
右手には点滴
左脇には、リンパの廃液を出すドレーンが2本バッグにつながってる
それと尿管
足には、静脈瘤を防ぐための、タイツが履かされていた

( ´△`)アァ- 管を取って自由になりたぁ~~~い
ってことで、まず酸素マスクを取ってもらった。
(こんなのなくても 息は出来ます )

で、次ぎは尿管。
尿意もないのに、横のバックに尿が溜まっていくのが許せない!
おしっこは、尿意があって自分で出すもの!!!
ってことで、抜いてくださいと頼んだ。
「え?もう?」
「はい、ポータブルトイレを持ってきてください。自分でします」
ポータブルトイレを持ってきてもらって尿管を抜いてもらった。
座ってる間に
「あああぁぁぁ 血圧が下がりだしたなぁ。。。」
と、と言う感じはしたが そのままベッドに戻った。
看護師さんが、早々に血圧と脈を計る
(/||| ̄▽)/ゲッ!!!上が84・下が42しかない
まぁ、判っていたことだけどね

慌ててる看護師さんに
「問題ありません、すぐ戻りますから いつものことです」
と笑って見せたら、看護師さんも安心したようだ
しばらくすると、元に戻っていた。

つぎは、タイツだ!
これは 動けば静脈瘤の問題はない
ってことで、トイレに起きれたから大丈夫ですと言って
はずしてもらった

でもって残りは2個
点滴とドレーン
点滴は、食事だけちゃんと摂れれば
あとは抗生剤が終れば取れるはず。

朝食から、おかゆで食事が始まったが
1つぶも残さず完食
他の脳の手術の患者さんとかに、目がいってる看護師さんに 大きな声で
「えらいなぁ~~~~」
と言って振り向いてもらい
「はい♪完食♪」
と言って、お盆を返す♪
看護師さんも、思わず笑ってしまってた

ドレーンは、廃液の量が少なくなったら抜いてくれるらしい
普通、6日くらいかかるらしい
横腹に2個穴を開けて そこから脇の下と鎖骨の辺りに入れてあるらしい
これが、結構痛い。。。。。。
早く取れないかなぁ。。。。


手術あとのガーゼ交換で、簡単に手術のことを聞いた
大胸筋は残したけど、乳房は全摘。
癌の細胞は、どうやら乳首の方に広がってたらしい
わきの下のリンパ・鎖骨のとこのリンパもすべて郭清
大胸筋には、癌はなかったようだ
以上のような事だった

ガーゼ交換で、見ようと思えば 自分の傷が見れたのだが
まだ、片パイの現実を受け入れる勇気はなかった。。。。

昼食は、5分がゆ
胃痛が続くので、痛み止めと安定剤が点滴から入れられてる
そのためか、ずっと ウトウト状態

トイレは、お昼頃から 自分で歩いてトイレまで行ってみることにした。
少しふらふらするが、何とか行けそうだ。
付き添ってた 看護師さんが 「終ったらブザーを押して呼んでくださいね」
と言うので呼んだら、違う看護師さんが来て 
「大丈夫ですね」と言って行ってしまった
仕方がないので、一人で点滴台を押しながら 部屋に帰ると
最初の看護師さんが、
「一人で帰ってきたんですか?」と言う
「呼んだけど、大丈夫ですねだけ言って 行ってしまったから」
「ああぁぁ、元気な患者さんと勘違いされたんだ。すみません

          

昨日手術したばかりですけどぉ。。。

夕食から、軟飯になった

この日から、驚くべき回復力だと
病棟内で 有名になっていったらしい。。。(;^_^A アセアセ



夜、7時過ぎに
息子が、自転車に乗ってて マイクロバスに跳ね飛ばされる事故にあい
私の入院している総合病院に運ばれてきた。
現場検証に来た 南署の警察やさんが
「この子は、生きてない」と思うほどの現場だったらしい
周りは、みんなその連絡に慌てふためいて
あくびまで、宴会場から 娘に連れられて飛んできた
一番冷静だったのは、息子で
「母が、○○病院に入院してるので、そこに運んでください」
と、救急隊員に言ったそうだ。
お陰様で、奇跡的に 軽い打撲だけで終った
(´▽`) ホッ


2日目の夜は、あくびが泊まると言ってくれたが断った
だってぇ~~~
メッチャ元気なんだもん
看病なんて必要ないしぃ~~~
それより、家でゆっくり休んでくれたほうが
私も、安心だ
でも、ありがとう

ってことで
2日目も 終っていった 

手術日♪

2006年02月19日 | 命の闘病記
11月25日
いよいよ手術日
朝から絶食。。。。
絶食の代わりに、浣腸が待ってた
手術着に着替えて、点滴を打たれてトイレに。。。
浣腸って。。。。。やだ。。。。(w_-; ウゥ・・

絶対に見せられない格好で、看護師さんに浣腸して貰って座った
ぎりぎりまで我慢して出したつもりが
( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん
すっきりしないなぁ。。。。。
まぁ、いいかぁ。。。。
看護師さんに確認して貰ったが
看護師さんもすっきりしない様子

手術の予定は、11時から。
その前に、帰ってくる回復室に部屋移動
同じ部屋のNさんも、今日の手術で
もう、手術室に向かってた。
Nさんの居なくなったベッドも回復室に移動。
私は、ガラガラと点滴台を引きずって移動した

手術の立会いは、主人とあくびに頼んだ。
主人の両親や母や叔母も 来るって連絡があったのだが
来てもらっても、ただ待ってるだけだし
私の方が、かえって気を使うので 断った

★11:30ストレッチャーに横になって手術室に。
手術室の入口まで 着いてきた 主人とあくびに
横になったまま
両手を高くあげて、ピースサインで入って行った♪

「1週間前にも来たなぁ。。。ここに来るのは2回目だ。。。」
そんなことを思いながら手術室に。
手術用のキャップを付けたことや手術のベッドに移動したことは記憶にない。。。
たぶん点滴の中に安定剤でも入っていたのでしょう
( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん

手術室に入ると
「眠くなる薬を入れますよ」
と言って 点滴の薬を取替えた。。。
その後の記憶はない。。。。
「終りましたよ~」
と言う声で気がついたが
「(・-・)・・・ん? 点滴でも終ったかな?」
と思って ぼ~~~っとしてると
「手術、終りましたよ~」
と言われた
あれぇ~~~~???????もお???

私の中では
こんな風に時間が流れてたのですが
実際は、11:30~18:40 までかかってたようです
中々覚醒しなくて、手術室から出てこなかったようでした

この時は、まったく知らなかったのですが
後で、実習生が教えてくれた話で
私は、手術室でおかしな行動を取っていたそうです
そのお陰で、麻酔薬が多めに入れられたようですが
その話は、また今度

手術室から自分のベッドに寝せられて出てくると
あくびと主人が待っていました。
そのまま、回復室に

回復室では、まだ意識はもうろうとしてました。
私は付き添いはいらないと 言ったのに
先生も、今夜だけは居たほうがいいと言うので
主人に居てもらいました。

あくびが急いで、自分の家の家事をしに帰り
うちの分も作って持ってきてくれて
それを持って、主人はいったん家に帰りました
消灯近くになって、今夜泊まる主人がきて あくびとバトンタッチ♪
私は、もうろうとしながら
腰の痛みと、左腕の痛みを訴えてました。

腰の痛みは、徐々に背中の痛みに変わり 眠れない。。。。。
左の背中が痛い。。。。。
筋肉痛かなぁ。。。と思ってたら
みぞおちの所が痛くなった
看護師さんに言うと
あわてて心電図を先生が運んできた。
狭心症の疑いがあったようだ
カーテンを閉じて、心電図を撮ってると
主人が心配そうに カーテンの陰から見てるのが判った

心電図には異常なし
先生に潰瘍の経験がありますか?と聞かれて
3月に胃潰瘍を起こした事を思い出した。
どうやら、背中の痛みは
胃潰瘍のせいのようだ。。。。。

点滴に痛み止めと潰瘍の薬・安定剤を入れて貰って
ようやく寝れた

手術の日はこうやって
過ぎて行った。。。。。

手術前日

2006年02月16日 | 命の闘病記
11月24日
★早朝5:40採血
手術は明日
今日は、インフォームドコンセントがある。
誰を呼ぼうか。。。。。
母は、自分のインフォームドコンセントで
気分が悪くなった人である。
主人の両親は、かえって手がかかる人たちである。
散々考えて、あくびと主人に来てもらうことにした
18時からのインフォームドコンセントに参加してほしいことと
明日の手術の間の立会いと
留守中の子供の世話を 電話でお願いした。

今回、本当に有難かったのは
あくびの存在である
手術前日から、退院までほぼ皆勤賞なみに
病室に来てくれた

自営のこと・沢山の子供のこともあるので
自分のことだけでも毎日忙しいのに
毎日 顔を出してくれた

それに私への問い合わせのメールの対応も
大変だったと あとから聞いた
私が、病院で携帯禁止のこともあって
中々、みんなに状況を報告できないでいた時
あくびは、せっせとみんなと連絡を取ってくれてたらしい
ホント有難い

「あくび♪本当にありがとう♪」



午後、この総合病院の麻酔科の先生の奥さんであるKさんと
近所の産婦人科の奥さんのK’さんとMさんが来てくれた

Kさんは、私と同じ年です
北海道の出身で私の大スキな「六花亭」の生チョコを持って来てくれた
そういえば、入院中お見舞いの封筒と一緒に
色々な お見舞い品を頂いたのだが
このKさんのお見舞いもおかしかった
何故かスティービーワンダーのCDを持ってきてくれた。
彼女は彼女なりに色々考えたのでしょうが
ここは、4人部屋で おまけにCDプレイヤーもないし
総合病院の厳しさで、むやみな電気の使用も出来ない
私は、せっかく持って来てくれたお見舞い品に
その事実を話すことも出来なくて
有難く頂いた

K’さんのお見舞いもすごかった
「これどうするの?」
と言う量の、お菓子と飲み物をお見舞いの封筒と一緒に持ってきた。
それもこの病院の売店で しこたま買いこんできた物のようだ。
遠足の時の10倍くらいの量のお菓子だ
お陰様で、私の荷物の半分以上は お菓子になってしまった

KさんK’さんMさんと入れ替わり立ち変わりしてると
あくびが、これまたものすごい量のお菓子と飲み物を持って来た。
「そんなに食えないよぉ~~」
「あんた用じゃないよ。介護用♪」
(;^_^A アセアセ


さて、ここの病院の夕食は18:00である
院内に、夕食の放送が流れ出したとき
看護師さんが、インフォームドコンセントに呼びに来た

カンファレンスルームに、主人と私とあくびが入った
先生は、主治医のJ先生とT先生
「こちらは?」
そう言って 先生があくっびを見てる
「はい、友人です」
「(・-・)・・・ん? 血縁関係は?」
「まったくありませんけど、私の事一番知ってる人です」
普通、こう言う場合血縁者が来るのが一般的らしい。。。。


こんな風にインフォームドコンセントは2時間もかかってしまった。。。
私は、何度も聞いてる事なので
「今夜の夕飯逃したら、明日は手術だから絶食だし。。。。。お腹すいたなぁ。。。」
それがひたすら気になっていた
あくびは 心配だったようで
何度も詳しく先生に聞き返す
「(〒_〒)ウウウ  お腹すいたぁ。。。。」
ようやく終って時計を見ると。20時を回っていた

私は急いで詰め所の看護師さんに
「私の夕食 残ってますか?」
と聞くと、あくびが あきれてた(;^_^A アセアセ

だってぇ~~~~あんなもん、誰かが聞いてりゃいいことで 
先生だって ちゃんと説明したって証拠が残ったらいいんだから
一生懸命聞く必要ないじゃん

完全に気持ちは「まな板の上の鯉」である
まぁ、なるようにしかならんよ


就寝前に、「眠れないときは薬出しますよ」と看護師さんが言ってきた
私は、眠れる自信があったので 断った
案の定、消灯時間には ちゃんと ウトウトしだした。

って・・・・・・
私の神経って。。。。。。
どんだけ 太いんだろう。。。。。。  





手術に向けて

2006年02月15日 | 命の闘病記
11月20日
20時 外泊も終って病院に戻った。
外泊中に、手術の買い物をしたのだが
胸帯の価格に驚いた。。。。。
術後は、毎日交換するようなので 洗い替えに3組ほど必要とのこと
安いのはないかと、外泊中に捜し歩いたが
腹帯は、何処にでもあるのに胸帯はなかった。。。。
結局、病院の売店で購入したのだが 
1組1890円 
3組で5670円       

T字帯は2枚で500円程度。。。。。。
やっぱ、需要と供給の問題かなぁ。。。。。
他にも色々必要なものがあったので外泊中に購入。
手術って、お金がかかる。。。。。



11月21日
★早朝5時半 採血
真っ暗な病室に、懐中電灯と注射器をもって看護師さんが起こしにくる
「とまとさん、採血しますね」
「はい。。。。」
寝ぼけ眼でベッドに横になったまま 採血

って・・・・
前回も思ってたんだが、何でこんな時間に採血なんだろう。。。。
まぁ、採血が苦手な私にとっては 頭が働く前だから 有難いのだが
隣のベッドの人が 起きないか心配にもなった。

★14:00レントゲン
レントゲンから帰って来たら 丁度 お友達のSさんが来た。
Sさんのご主人は、この総合病院の病理の先生である。
Sさん自身も、以前に入院してたので色々 快適な入院生活を伝授してもらった
Sさんと入れ違いに、Aさんもやってきた
賑やかな病室だと
自分に与えられた情況を、つい忘れてしまいそうだ
有難い


11月22日
★12:00 CTの為の点滴
★13:30 CT
夕食後、明日は祭日で検査もないので 手術前の最後の外泊をした。


11月23日
これからしばらく入院なので、家用の食料等の買いだしに行く
午後、自宅でゆっくりしていると
バカ騒ぎ仲間のYちゃんとGちゃんが やってくる
YちゃんGちゃんに 拉致されて そのまま知り合いのやってる
バリアフリーの喫茶店へ
「とまとちゃん、手術するのぉ?まだ生きたいか?」
相変わらず、口は悪いが 言葉の中に ちゃんと愛情もこもってた。
「まぁ、惜しくはないけど 胸のないGちゃんの気分も味あわなくっちゃね」
横で、コーヒーぜんざいをすすってるGちゃんは、ボディも顔も美少年である
胸もないし、ショートカットで化粧っけもない。
でも、結構綺麗な顔立ちだ。
「あんたに 生理があるって言うのが 不思議なんだよねぇ。。。」
いつものように、バカ騒ぎで気分も晴れた
「とまとちゃん、病院で不自由なこととかあったら連絡しなよ。飛んでくるから」
有難い言葉を残して、拉致終了♪

自宅に帰ったら、偶然に長崎に引っ越した友人から電話があった。
私の事を聞いて、電話の向こうで泣いていた。。。。
私は、泣いてないのに。。。。
飛んで行きたいけど、行けなくてごめんねと何度も言われた
友達って 有難いね

夕食を家族と摂り、20時に病院に戻った。
さぁ~~これで
逃げも隠れも出来ない!!!
私に出来るのは
 これだけ 

私には、待ってる人が居る
ガンバ!o( ̄へ ̄o)(o ̄へ ̄)oガンバ!






検査入院 ②

2006年02月13日 | 命の闘病記
11月17日(入院3日目)
早朝5時30分 採血
さすがに採血の苦手な私でも この時間なら
頭の中が働き出す前ですので
もうろうとしてて、あまり苦にならなかった
予定では、明日退院である。
夕方主治医のj先生が次回の予約カードを持ってきた。
明日10時に退院して、1週間後の検診である

ところが
19時過ぎにJ先生があわてて病室に入ってきた。
何だか、ばつが悪いと言うか
申し訳なさそうな顔をしてる
「とまとさん、検査結果が出ました。ご主人も一緒にお話したいのですが、今日病院の方にこれますか?」
と言う。。。。。。
もしかして。。。。。。
いちまつの不安を感じながら、先生の顔を凝視してると
先生が重い口をひらいた
「良性と思ってたんですが、病理の結果90%以上悪性の浸潤癌とでました」
「あとの10%は、良性の可能性があるのですか?」
「いえ、書類が正式にあがって来てないと言うだけで その部分を除けば100%浸潤癌です」
「非浸潤癌と違って、増殖する最悪のタイプですので 少しでも早く手術が必要です」
告知の瞬間
他人事のように不思議と動揺することなく そうなんだぁ。。。と思ってる自分に
正直 驚きました。

詳しい説明を 主人にしたいと言うので
急いで家の方に電話を入れましたが
鬼のいぬまにと言う感じだったのでしょうか、その日主人は捕まらず
実家と子供たちに、明日の朝8時に病院に来るように伝言を頼んで
明朝8時からの説明を受けることになりました。

その日の夜
私は、自分の命の長さを考えて
しばらくは、眠れずにいました。
だんだん、自分の置かれてる状況の把握が出来てくると
何を考えていいのか判らず、呆然としたまま
涙は あとから あとからこぼれてきました。
個室でよかった。。。。
そう思いながら、亡くなった父に
「お父さん、まだ迎えに来ないで」
と 祈ってました。
人恋しくて、寂しくて
病院では禁止されてる携帯を出して
話を聞いてくれそうな人に、メールして気を紛らわせようとしましたが
そんなことでは紛らわせるはずもありません。
現実逃避は出来ないことに気がつき
戦う決心をしました。
頑張ろう!!そう思いだしたら
心も 落ち着き 1時過ぎには寝れたので
自分の神経にちょっと 驚きました。




11月18日(入院4日目)
今日は、娘の19回目の誕生日です。
誕生日には、退院してお祝いするはずでしたが
8時から、私の病理の結果と今後の話で
気の重い 誕生日になりました。

先生の話では
書類は、まだあがって来てないけど、間違いなく病理結果は 悪性の浸潤癌であると言うこと。私の年齢から、急を要すると言うこと。手術は、浸潤癌であるうえに腫瘍の場所が、乳首のすぐ後ろで 2センチ離れてないので 温存は無理だと言うこと。リンパ節まで来てるかどうかは不明だが、今の医学の流れから腋窩リンパ節郭清も行いますと言うこと。大胸筋だけは 残してくださいとお願いしたら、胸筋温存乳房切除術を行いますと言うことでした。
退院すると、ベッドが空くのに何日かかるか判らないしCT等の検査も予約になるけど このまま入院してたら あいてる時間に入れられるので退院はしないほうがいいと言うこと。手術は、1週間後の金曜日。執刀医は、主治医のj先生。
手術を行うに当たって、呼吸法やリハビリの方法など手術までに勉強しましょうと言うこと。
手術に必要な、胸帯・T字帯・バスタオル・静脈瘤を防ぐタイツ等用意するものの書いた、マニュアルも渡されました。

そのご、個室から4人部屋に移動
今日の検査はないと言うことと
明日土曜で明日も明後日も検査はないと言うことだったので
20日(日)の夕方まで 外泊願いを出し
主人と4日ぶりの我が家へ帰宅しました。

こうしうて
娘の19歳の誕生日は、ケーキがあるわけでも ご馳走があるわけでもない
重い空気のままの誕生日となったのです。

      


くよくよしてても 始まりません
外泊の3日間にすることも 山ほどあります。
私は、気持ちを切り替えて
外泊の間に、仕事の後始末や
長期の留守になるので 家のこと
受験生である息子の3者面談
各種、支払いや入金など雑用
3日間飛び回って、片付けました。

とても、癌患者にはみえないなぁ。。。。。
自分でも、感心してしまった
(;^_^A アセアセ

次回に続く



検査入院 ①

2006年02月10日 | 命の闘病記
11月15日(腫瘍発見から4年9ヶ月)
外科的生検のため13時 1外科病棟入院。
短期間の入院と空き部屋がない事を理由に
1日3045円の個室に入ってくださいと言われOKする。

入院後、オリエンテーションで
入院の生活の説明を受ける。
夕方 採血
(採血って苦手だ。。。。。気分が悪くなる。。。)
そのあとで
検査のための インフォームドコンセントを受ける

説明の内容は次の通り

左乳房の外側に腫瘍を認めます。2001年から大きさがほとんど大きくなっていないので、良性の可能性が高いと判断しますが、マンモグラムの所見 MRIの所見 超音波検査の所見から悪性が否定できません。針生検では、悪性細胞は認めていません。
11月16日に、乳腺腫瘍を切除して 癌でないかを調べます。癌であった場合は、後日乳房の追加切除と腋窩リンパ節を郭清する手術を行います。癌でない可能性が高いと判断しています。
今回の麻酔は局所麻酔です。点滴に意識がぼやっとする薬を使用します。
様々な薬を用いるので、アレルギーやショックの可能性があります。まれに急性循環不全などにより、後遺症を残す場合があります。手術中や術後に心筋梗塞・不整脈、血栓症など 後遺症を残したり死亡する可能性の疾患が発症し、手術が原因のように思われることがまれにあります。発症した場合に緊急処置、治療を行い、状況をご説明します。

以上のようなことでした。

先生も、癌の可能性は低いと
このときに 考えてたことが判ります。

11月16日生検手術日 朝食は抜き
8時前に 手術着に着替えて点滴を打たれて
車椅子で、手術室に入る
中で、ストレッチャーに乗り 手術用のキャップをかぶせられる

手術室は、テレビのドラマで見るのと ほとんど変わらない
殺風景な機械だらけの部屋の中央の天井に
ライトが沢山ついたようなものがある
中で、手術台に乗り換えて
首のとこに緑色のカーテンのような物を置かれた。
これも よくテレビで見る光景だ。
手術室には、麻酔担当の何人かの看護師さんと
白衣の先生が主治医以外に2名いる。
1名は、研修医のようだ。
その他、私の顔の近くに いつも居て 様子を伺ってる看護師さんがいる。
しょっちゅう、「気分は悪くないですか?」と聞いてくる。
右手には、定期的に自動で血圧を計れる血圧計と点滴
足・手首には 心電図の機械がつけてあった。
目の前の カーテンで あとは何をしてるのか判らなかったが
局所麻酔のため、見える範囲で記憶は残ってる。

腫瘍摘出手術が 始まった。
レーザーメスで 胸を切り開いているようだ。
「ジジジジジ~~」と 自分の肉の焼ける音と匂い、カーテンの向こうから立ち上がる煙が異様である。
針による 局所麻酔で最初は痛みもなかったのだが、途中ぎりぎりの局所麻酔のため
麻酔が効いてないとこにメスが入る。
「痛い!!!」激痛とともに身体が硬直する。
「麻酔1本追加」
麻酔を追加して また手術が再開される。

痛みを知るまでは、普通でいられたのに
一度 痛みを味わうと
「また、来る 来そうだ。。。」
と言う思いで、身体は硬直したまま 構えている。
数分後、「うっ!!!」顔がゆがむ。
「麻酔1本追加」
この繰り返しである。

私は、早く終ってくれ~と願いながら
身体は、恐怖で硬直したまま。。。。。。

そのうちに、カーテンのある首の下辺りが重くなった。
研修医が、手術の器具を そこに置いてたようだ。
主治医である執刀医に、「患者さんの上に物を置かない!」と言われて
器具を 移動したようだ。
「うっ!!!!」
「麻酔1本追加」
『も~~~~~、1本じゃなくて 何本も打っててよぉ~~』
言いたくても 言えない 悲しさ 

そうこうしてる間に、今度は首の中央 気管辺りが苦しい。。。。。
どうも、研修医がそこに手を置いて 手伝ってるようだ。。。。
(-________-;) ウッ・・・
そこに置いたら 息が出来ないじゃん。。。。。
麻酔切れの恐怖と、呼吸困難なんて洒落にならないよぉ~~
と思っていたら、移動してくれた。(´▽`) ホッ

「うっ!!!」
「あと、少しで終りますから 頑張って」
「あと少し あと少し」
そう、言い聞かせながら ようやく手術が終った。
 
ベッドを移動して、ストレッチャーで外手術室の外の控え室に
そこで、自分のベッドに移しかえられた
時計を見ると、10時
背中や、肩の部分が痛い
「2時間も、硬直したままだったんだ。。。」

先生に、採取した腫瘍を見せてくださいとお願いして
控え室で、ベッドに横になったまま 瓶詰めの自分の腫瘍を見た。
結構、でかいじゃん。。。。
「これを すぐに病理に出しますね」
そう話してるうちに 病棟の看護師さんがベッドごと お迎えに来た。

その日の夜から2日ほど
腰痛に悩まされる。。。。。。。。。
最初、何故だか判らなかったが
どうも、手術中の硬直のせいらしかった。。。
クッションをもらって 腰に入れてもらったが
中々治らなかった。。。。。。

検査入院② に続く

5月24日~10月25日

2006年02月07日 | 命の闘病記
退院祝いまでに出きるだけ記事を書きます

5月24日(腫瘍発見から4年3ヶ月)
MRI結果
石灰化はなし4年3ヶ月前と同じで 癌と判定


先生より、これからの検査方法の説明をされた

⑴ このまま、今までの様に6ヶ月ごとの検査を続ける
  その場合のリスクとして、マンモトームや針による生検の痛みをそのたびに味わうことになる。
⑵ 外科的生検で、腫瘍を取り出す手術をして白黒はっきりさせる
  その場合のリスクとして、胸に3~5センチの傷が残る

以上の選択を決めるように言われました。

たぶん、4年以上も腫瘍の変化もないので
乳腺腫だと思いますから
傷が残ることが 気になりますが。。。。。
と先生が小声でつぶやく

( ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄;)うーん

「外科的生検の場合、日帰りでできますか?」
「一応手術と名前が付きますし、細菌の感染も心配ですから4~5日の入院になります」
「来月から学校に通いますし、すぐ仕事もしたいので仕事が落ち着く秋にできますか?」
「判りました、急に決断も家庭の事情もあるでしょうから、9月に返事をください」

とのこと
日帰りじゃ無理なのかぁ。。。。。。
でも、すっきりしたい。。。。
とりあえず
9月15日に予約を取って帰宅



その後
6月より学校に通い
7月1日付けで、介護の仕事につきました♪
お陰様で、私にとって
天職だったようで
仕事は、楽しく順調にいってました。




9月15日(腫瘍発見から、4年7ヶ月)
外科的生検の手術を決断。
11月15日に入院
11月16日に手術を受けることになりました。

その前に、心臓に疾患があるので
手術が出来る身体かどうかの検査に行かないといけないそうで
10月25日に予約を取って帰宅




10月25日(腫瘍発見から4年8ヶ月)
肺機能検査
採血
レントゲン
心電図

11月15日の入院用の
書類を頂き 帰宅
短期間の入院なので
あまり荷物も必要ないようだ
局所麻酔なので、T字帯も必要ないとのこと

とりあえず
これで無罪放免になれる
そう思いながら帰宅。


ここからが
悪夢の始まりだとは
その時は 思いもしませんでした

続く

補足♪

2006年02月05日 | 命の闘病記
前回記事(2005年その後)の 補足です♪

実は この記事
夜の11時くらいから書き始めて
ユーモアたっぷりに
10月の報告まで書いてたんですねぇ。。

おし!!!
完璧♪
その前に 確認 確認
また、あくびに突っ込まれちゃいけない
そう思って 確認しようと思ったら
間違って、違うとこクリックしちゃって
記事が消滅~~~~~

  

(w_-; ウゥ・・
やっと出来たのに。。。。。。。

しばらく凹んだあと
仕方ない もう一回書こう
(相変わらず 立ち直りの早いとまとでした♪)

でも
10月まで書く元気もなく
9月の検診まで、記事を書いて
お~~~~~~し!!!!
完璧♪


今度こそ!!!
と思って投稿したら
今度は
「ただいま 込み合っていて投稿できませんでした」
の表示
え~~~~~~~~~~~っ!!!!!
あわてて 戻って見たけど
書いた記事が
ない!!ない!!ない!!何処にもない!!
◇ミ\(゜ロ\) どこ行った? (/ロ゜)/ミ◇
そうです。。。。。。
今回も記事は消滅・・・・・

  

(-________-;) ウッ・・・
もう 立ち直れない。。。。。。。。

しかぁ~~~~~し
立ち直りの早いとまとは
再び、記事を書き出したんですねぇ~~~

でも9月まで書く元気もない。。。
時計はすでに真夜中の1時前
ヽ(  ̄○)ゞ。o○ファ~~♪眠い。。。。。。

ってことで
MRI検査だけの記事になtってしまった。。。。
手抜きだぁ~~~ 




しかし・・・・・
不思議なことに
記事の長さは
10月までのも 9月までのも MRIまでのも
同じなんですねぇ。。。。。

書くたびに、余計な記事が増えてる????
ヾ(; ̄ ̄ ̄▽ ̄ ̄ ̄;A 汗汗・・・

不思議だ。。。。。
と思いながら
寝たのは1時半を回ってました。。。。
 

何やってたんだろう。。。。。。

2005年その後

2006年02月05日 | 命の闘病記
退院祝いまでに、少しだけ闘病記を書きましょう

2005年1月24日
父を食道癌で亡くし、母も3月に甲状腺癌で手術をした年でした。
私は、今までの職場を3月で退職。
新しい何かを 捜してた時のことでした。

この年の2月で腫瘍を発見してまる4年経ってました。
4月19日、腫瘍発見から4年2ヶ月でした。
この日の検診も、いつものように触診・マンモグラフィー・エコーによる検査と
今回も、細い針での針生検を行いました。
結果は、同じ 中々無罪放免にはなりません。
随分考えたあげく、前回MRIを撮って4年以上経つので もう1度MRIを撮りましょうとのこと。
今度のMRIで、石灰化が見られたら 乳腺腫と言うことで無罪放免かも。と言うこと。
5月17日にMRIの予約をして帰宅♪

MRIって保険使っても、1万7千円くらいかかるんだよねぇ。。。。
痛いなぁ。。。。って思いながらの帰宅♪
ヾ(; ̄ ̄ ̄▽ ̄ ̄ ̄;A 汗汗・・・

5月17日
MRI検査
MRIは、磁場と電波とコンピュータで画像を作るので 金属類をすべてはずして
検査着に着替えてMRI室に入ります。
前回、左手の甲に造影剤を打たれて手の甲が紫色になった事を 思い出した。
これって結構痛いんだよねぇ。。。。
と思いながら、検査室へ
今回も左手の甲。。。。。こんな痛そうなところにしなくても。。。。。
と思ってましたが、今回は そんなに痛くない♪ラッキー♪

おっぱいの形の穴に 胸を入れる様に うつぶせになって
人の身体が やっと入るくらいのトンネルの中に入れられます。
その中で、ガンガンガンと言う ものすごい工事中の様な音を聞きながらの検査です。
閉所恐怖症や、音に敏感な人は 結構辛いようですが
私は、その中でウトウトとしてしまった
ヾ(; ̄ ̄ ̄▽ ̄ ̄ ̄;A 汗汗・・・

まぁ、抜歯するのに
歯科医で、歯茎の麻酔注射が効くまでに
診察台で寝てしまう人ですから
私にとっては、普通のことなんですけどねっ♪
(;^_^A アセアセ

結果は1週間後の5月23日とのこと
予約を取って帰宅♪

って・・・・・
あああぁぁぁぁぁぁ
今回も
検査代に、結構かかったなぁ。。。。。


つづく