香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ  渡辺和子先生の言葉から

2014年03月21日 08時29分11秒 | Weblog
介護福祉士訓練同級生のJ・Yさんへ

長い間、一生懸命ありがとう。赦さない、とかと言う意味ではありません。

あれだけ、危険な感じの学校ですから、社会的に、あなたは、あまりに、若さを、強調された年齢ですから、

私も、最初から、緊張感を、持って、見守っていましたが、理解を、超えた空間的な別の場所でのことについては、良くわかりませんでした。

初め、大変まじめに感じましたが、私も、教室の皆、教員の思いと言うものを、精一杯に、善意に、とらえようと必死でした。

ですから、年がいもなく、いろいろ驚きました。

その中で、USAの皆さんからの、そして、UK、ヨーロッパの皆さんからの励ましで、思い切って、結婚の話を出しました。

しかし、あの環境では、そのような問題をも、悲劇的なコメディアンにされた感じです。

たぶん、それが、日本社会の、普通のことなのだろうと思いますが、私の、ヨハネパウロ二世以来の、私の結婚についての相談や勉強は、

そんなに甘くないもので、しかし、強い愛を求められました。今でも「決してあきらめるな」と言われている感じです。

この二年の間に、私は、3人の司祭に話したと思います。

きっと、彼らは、もっと、私を、疑っていて、「暴力的に違いない」と思っていたことと思います。

ですから初めは、亡くなった東京修道院長だけが、長く私を、知っており・・・25年の間いろいろ叱責されながら、

この問題を、考えて、私を良く知っていました。

それで、初めは、H教員が、東京の話で、私に、近づいてきたのです。

長い間彼らの年代は、こちらの地域にいた、亡くなった東京修道院長に異常にお世話になったのです。

甘えを通り越していましたが、プライドの高い「神父」ですから、そのようなことは、小さなことで、どうでも良いことでした。

つまり、私のように、良く話を聞いて、自分の考えを、理解してくれる人を、求めていたわけです。

だから、私は、大変苦労して、ミサの流れや言葉の意味や、それぞれの立場での、ミサ中の動作の意味を、かなり、詳しく知っていて、

司祭か司教にも、なれるかもしれないほどの知識が、ありますが、私たちは、ほとんど英語を、使う環境になかったことと、

亡くなった東京修道院長は、フランス語圏の出身で、フランス語でしか、細やかなことは、話せなかったのです。

それでも、私は、彼の希望で、日本語で、かなり良く聞き取りましたが、それでも、細やかなことを、伝えられないと言って、私に、怒っていました。

郵便局は「真っ向サービス」なんていう、ポスターがあったほどに、日本中心の社会でしたから、

日本語、そして、仏教徒以外は、だんだんに、ほとんど無視されたのが、最近です。

それまでは、新しいこととして、子弟を「ザべりオ学園のようなミッションスクール」に入れることも多少、逸っていましたが、

だんだん、そんなことを、知らない人々が、年齢を重ねて役職についてきたりしていました。先日のJRの件すいませんでした。

さて、急に、私たちのことに入りますが、私側からすれば、あまりにも、会話不足です。

学校では、他の若い男子学生の興味本位の干渉から始まったとは言え、あれでは私の存在はありません。

それでも、経験を考え、きっと、いつか通じると思い準備しながら待っていました。

しかし、これまでの通りに、他者の干渉や、他者からの求婚のようなもの、悪意的な、性的な遊びに走るものばかりが、

まかり通ってしまっていたと言えます。授業のすすめ方の問題も、各教師ありますが。

私自身は、あなたを、かわいくないとか、きれいでないとかと思ったことは、ありません。

環境の問題で、最悪であったから顔に笑顔が、出なかっただけです。

とにかく、今後お会いできるのは、ミサのときだけです。

しかし、ミサには、細かく、様々な意味があって、教えないといけません。私が、あなたを、みかけたからと、席を、はずすのも一つの方法ですが、

一連のミサの流れが、ありますから、初めは多少、退屈でもわかれば結構楽しいものです。・・・信用してもらえればですが。

はっきり言って、信用したほうがいいです。間違いないです。

無理に信者になれとは言いません。とにかく、きたら、私を、見つけて、他人は、干渉しませんが、時が、来るまでは、他の人とも、

楽しく出来ないはずですが、無知だと思われて、軽く見られないようにしながら、私の横に座ってください。

では、長くなりました。このことはもう書きません。ご存知の方も宜しくお伝えください。

私としては、心変わりを、しないように頑張ります。しかし、求職中ですから、ご理解ください。

では、この世界中の皆様の神様の恵みと平安と祝福とが、ありますようお祈り致します。

Pietro Francisco Xavier 澤口 宏行

********************渡辺和子先生の愛と励ましの言葉366日から**********************

3月21日

教育者は「忘れられて喜べる人」でなければならない。

教え子が自分をこえて成長し、教師を忘れるまでに新しい人生にうちこんでいる姿を心から喜び、

祝福する心こそは教育者の心であろう。

                         美しい人に

***********************転記終わり************************************


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