香湧水(澤口 宏行)

近況や意見、呼びかけ、個人の研究成果など。

聖書の親しみ   コリントの人々への手紙9章9節~12節

2013年10月06日 21時41分10秒 | Weblog
皆様こんばんわ!



私は、今日は、一日中、充実した時間を、過せました。




今日のミサでは、1年ぶりぐらいで、第一朗読が、偶然に、回ってきました。




今日の、婦人部の人が、用意した人が、休んだとの事でした。




おかげで、なんだか、久しぶりで、心地よい奉仕に、ありつけたわけですが、一読したあとでしたが、本が代われば、別の内容に見えて、ちょっと、舌が






もつれました。   ・・・感傷に浸りすぎです。





そして、今日は、たくさんのフィリピン人奥様達と一緒に、英語でのロザリオに参加して、大半をタガログ語?で行き交う不思議な会話の中に居ました。





そして、物理の学習も出来たし、母の介助と一週間分の自分の衣類の洗濯も出来た。・・・ついでに!ちょっと多いけれど、磯部焼きなど食べてしまっ





た。かなり満腹でした。・・・この頃食事が多めです・・・気をつけなくては。





さて、私の「婚約指輪」も安く手に入ったので、後は、適切な時が、与えられて、安らかに、滞りなく、結婚の準備が、進んでいくことを、願っていま




す。   つまり、まだ、贈り物として用意した結婚指輪もネックレスやブレスレットや携帯ストラップを、渡す時間と環境と心理状態が整いません。





最も勉強も忙しいので、勉強が一段落して、心のゆとりが、私らしい人格になるまで、待って、当たり前なのですが。





私が、まちがっても困るので、全ての時を、神に委ねたいと思います。それに、まだ、注文が、届いていないし・・・。





では、世界中の、私達の恩人達や、大切な友人達、そして、全ての人々に、それぞれに、相応しい主の恵みと平安と祝福が、ありますように、祈ります。




**********今日の聖書の転記箇所  コリントの人々への第一の手紙9章9節~12節*****


モーセの律法には、「脱穀している牛に口籠をかけてはならない」と書いてあります。



神は牛のことを心にかけておられるのでしょうか。それとも、ほんとうはわたしたちのためにこう仰せになっているのでしょうか。



もちろん、わたしたちのためにそう書かれているのです。耕すものが望みをもって耕し、脱穀する者が収穫の分け前にあずかる望みをもって脱穀するの



は、当然だからです。



もし、わたしたちがあなた方に霊的なものを蒔いたのなら、あなた方から物質的なものを刈り取るのは、大それたことでしょうか。




もし、ほかの人々があなた方に対するこの権利を自分のものにしているなら、わたしたちはなおさら、そうしていいのではないでしょうか。



******以上聖書からの抜粋終わり*****


日本だけでは無いと思いますが、多様化した価値観の氾濫によって、下克上やカオスのような、価値観のアンバランスの上に、毎日の重要な政治や、市民




生活があります。  




私達は、十分に、気をつけないと、それに気づけない時代だし、互いに傷つけるだけになっているかもしれません。




毎日の貴重な時間を、十分に、注意深く、最善に、生きていくようにしたいものです。



Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.










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