結婚式が終わってから二週間程しか経っていないのに
このような報告をせねばならないのは
非常に心苦しいかぎりではありますが、
本日7月23日、
私の母が他界致しました。
享年68歳でした。
数年前に突然、白血病を発症させて以来
病気と戦ってまいりましたが、
本日ついに力尽き、天国に召されました。
病を発症させる以前の母は
それはそれは元気な人でした。
バレーの選手として様々な大会で活躍し、
60過ぎてもママさんバレーの現役選手でした。
僕や弟、そして親戚一同は
「この人は絶対100歳近くまで生きるに違いない」
と口を揃えて言う程、元気な人でした。
病を発症させた後も一度は克服したのですが、
残念ながら再発させてしまいました。
こういう状況でしたので、私は
結婚式を執り行う事を躊躇していたのですが、
「私の事は気にせず、結婚式だけはちゃんとやり遂げなさい。
式が終わるまでは死にゃあせんから。」
という母の一言に背中を押され、
結婚式の準備を進める事にしました。
本人もギリギリまで参加する意思はありましたが、
やはり体調が思わしくなく
欠席せざるを得ませんでした。
結婚式を無事終えた翌日、母に電話をしたら
「親戚の人達みんながいい式だったって言っとったよ!
よう頑張ったね!」
と、ここ数年で一番元気な
明るい声で労ってくれました。
結婚式の模様を収めたDVDを
いち早く母に見せたくて、
式場の方に頼み
急いで仕上げてもらう事にしました。
出来上がりの報告を受けた私は
すぐに式場に向かい
DVDを受け取り、
その足で高速道路に乗り
母のいる愛知県の病院に向かいました。
帰郷途中、神社でお参りをしていたところ
弟から「母の容態が悪化した」との連絡が入りました。
雨の中、そして大渋滞にはまりながらも
急いで病院に向かいました。
私が着いた頃には、母は苦痛に顔を歪め
息をするのがやっとという状態でした。
とても結婚式のDVDを見せれるような状況ではありませんでしたが、
何とか写真だけは見せる事が出来ました。
母の手を握り、一言二言交わした後、
苦痛を和らげる為の薬を投与してもらいました。
しばらくは苦しそうな呼吸をしていた母も
徐々に意識を失うような感じで眠りへとつきました。
それでも、時折うめき声をあげ、
何の意思表示なのかはわかりませんが
手を我々の方へ差しのべていました。
その手を握り、語りかけるも
母はもう言葉を発する事はありませんでした。
二日間程病院に寝泊まりし、
弟や親戚の方々と交代交代で看病をしていたのですが、
仕事の為昨晩東京に戻りました。
そして今日、仕事を終えた一時間後位に
弟から電話がありました。
「お母さんが亡くなった。」
と。
覚悟していた事とはいえ
やはり茫然自失になりました。
正直、今現在
こうしてブログを書きながらも
まだ現実として受けとめられておりません。
明日再び帰郷し、
明後日がお通夜、その翌日がお葬式という事になりそうですが、
もしかすると、それが終わるまでは
実感が湧かないかもしれません。
こういう事になり
各現場に迷惑をかけております。
特に事務所には、
二週間前はお祝い事、そして今は弔事と
色々と仕事の調整をしてもらい
迷惑をかけっぱなしでございます。
僕も次から次へと大きな出来事が続き、
精神的に疲労困憊の状態であります。
しかしながら、色んな事が起こるのが人生。
起きてしまった事は何であれ受け入れねばならない事も、
辛い出来事は時が和らげてくれる事も
頭では分かっています。
それにしても改めて思いますが、
僕の中で母の存在は大きかったようです。
母に褒めてもらいたくて
色々と頑張ってきたような気すらします。
これから先、
母に褒められる事はもう二度とございませんが、
それでも頑張っていかねばなりません。
天国で再会した時に褒めてもらえるよう
頑張っていかねばなりません。
薬を投与された後、
薄れゆく意識の中でしたので
届いたかどうか分かりませんが、
手を握りながら母に言いました。
「お母さん、今までありがとう。
俺はあなたの子供で本当に良かったよ。」
それを最後に言えた事が、
僅かではありますが
僕の救いとなっております。
長文、失礼致しました。
平成24年7月23日 小山剛志