2009年10月28日 16:21
日記です
この日記を書いている日付から計算すると片岡さんが刑期を満了してかえってくるまで118日です。片岡さんはそれまでに帰ってくることができるだろうか。
私も仮出所を期待してはいるが、ここまで事件の知名度が上がると無理じゃないかな・・という気がしている。 (ゴメンネ。ayaチャン)
「出所の日程が決まったら連絡してください。」
最近、仮出所を期待する人達から、そういった電話が片岡家にかかってくる。友人知人はもとより、マスコミからもだ。収監時よりもその数が増えているのがうれしいと素直に奥さんは語ってくれた。
そのマスコミの中に地元マスコミは1社もない。相変わらずのスタンスを保持するようだ。
「それにしてもよ。小猿」 と奥さんが話し始めた。
「どうして、きちんと事故のことを報道してくれなかったんだろうね」
(姐さん、そりゃ無理ってもんですぜ。奴ら一蓮托生ですからね)
「落書き」ならあっさりとそう書くところだが、私は「ホントにネェ・・」と続きを待った。あの事故の報道姿勢が今の状態の原因の一つてある事は間違いない。
「スリップ痕さえながしてくれたら(テレビや新聞の報道で)・・こんなことにはならんかったね。」
事実その通りだと思う。地元各社はきちんと撮影しているが、どうやら『上』の方で、表に出すなと話がついていたのだろう。
「もし、晴さんがでてきた時に〇×△■から取材が来たら、あの人にきてもらいたいねぇ。」と意外な人の名前を挙げた。
その人は片岡さんが収監前日に取材にきた副部長さんです。 よく聞けば収監二日前、前日と2日間に渡って仁淀川町の片岡さん宅を取材に来ていた。延べ4時間くらいは話したようだ。
それでも、一行の記事にもならなかったが、人のよさそうな顔をして、物腰の柔らかい人物だった。しかし、それだけで奥さんが信頼したわけではないだろう。
『取材の姿勢』
信頼した理由はこれに尽きると思う。それなりの事情があって記事にできないことは奥さんも私もわかる。しかしそれはマスコミ関係者としての事情じゃないだろう。
それでも信頼している・・というよりは奥さん達は頼りにしているんだ。(タブン)
10月27日の高知新聞朝刊(田舎版)のコラム『閑人調』に足利事件とマスコミについて、「遼』というペンネームで書かれていた内容をおつたえします(要約です)
足利事件で菅谷さんが自白をしたとされるその日。橋本大二郎さんが知事に初当選した。
菅谷さんの17年半がいかに長かったか。橋本前知事以降の県政に重ねてみればよくわかる。ただしこの事件。冤罪ではないのかと思わせる節目はいくつもあった。
裁判官や当初の弁護士。多くのマスコミはそれらを過小評価し見過ごしてきた。
そんな中「おかしい」と感じたのは記者たちではなく一人の主婦だ。彼女は菅谷さんと手紙のやり取りをし面会を重ね『冤罪』を確信する。
その行動が再審請求運道の大きなうねりに繋がった。その検証を怠ったマスコミとの違いはあまりにも大きい。
「取調べをした刑事や検事、裁判官は絶対に許せない。そのなかにはマスコミも入る」。メディアに身を置く者として菅谷さんの言葉がずんと響く。
以上
現在 加古川刑務所に収監中の片岡さんが帰ってきたら、できる限り早い時期(2010年春頃を予定)にこの事件の再審請求を致します。 その際に同時に提出するように支援する会が署名活動を行っています。ご協力をよろしくお願いします。
詳細は → 支援する会HP
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今日の一言 「・・・・とくにありません・・」
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