こうたろうつれづれ

生活からの気付き・思いつきなど

平針の里山の年末は

2010-12-28 09:01:41 | 日記
2010年もあと残す処数日となりました。
今年の後半は開発工事現場に毎日佇む事が日課になり、
このブログからも遠のいてしまいました。

現地現物の基本から物事は始めなくてはいけません。
戒めの為に工事現場入り口に立って、
いろんな事を考えていました。
里山が消え去る姿を看取る事は、
保全を訴えかけた責任の最後の行為だと思うからです。

工事現場の廻りは区画整理事業で出来た住宅地です。
開発が行われている工事現場の里山も、
すでに宅地になってしまった住宅地も、
自然豊かな土地であったことに変わりがない様にも思えます。
程度の差はそれぞれの立地条件であったにしろ、
我々が暮らす土地も里山であったことに変わりはありません。

しかし、その時々の状況に違いがあるのです。
開発、開発でこの先の生活がより向上するのでしょうか。
その先に問題が発生しなければ、一つの選択肢ではあるのでしょうが、
今の暮らしのなかに自然環境破壊による弊害が現れてきています。
夏には猛暑、時には集中豪雨、そして世界的な気候変動が起こっています。

今までの様に生活していたら大変な世の中になってしまう。
誰もがうすうす感じ取って、なんとかしなければと考え出しています。
そんな中の一人として里山の保全活動に取り組んでいます。
世の中の流れとしての開発は急には止まりません。
車と同じで急には止まらないのです。が、
止まるためにはブレーキをかけないと止まりません。

平針の里山を守る事が最初の一歩でした。
それが出来ないのであれば次につなげないと意味がありません。
瞬間的に刹那的に利己的に、ここだけを守りたいと思ったのではないのです。
開発の流れを止める、自然環境を守る、そして生活を続ける、
その為の仕組みを作りだす事が目標です。

健全な市民生活を送るにはどうしたら良いのかを考える事です。
健康の為にタバコを控えようと言う世の中です。
喫煙習慣を理由にした権利の主張は認められないのです。
開発事業も同じだと私は考えますが、いかがでしょうか。

平針の里山に住んでいたタヌキは

2010-11-05 20:13:16 | 日記
平針の里山にはタヌキが住んでいました。
この度の開発工事でその住まいを失い逃げ迷っています。
そこで区役所へ相談をしましたが名古屋市では
窓口すらみつかりません。
動物愛護、生き物を大切にとは言いますが。
住みかを失ったタヌキには何もしないのです。

第一の問題は表面的に綺麗事は言うが
実行をまるで考えていない事。
言う事と行っている事がつながっていない事です。
口先だけの行政だと言う事です。

次は平針の里山の開発許可に関れして
我々地域住民もタヌキと同じように
そんな事は知らない、考えた事も無い。
開発は開発行為を行うものと話し合うだけ。
われわれもタヌキ同様の扱いを受けている事です。

なにが影響するか
行ったらどんな変化を引き起こすのか
事前に考えるのが一般的な思考ではないでしょうか。
物事の後先を良く良く考えて判断するのが賢明と言われます。

この件から動物愛護に目覚めました。
タヌキの身の上がしっかりと実感できる
疎外された地域住民だからです。

平針の里山は名古屋の宝です

2010-11-04 12:50:25 | 日記
谷津田の勉強にはもってこいの場所なのです。
と言っても谷津田ってなあに、と言う事になるのですが、
山があって、ため池があって、田んぼがあるところ。
農業の原型でしょうか?素人なのでこれくらいの理解です。
そんな勉強をしようとすると、遠くまで出かけないとないのです。
別に特別な場所と言う所でもないのに。
生活と密着した場所です。お米を作るための場所ですから。
日々の暮らしの基本が自分の住まう場所と遠く離れて存在することは、
その大切さを実感する機会を奪ってしまいます。
まだまだ名古屋はちょっと車を走らせれば、
コメ作りの現場を目にする事が出来ます。
東京あたりだと大変難しく田んぼすら目に出来ないそうです。

田んぼには生き物がいっぱいいます。
人間がいっぱいの生き物と共に生活を営んでいる事が実感できるのです。
今のところ名古屋のなかでこんな条件を持っている所を私は知りません。
30分もあればその機能がおおよそ全て理解できる場所なのです。
市内にこんな場所が他にあるのでしょうか?
あればご紹介下さい。それは宝です。

そんな宝が消え去ろうとしているので、
何とかしたいと言うのが私たちの気持ちです。
ですがこの気持ち、考え、価値観がまだ十分に理解をえていません。
COP10で生態系の大切さが訴えられましたが
一方では経済活動もあります。
この対立を協調にする仕組みを探し出す会議でした。
平針の里山の課題はCOP10の課題そのもので身近な事例です。
議論を深めるにはもってこい、他人事を自分事に出来る機会なのです。
多義にわたるいろんな考えを出して考えたいと思います。

開発事業とお金の話し、平針の里山は

2010-11-03 11:32:04 | 日記
開発事業で銀行から融資を受けようとすると
開発許可後を条件とするのが一般的です。
事業者の金利負担が軽減出来ますし、
銀行も開発許可の過程で事業性が判断出来ます。
しかし、平針の里山の場合、
十六銀行は開発申請前から融資を行っています。
多分推測ですが、業者が取得する前の地主さんの要望からでしょう。
事業収支の最大の関門がどの案件でも発生します。
土地の購入代金は事業資金の大半を占め、
その利息は収益を圧迫します。開発事業のポイントです。
この様な事態は多いのですが、
そのリスクは買取価格に反映されますので、
収支の計算上はそれほどの障害になりません。
問題は開発事業が及ぼすもろもろの影響が
どの様に現れるかです。
大規模な開発は大規模に影響を及ぼします。
こんなところからと思わぬクレームに出会う事も多く
リスクが見えない、見えずらい事です。
なのに、すでに事業がスタートしてしまっている事が
最大のリスクなのです。開発許可が下りる前提でお金が動くのです。
事業者は開発をしないことにはどうにもならないのです。
故に、全ては開発ありきで、関係利害者との対話が成立しません。
上記の理由で開発資金の融資を、まともな銀行は、
開発許可後と言う条件を付けるのです。
結論有りきの話し合いは出来ないからです。
融資の有無がその状況を作ってしまうから慎重な姿勢を崩しません。
開発有りきの状況を作ったのは十六銀行なのです。
そして、十六銀行は自らの判断で行って、なにが悪いのかと言っています。
そう言うからのは自己責任は当然負うべきだと私は考えます。

今日は暇なのでもう一本

2010-11-02 16:40:41 | 日記
平針の里山は開発か保全かを勉強する絶好の場である。
去年の暮れに開発の許可が下りた。
そして、この10月から工事が着工されたのだけれど、
この間は何を意味するのだろうか?
ここからの推測が勉強になると思っている。
本来は開発資金を十二分に確保した上で開発事業は行われる。
資金的な影響で事業計画は滞らない。
まず第一に考えられるのは施工業者の選定が難航している。
名義の会社は所有者で埋められているが実際に工事を請け負う会社が見つからない。
自然環境を破壊する事業に市民の理解は得難いと考える世の中になっている。
手続きが整えば事業が行えるものでもないのだ。
伐採の作業を行う会社はなんとか出来ても次はどうだろうか。
多くは資金の流れと同じように岐阜からやって来ているようだ。
岐阜にはお金を使ってする仕事がないのだろうか。
名古屋の緑を食いつぶして食いぶちにあてている。
自分の家の前で立ち小便をする人はいない。
これから数億の工事代金が発生するけれどそのお金はどこからくるのか?
こんな事を推測する事が経済の勉強の一方法にならないだろうか。
保全では飯が食えないから開発は必要だとの考えと、
このまま開発を続けると地球規模で生命を維持できない環境になる。
両者の考えはCOP10のテーマそのものである。
10か月の間に何が考えられたのか、
それを推測する事がCOP10のテーマを考える事になりはしないか。
身近な事例で考え易いと思う。