2009年06月02日 00:16
高知白バイ事件の被告=enzai被害者の片岡さんは、スパモニ等で放送される御殿場事件をすごく気にしていました。特に注目していたのはその事件の裁判のあり方。
「俺と同じやね。何が何でも有罪にしなくてならないという感じの裁判やいか。俺よりかひどいねぇ・・・」
「俺は入るようになったけど(刑務所に)、彼らは差し戻しにならにゃ、日本の裁判はホントおかしいことになる。なんとか無罪になってほしいねぇ・・・」
結果はご承知の通りです。
警察の捜査よりも、大きくぶれる被害者の証言を容認していく裁判に、片岡さん夫婦が不信感を強めていたのが記憶にある。「裁判ってのはこんなものなのか!?」 上告棄却の通知を受けた片岡さんはそう言ったが、御殿場事件で収監された彼らはそれどころじゃないだろう。
先日 収監された被告の関係者から片岡さんの奥さんに電話があった。話した内容は詳しくは聞きけなかった。冤罪被害者の家族にしかわからないところがあるのかもしれない。それから、電話があったことを私に話した後に、奥さんはこういった
「本音を言えば、私の場合も夫でなく、息子が収監されたら今ほど冷静に居られたかどうかはわからない。相手を恨みきるろうねぇ・・・・」
今の法廷を支配している論理は何だろう?
まぁ 最高裁人事院が人事を支配しているのは間違いないから、そこの論理が法廷を支配しているのだろう。そのあたりは 「司法崩壊」や生田暉雄弁護士の著書に詳しく書かれている。
今度の衆院戦の争点には間に合わないかもしれないが、確実に司法は改革が必要な時期に来ている。誰のための司法かまったくわからなくなってきている。
司法のための司法か?
今日 ドキュ宣で御殿場事件が放送された。それを見た関西の支援者から電話が入った。
「LMさん。これはもう 冤罪の被害者の組織を作って行動しないとなんともなりませんよ。」
志布志・富山・高知・御殿場・・・この他にもたくさん居るはず。そういった人達の声をまとめなくてはいけない時期がきたのではないだろうか。
裁判員制度の目的の一つは『冤罪』を防ぐことにあるらしいが、今の私には冤罪判決の責任を国民に転嫁しようとしているとしか見えない。 「国民の代表も有罪としたのだから・・・(モンクナイダロウ?)」。冤罪裁判に関わった私から見ればみればそうなる。
また、重大事件だけ冤罪を防げばいいってモノではないはずだ。 裁判員制度が冤罪を防ぐことが目的なら、全ての裁判に導入したらどうだろう。
ドキュ宣 御殿場事件ダイジェスト版 → こちら
片岡晴彦さん 再審請求署名活動中 → こちら
裁判員制度の目的 → こちら(KSB高知白バイ事故シリーズ最新作の後半をご覧下さい)