11月17日(入院3日目)
早朝5時30分 採血
さすがに採血の苦手な私でも この時間なら
頭の中が働き出す前ですので
もうろうとしてて、あまり苦にならなかった
予定では、明日退院である。
夕方主治医のj先生が次回の予約カードを持ってきた。
明日10時に退院して、1週間後の検診である
ところが
19時過ぎにJ先生があわてて病室に入ってきた。
何だか、ばつが悪いと言うか
申し訳なさそうな顔をしてる
「とまとさん、検査結果が出ました。ご主人も一緒にお話したいのですが、今日病院の方にこれますか?」
と言う。。。。。。
もしかして。。。。。。
いちまつの不安を感じながら、先生の顔を凝視してると
先生が重い口をひらいた
「良性と思ってたんですが、病理の結果90%以上悪性の浸潤癌とでました」
「あとの10%は、良性の可能性があるのですか?」
「いえ、書類が正式にあがって来てないと言うだけで その部分を除けば100%浸潤癌です」
「非浸潤癌と違って、増殖する最悪のタイプですので 少しでも早く手術が必要です」
告知の瞬間
他人事のように不思議と動揺することなく そうなんだぁ。。。と思ってる自分に
正直 驚きました。
詳しい説明を 主人にしたいと言うので
急いで家の方に電話を入れましたが
鬼のいぬまにと言う感じだったのでしょうか、その日主人は捕まらず
実家と子供たちに、明日の朝8時に病院に来るように伝言を頼んで
明朝8時からの説明を受けることになりました。
その日の夜
私は、自分の命の長さを考えて
しばらくは、眠れずにいました。
だんだん、自分の置かれてる状況の把握が出来てくると
何を考えていいのか判らず、呆然としたまま
涙は あとから あとからこぼれてきました。
個室でよかった。。。。
そう思いながら、亡くなった父に
「お父さん、まだ迎えに来ないで」
と 祈ってました。
人恋しくて、寂しくて
病院では禁止されてる携帯を出して
話を聞いてくれそうな人に、メールして気を紛らわせようとしましたが
そんなことでは紛らわせるはずもありません。
現実逃避は出来ないことに気がつき
戦う決心をしました。
頑張ろう!!そう思いだしたら
心も 落ち着き 1時過ぎには寝れたので
自分の神経にちょっと 驚きました。
11月18日(入院4日目)
今日は、娘の19回目の誕生日です。
誕生日には、退院してお祝いするはずでしたが
8時から、私の病理の結果と今後の話で
気の重い 誕生日になりました。
先生の話では
書類は、まだあがって来てないけど、間違いなく病理結果は 悪性の浸潤癌であると言うこと。私の年齢から、急を要すると言うこと。手術は、浸潤癌であるうえに腫瘍の場所が、乳首のすぐ後ろで 2センチ離れてないので 温存は無理だと言うこと。リンパ節まで来てるかどうかは不明だが、今の医学の流れから腋窩リンパ節郭清も行いますと言うこと。大胸筋だけは 残してくださいとお願いしたら、胸筋温存乳房切除術を行いますと言うことでした。
退院すると、ベッドが空くのに何日かかるか判らないしCT等の検査も予約になるけど このまま入院してたら あいてる時間に入れられるので退院はしないほうがいいと言うこと。手術は、1週間後の金曜日。執刀医は、主治医のj先生。
手術を行うに当たって、呼吸法やリハビリの方法など手術までに勉強しましょうと言うこと。
手術に必要な、胸帯・T字帯・バスタオル・静脈瘤を防ぐタイツ等用意するものの書いた、マニュアルも渡されました。
そのご、個室から4人部屋に移動
今日の検査はないと言うことと
明日土曜で明日も明後日も検査はないと言うことだったので
20日(日)の夕方まで 外泊願いを出し
主人と4日ぶりの我が家へ帰宅しました。
こうしうて
娘の19歳の誕生日は、ケーキがあるわけでも ご馳走があるわけでもない
重い空気のままの誕生日となったのです。
くよくよしてても 始まりません
外泊の3日間にすることも 山ほどあります。
私は、気持ちを切り替えて
外泊の間に、仕事の後始末や
長期の留守になるので 家のこと
受験生である息子の3者面談
各種、支払いや入金など雑用
3日間飛び回って、片付けました。
とても、癌患者にはみえないなぁ。。。。。
自分でも、感心してしまった
(;^_^A アセアセ
次回に続く
早朝5時30分 採血
さすがに採血の苦手な私でも この時間なら
頭の中が働き出す前ですので
もうろうとしてて、あまり苦にならなかった
予定では、明日退院である。
夕方主治医のj先生が次回の予約カードを持ってきた。
明日10時に退院して、1週間後の検診である
ところが
19時過ぎにJ先生があわてて病室に入ってきた。
何だか、ばつが悪いと言うか
申し訳なさそうな顔をしてる
「とまとさん、検査結果が出ました。ご主人も一緒にお話したいのですが、今日病院の方にこれますか?」
と言う。。。。。。
もしかして。。。。。。
いちまつの不安を感じながら、先生の顔を凝視してると
先生が重い口をひらいた
「良性と思ってたんですが、病理の結果90%以上悪性の浸潤癌とでました」
「あとの10%は、良性の可能性があるのですか?」
「いえ、書類が正式にあがって来てないと言うだけで その部分を除けば100%浸潤癌です」
「非浸潤癌と違って、増殖する最悪のタイプですので 少しでも早く手術が必要です」
告知の瞬間
他人事のように不思議と動揺することなく そうなんだぁ。。。と思ってる自分に
正直 驚きました。
詳しい説明を 主人にしたいと言うので
急いで家の方に電話を入れましたが
鬼のいぬまにと言う感じだったのでしょうか、その日主人は捕まらず
実家と子供たちに、明日の朝8時に病院に来るように伝言を頼んで
明朝8時からの説明を受けることになりました。
その日の夜
私は、自分の命の長さを考えて
しばらくは、眠れずにいました。
だんだん、自分の置かれてる状況の把握が出来てくると
何を考えていいのか判らず、呆然としたまま
涙は あとから あとからこぼれてきました。
個室でよかった。。。。
そう思いながら、亡くなった父に
「お父さん、まだ迎えに来ないで」
と 祈ってました。
人恋しくて、寂しくて
病院では禁止されてる携帯を出して
話を聞いてくれそうな人に、メールして気を紛らわせようとしましたが
そんなことでは紛らわせるはずもありません。
現実逃避は出来ないことに気がつき
戦う決心をしました。
頑張ろう!!そう思いだしたら
心も 落ち着き 1時過ぎには寝れたので
自分の神経にちょっと 驚きました。
11月18日(入院4日目)
今日は、娘の19回目の誕生日です。
誕生日には、退院してお祝いするはずでしたが
8時から、私の病理の結果と今後の話で
気の重い 誕生日になりました。
先生の話では
書類は、まだあがって来てないけど、間違いなく病理結果は 悪性の浸潤癌であると言うこと。私の年齢から、急を要すると言うこと。手術は、浸潤癌であるうえに腫瘍の場所が、乳首のすぐ後ろで 2センチ離れてないので 温存は無理だと言うこと。リンパ節まで来てるかどうかは不明だが、今の医学の流れから腋窩リンパ節郭清も行いますと言うこと。大胸筋だけは 残してくださいとお願いしたら、胸筋温存乳房切除術を行いますと言うことでした。
退院すると、ベッドが空くのに何日かかるか判らないしCT等の検査も予約になるけど このまま入院してたら あいてる時間に入れられるので退院はしないほうがいいと言うこと。手術は、1週間後の金曜日。執刀医は、主治医のj先生。
手術を行うに当たって、呼吸法やリハビリの方法など手術までに勉強しましょうと言うこと。
手術に必要な、胸帯・T字帯・バスタオル・静脈瘤を防ぐタイツ等用意するものの書いた、マニュアルも渡されました。
そのご、個室から4人部屋に移動
今日の検査はないと言うことと
明日土曜で明日も明後日も検査はないと言うことだったので
20日(日)の夕方まで 外泊願いを出し
主人と4日ぶりの我が家へ帰宅しました。
こうしうて
娘の19歳の誕生日は、ケーキがあるわけでも ご馳走があるわけでもない
重い空気のままの誕生日となったのです。
くよくよしてても 始まりません
外泊の3日間にすることも 山ほどあります。
私は、気持ちを切り替えて
外泊の間に、仕事の後始末や
長期の留守になるので 家のこと
受験生である息子の3者面談
各種、支払いや入金など雑用
3日間飛び回って、片付けました。
とても、癌患者にはみえないなぁ。。。。。
自分でも、感心してしまった
(;^_^A アセアセ
次回に続く