なんとか試験は全部書きました。全部100点満点ならいいかもしれませんが、少しは間違えたかもしれません。
一番年取っている、しかも、独身なので、このあたりで、ちゃんとしたところを、見せたいものです。
その間に、少しよく覚えているのが、NHKで、私たちが子供の頃に、小説でしか見たことのない「庭で狩りをする」USAの家族が映って、銃規制についての反対を述べていました。
確かに、日本以外の国のことを、私は、よく知りませんが、日本でも、昔から、古い槍を飾っておいたり、日本刀を飾っておいたり、私は、人の血を流したものは好きではないので、それでも模造刀を、机の脇に飾っています。
それで良くなった事は、精神的に自分の限界まで、適度に緊張を保てることです。
ただ緊張は、人間の精神に良い影響ばかりではないと思いますけれども、今のところ悪くないと感じています。
その意味では、確かに、USAの優秀な市民の皆様の心の糧?のようなものであって、決して悪いとは思いません。
それでも、もうひとつの緊張感として、真の正義を守るための備えとしての緊張感として、銃の登録制度は、良い事と思うのですが、いかがでしょうか?
多分ここまで書けば、「真の自由は、国の権威になど頼らないことだ」と猛反発したい皆様もいると思います。
そしてそれは、今は十分に年をとって、国の仕事をある程度したあとで、学問に苦労している生活も十分に長くなった今、そして、結婚して、家族をしっかりと守らなければならない今、大変良くわかります。
しかし、人間は、いつからかわかりませんが、全ての人々が、「神の意思」を確認しながら、子供を産んだり育てたりしていません。
それは、結果的には「神の心の広さ」をカトリック教会は、今、アピールしていますし、そして、そのとおり神の心は広いと思います。
しかし、それは、私たちが、医学的に知る「生物としての人間」の原理に従っています。
それは人間生活として、男女の愛をかなり限界まで、容認し、今では、同性愛さえ容認されるに至っています。
ですが、これは、決して喜ばしいことであるとは言えません。
本来の「人のあるべき姿」は、旧約聖書において、急激に壊され、神に限りなく広く赦されました。
それでも神は、確かに、そのことを反面望んでいないのです。
本来の幸せを生きて欲しいというのが、神の望みです。
しかし、学問的に言い表せば、人間の罪を許したほうが、幸せが残る可能性が高いか、人間の罪を裁いて、幾人かの直接の悪を死に至らしめるかのどちらが結果的に良い結果を少しだけ多く残せるかに過ぎないのです。
ここで私は、神の代弁を、してしまったことを、心から神にお赦しを請い願います。
つまり、人間の私が想像しても、解らない広さについて人間の立場から、限定的に表現したからです。
私は、専門的に神学部にいたことはないのですが、このように考えたのが旧約時代の理想的な判断の仕方だと思います。
そして今は、新約の時代、しかも2000年が過ぎました。もし、キリストの十字架後と考えるならば、もう少し時間があっての2000年ですね。
まだ、あと20年あるのでしょうか?しかし、そのことも、人間の私たちが勝手に判断すべきことではありません。
クリスマスを公然とお祝いする今の、私達、世界中の人間にとって、やはり、2000年は、過ぎたと思います。
いずれにしても、精一杯与えられた時間をしっかりと過ごすべきなのです。
そして、多分、「運命」などというのは存在しません。精一杯の命のギリギリまで努力することによって、全ては好転します。
日本の皆様にとって、日本海はじめ、海は重要なので、島の問題は重要に思うのだと思いますが、多くの日本の人々にその問題は意識されません。
そして、それは、そのほうが、正しいと考えられます。
なぜなら国境とは人間のエゴと思いすごしから存在しているに過ぎないからです。
真の心では、皆、目の前の人々と正しく心地よく愛し合えれたらいいと思うに違いありませんから。
ただ問題は、その擬似的体験が、できる人々は、多くないということと、それが出来る条件が揃っていても、多くの場合に、異常で、他の人々には、気づいてもらえない程多くの努力が、必要なことが多いと思います。
ですからやはり、それが出来た時に、政治的にしっかりとした土壌を築き、学問的、教育的なしっかりとしたバックアップが必要です。
そして、私は、個人の富は、それが、大きな富になる人々は、本当に稀であること、しかし、それを有効に使えるようになる人々も希であることを知っています。
つまり、やはり正しいことを追い求めなければ、人間は、幸せにもなれないし、多分、何も残せないし、死んだあとに天国にゆくこともできません。
もちろん神は、「新約聖書」において、キリスト様の言葉から「信じる」ことにより、それだけで赦されその門を通ることを約束しました。
十字架刑の最中、キリスト様が、亡くなる直前の出来事であることを、今生きる私たちは、聖書から読み取れます。
しかし、宣教中のキリスト様は、「神のみこころを行いなさい」とも言っておられます。
つまり、今の私も含めて、元気で健康な間には、十分にその行動に良心が伴うことを教えています。
私のこれから行おうとしていた医学は、その問題について、人々の病気とともにわかりやすく、一緒に考え、体を直してゆくことです。
そしてそのために、オバマ大統領に書いたことは、日常生活を、健康で、自由に生き、正義と愛に満ちた生活を送れるようにすることです。
まずはここまで、今の私はお金がないので、まず、介護の2年生になれたら、カトリックの奨学金の対象になるかどうかを、主任司祭に聞いてみます。
そしてそのお金が十分ならば、もしかしたら、ガールフレンド・・・これからお願いするのですが、と一緒に・・・これから頼んでみてUSAを訪問します。
もしお金が十分でなくても少し対象になるならば、自分のマイカーを買って、もっと十分に行動を広く取るようにします。
そして、筑波大学の医学コースに合格できて、十分良い奨学金ならば、結婚を頼んでみて、それからワシントンD.Cを訪問します。
もちろん、USAで思いっきり頑張って、USAで結婚するのも良いのですが、前にブッシュ大統領の時に、私は、銃で撃たれる夢を見たので、その若い私は思いとどまりました。
そしてよく考えると、日本の政治も大変危ないのです。アジアの平和も考えに入れる必要があります。
そして、当然、アラブやイスラエルやイスラム国の皆様についても。
もちろん私自身は、オバマ大統領を信頼できますので、人として私たちは愛し合い続けると思います。
それが第一です。
ビル ゲイツさんもメール嬉しかったですし、今は多い時は一日200通のメールが、世界中からあります。心から感謝します。
放送大学教養学部自然と環境コースの学習も楽しいです。
では長くなりましたが、皆様の心からのご健康と神の祝福とお恵みがありますよう心からお祈りいたします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti
一番年取っている、しかも、独身なので、このあたりで、ちゃんとしたところを、見せたいものです。
その間に、少しよく覚えているのが、NHKで、私たちが子供の頃に、小説でしか見たことのない「庭で狩りをする」USAの家族が映って、銃規制についての反対を述べていました。
確かに、日本以外の国のことを、私は、よく知りませんが、日本でも、昔から、古い槍を飾っておいたり、日本刀を飾っておいたり、私は、人の血を流したものは好きではないので、それでも模造刀を、机の脇に飾っています。
それで良くなった事は、精神的に自分の限界まで、適度に緊張を保てることです。
ただ緊張は、人間の精神に良い影響ばかりではないと思いますけれども、今のところ悪くないと感じています。
その意味では、確かに、USAの優秀な市民の皆様の心の糧?のようなものであって、決して悪いとは思いません。
それでも、もうひとつの緊張感として、真の正義を守るための備えとしての緊張感として、銃の登録制度は、良い事と思うのですが、いかがでしょうか?
多分ここまで書けば、「真の自由は、国の権威になど頼らないことだ」と猛反発したい皆様もいると思います。
そしてそれは、今は十分に年をとって、国の仕事をある程度したあとで、学問に苦労している生活も十分に長くなった今、そして、結婚して、家族をしっかりと守らなければならない今、大変良くわかります。
しかし、人間は、いつからかわかりませんが、全ての人々が、「神の意思」を確認しながら、子供を産んだり育てたりしていません。
それは、結果的には「神の心の広さ」をカトリック教会は、今、アピールしていますし、そして、そのとおり神の心は広いと思います。
しかし、それは、私たちが、医学的に知る「生物としての人間」の原理に従っています。
それは人間生活として、男女の愛をかなり限界まで、容認し、今では、同性愛さえ容認されるに至っています。
ですが、これは、決して喜ばしいことであるとは言えません。
本来の「人のあるべき姿」は、旧約聖書において、急激に壊され、神に限りなく広く赦されました。
それでも神は、確かに、そのことを反面望んでいないのです。
本来の幸せを生きて欲しいというのが、神の望みです。
しかし、学問的に言い表せば、人間の罪を許したほうが、幸せが残る可能性が高いか、人間の罪を裁いて、幾人かの直接の悪を死に至らしめるかのどちらが結果的に良い結果を少しだけ多く残せるかに過ぎないのです。
ここで私は、神の代弁を、してしまったことを、心から神にお赦しを請い願います。
つまり、人間の私が想像しても、解らない広さについて人間の立場から、限定的に表現したからです。
私は、専門的に神学部にいたことはないのですが、このように考えたのが旧約時代の理想的な判断の仕方だと思います。
そして今は、新約の時代、しかも2000年が過ぎました。もし、キリストの十字架後と考えるならば、もう少し時間があっての2000年ですね。
まだ、あと20年あるのでしょうか?しかし、そのことも、人間の私たちが勝手に判断すべきことではありません。
クリスマスを公然とお祝いする今の、私達、世界中の人間にとって、やはり、2000年は、過ぎたと思います。
いずれにしても、精一杯与えられた時間をしっかりと過ごすべきなのです。
そして、多分、「運命」などというのは存在しません。精一杯の命のギリギリまで努力することによって、全ては好転します。
日本の皆様にとって、日本海はじめ、海は重要なので、島の問題は重要に思うのだと思いますが、多くの日本の人々にその問題は意識されません。
そして、それは、そのほうが、正しいと考えられます。
なぜなら国境とは人間のエゴと思いすごしから存在しているに過ぎないからです。
真の心では、皆、目の前の人々と正しく心地よく愛し合えれたらいいと思うに違いありませんから。
ただ問題は、その擬似的体験が、できる人々は、多くないということと、それが出来る条件が揃っていても、多くの場合に、異常で、他の人々には、気づいてもらえない程多くの努力が、必要なことが多いと思います。
ですからやはり、それが出来た時に、政治的にしっかりとした土壌を築き、学問的、教育的なしっかりとしたバックアップが必要です。
そして、私は、個人の富は、それが、大きな富になる人々は、本当に稀であること、しかし、それを有効に使えるようになる人々も希であることを知っています。
つまり、やはり正しいことを追い求めなければ、人間は、幸せにもなれないし、多分、何も残せないし、死んだあとに天国にゆくこともできません。
もちろん神は、「新約聖書」において、キリスト様の言葉から「信じる」ことにより、それだけで赦されその門を通ることを約束しました。
十字架刑の最中、キリスト様が、亡くなる直前の出来事であることを、今生きる私たちは、聖書から読み取れます。
しかし、宣教中のキリスト様は、「神のみこころを行いなさい」とも言っておられます。
つまり、今の私も含めて、元気で健康な間には、十分にその行動に良心が伴うことを教えています。
私のこれから行おうとしていた医学は、その問題について、人々の病気とともにわかりやすく、一緒に考え、体を直してゆくことです。
そしてそのために、オバマ大統領に書いたことは、日常生活を、健康で、自由に生き、正義と愛に満ちた生活を送れるようにすることです。
まずはここまで、今の私はお金がないので、まず、介護の2年生になれたら、カトリックの奨学金の対象になるかどうかを、主任司祭に聞いてみます。
そしてそのお金が十分ならば、もしかしたら、ガールフレンド・・・これからお願いするのですが、と一緒に・・・これから頼んでみてUSAを訪問します。
もしお金が十分でなくても少し対象になるならば、自分のマイカーを買って、もっと十分に行動を広く取るようにします。
そして、筑波大学の医学コースに合格できて、十分良い奨学金ならば、結婚を頼んでみて、それからワシントンD.Cを訪問します。
もちろん、USAで思いっきり頑張って、USAで結婚するのも良いのですが、前にブッシュ大統領の時に、私は、銃で撃たれる夢を見たので、その若い私は思いとどまりました。
そしてよく考えると、日本の政治も大変危ないのです。アジアの平和も考えに入れる必要があります。
そして、当然、アラブやイスラエルやイスラム国の皆様についても。
もちろん私自身は、オバマ大統領を信頼できますので、人として私たちは愛し合い続けると思います。
それが第一です。
ビル ゲイツさんもメール嬉しかったですし、今は多い時は一日200通のメールが、世界中からあります。心から感謝します。
放送大学教養学部自然と環境コースの学習も楽しいです。
では長くなりましたが、皆様の心からのご健康と神の祝福とお恵みがありますよう心からお祈りいたします。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti