こうたろうつれづれ

生活からの気付き・思いつきなど

昨日、今日の平針の里山

2010-05-31 11:29:07 | 日記
気温20度、いつもと変わらない里山がありました
昨日は2度目のバケツ稲の田植えが行われました
消え去るかもしれない里道で
田んぼの横で行われるバケツ稲の田植えは
考えさせられる事も多く楽しんで参加しています

無尽の包容力があると思われていた自然の恵みも
限りあるものだと知らされている現在
私たちはどの様に自然と向き合わなければいけないのか
多くの人が考えて行動に移す事が急務だと言われています

具体的に行動する事は楽しいものです
ブログで文字にしているのは
準備体操であり整理作業のようなもので
多少の苦痛も伴うのですが
行為、パホーマンスは一つに集中でき楽しいものです
現在は、わたしは平針の里山に関連して
自然環境の問題点と向き合っていますが
具体的な案件は身近なものであれば何でも良いのではと考えます

但し、身近な案件の方が馴染みやすものです
今まで気にもしなかった気温が
暮らしの目安として入り込みました
天気予報にある気温も気にはしていましたが
それだけで終わっていました
今は温度計を見て、その日の具合を見回して
今日は何度なんだと確認すると
結構、暮らしを感じ取る事が不思議と出来るのです

情報も行け付くまでの過程が大切で
手軽に手に入れればそれだけ軽くなってしまい
身に付きません、多くの付帯情報が欠落するからでしょうか
どこかへ行く時も、徒歩何分、歩数何歩と計ったり
ここのお店は家より何メーター、何キロ
車で何分、徒歩何分、どの道を通って来たら何々と
考えてみる、計ってみると、また別の見方が出来るかも
そんな事を考えました

昨日は東京の環境省で

2010-05-28 07:47:10 | 日記
昨日は環境省での記者会見に同席させて頂きました。
平針の里山が宅地開発事業で消え去ることの是非を訴えるものです。
そして、平針の現地では開発業者が工事に着手しました。
工事手続きの不備で昨日の開始は見送られましたが、
今後、開発工事と向き合う事になります。
理念とか、考えは現実に即して変化しますが、
法の整備は一歩も二歩も遅れた対応になります。
環境保全の訴えはまだ法の整備を求める段階で、
実行力の助けにはなりません。
しかし、法の力を借りない世界もあります。
民意が変われば即、実行力になります。
政治の世界が変わらなくても環境保全は可能です。
一人一人の気持ちが変われば、法が変わったのと同じです。
法があるからと言う基本もありますが、
法の有無に関係なく理想世界は作れるのではないでしょうか。
同時進行で行われるのが良いように思われます。

よく考える事ですが、一般市民は法の専門家でもなんでもないのに、
法を犯さず暮らしています、それは、理性とか常識とか道徳とかの
基本的な考えをもとにすれば、
法を犯す事も無く暮らせると言うことだと思います。
寄付による世界創出を言いますが、
義務ではなく自由意思で理想を現実のものにする為でしょう。
一人一人の力で理想を実現させる方法だと思います。

そんな悠長な事を言っているのも今のうち、
造成工事の阻止に向けて知恵を絞らないといけないのです、
私の場合は。
そのうちにここが工事記録にならないように、
努力しようと考えています。

明日、工事は行われるのか?

2010-05-26 16:19:22 | 日記
午後に明日から工事が行われるとの知らせが入りました。
多分、今回は行われないと思っています。
平針の里山の開発申請は㈱シィールズでなされていて、
㈱菊和さんでは行えないのですから、無理があります。
工事会社も鴻池組ではなく七番組では全く無理です。
なぜ、こんなでたらめな事をするのでしょう。
理解出来ないのです。
ここまでの手続きも理解出来ない事で進められているので、
なんでも出来ると思われているのかもしれません。

真正な手続きで変更すれば出来ない事もないので、
なぜ、手続きをしないのか疑問です。
乗り入れ口の道路使用も許可が必要です。
側溝を跨ぐのだって土木事務所の許可が必要ではとも思います。
それに、公共施設の管理者より同意を得た時の条件として、
工事の前には地域住民へ十分に説明をする事とあるのです。
学童への案内もされていないのではと心配です。
前日に工事案内の紙切れ一枚を配る事で済まされるものではないのです。

関係者との十分な協議を行い、了承を得てから工事にかかれるのです。
工事は工事現場周辺の関係者へ不利益を与えるので
その対処の上で仕事が出来る事を認識して行う必要があります。
勝手では済まされない仕事なのです。
全くこの辺りの認識が欠落している工事ではたまりません。
トラブルにならないように祈るばかりです。

と言っても工事そのものを許容していませんので、
綺麗事になりますが、
そして、仮に、許可取り消しの場合には現況に戻す事になると思うのですが
どれだけの費用を必要とするのか皆目分からない高額なものになるのではと、
心配しています。
それが負担出来ないとなるとその費用は誰の所へ行くのでしょうか。
その心配もしています。
リスクとリターンを考えた時に事業として成り立つのでしょうか?
多分、その場限りの事業所の様に思えてなりません。

今日の里山、その2

2010-05-25 17:59:46 | 日記
気温25度、バケツ稲異常なし
と書き始める事3度目
このブログのシステムの欠点
投稿出来ないのに記事が書ける事
投稿してみて書き込みへの入り方が悪かった事が分かる事
多分今回は問題ないと思うけれども
少し嫌気がする

今日は里道について書いている
里道が人々の暮らしと関わる事
土地の機能は道があっての事など
街づくりに道を考える事が重要との考え
これは、講演で聞いてから忘れられない

不動産の取扱は一にも二にも道
人の動き、流れを知る事が大切
もうひとつ、講演で聞いて忘れられないのが
土地の価値はその土地を人が踏む数で決まると言うもの
ならば、道ほど価値の高い土地はないのだ

里道は気持ちが良い
規格で作り上げられていない
人が関与しているけれど
それは地形に対応しているだけで
作為はないからなど
理屈はあるかもしれないけれど
理屈抜きに里道を歩くのは楽しい

でこぼこが気持ち良い、心地よい
だから、皆に里道を歩いて欲しい
しかし、里道はどこからどこまでかが分かり辛い
昔なら人が歩ける所が道で済んだかも知れないが
今の時代ではそうもいかないだろうから
安心して通れる里道にしたいと思っている

どうせ、バケツ稲を毎日見に通うのだから
手入れをしながら歩こうと思っている

今日の里山

2010-05-24 17:38:10 | 日記
今日、雨が上がった後に
昨日のバケツ稲田植えを見に行った
気温21度、昨日は18度だった
バケツの中は土の部分と水の部分に分かれ
その中に稲がしっかりとあった
来週の日曜日も、再来週の日曜日も行われる
里山で稲を育てる事は面白い

何もしなければ、竹が生えて来て
竹林になる
木も育ってくるけど竹には敵わない
自然と人の関わりは人の暮らしから
人の暮らしは食べ物からと言う事で
稲を育てる
育つかどうかは分からない
相手は自然だから、経験が無いから分からない
それで、考える、勉強する事になる

その過程が面白い
きっと夏になれば水不足になるだろう
水やりが楽しくなれば良いと思う
稲が育つ事を祈って水をやる
水をどの様に準備したら良いのかを考える
雨水を貯めるにはどうしたらいいのか考える
考えを行動に移して不足はないだろうか

いろいろと考えるからわくわくする
なる様になるさと思ったらわくわくは無い
やらなければいけないと考えたら負担になる
したいと思うにはどうしたらいいのか
稲の育ちを良く見てみたら良いのだ
田植えの時の事を思い出し
秋の実りを想像したら
楽しい作業だと思うに違いない

ここの違いを作る事が
バケツ稲の核心部分になる
楽しく、面白くするにはどうしたらいいのか
稲を知る、もっともっと知りたい
なぜ、なぜと考える感覚を身に付けたい
稲と友達になるにはどうしたらいいかとも考える

植物も動物も生き物だから
その生きざまを知りたい
そんな事を考える昨日今日の里山行事です