こうたろうつれづれ

生活からの気付き・思いつきなど

今日はやっぱりワールドカップです

2010-06-25 08:27:06 | 日記
5時過ぎに起きて勝利の瞬間から
テレビでゴールシーンと応援の模様を見ている
やはり目標は高く掲げないとダメだ
頑張ったのは選手達だ
いろんなコメントに耳を傾けている

そんな中で考える事は政治の世界
参議院選挙が始まったけれど
こちらの世界の選手達はダメだ
リーダーの首相が掲げた目標に
議員はどれだけ努力したのだろうか
出来れば国外、最低でも県外の目標に
どんな努力があったのだろうか

目標を高く掲げ
チームとして努力する姿が見えない中で
頑張ると言う事はどう言う事かを
ワールドカップの勝利が示してくれている
喜びは生活の中に必要不可欠のものだ
応援する事で一緒になって喜びを分かち合える
是非とも実生活の場でも実現して欲しい

個々の生活ではサッカーの試合の様に
目的が明確ではないかもしれないが
それを纏め上げるのも政治家の仕事
市民の声無き声を聞き
目的を明確にする事が第一歩だと思うのだが
この点の創造力が欠如しているのではないかと思う
基地の問題、防衛の問題はすでに現実の問題、
消費税の問題、財政の健全化の問題も現実の問題、
これは目的ではなく目標でもない
これらを解決する為の目標が必要だと思う
そして、その目標はしっかりとした目的から
創造されるのではないかと考えているのだがどうだろうか

組織の蘇生はビジョンとミッションの確立から始まる
そして、その共有、コミットメントが前提条件としてあるので
実生活を知らなければ創造出来ない
だから、思いつきの世界ではない
地道な活動の積み重ねから生み出されるものだとも考えている

平針の里山のケースでも同じ
目的と目標をしっかりとさせ
実行動に置き換えて努力する事
自然環境に配慮しない意識と活動が自然破壊の原因となっていて
持続可能な発展で幸せな生活を送る目的を阻害している
だから、まず原因を取り除く方法を考える事だ
止めれば良いのではなく別の方法を創造しないと解決にはならない
その目標作りが保全活動の生命線
答えが用意されていないので困難ではあるが
創造の世界なので努力は報われると思っている

理念と目標

2010-06-16 14:08:16 | 日記
理念とか目標とかの重要性をしっかりと認識したい。
現状が良いと言えるのか、悪いのかは理念と目標があっての事だ。
現状を追認していては良くならない事は明らかだと思うのだが、
事の良し悪しは現状でしか判断されない。
もっと理念とか目標のところで議論を深めないと、
世の中良くならないと思うのですが。そんな場がありません。

また、身近な事でないと直接の関与がなく、
どちらでも良い様に受け止めてしまいがちです。
そんな意味合いでも平針の里山開発問題は絶好の具体例です。
自然環境を保全した方が良いのか、宅地利用が良いのか。
この問題に対して理念と目標はどの様に関係するのでしょう。
土地所有者の利用権限だけとして現在は扱われています。

これだけの大規模開発なのに住民の関与は一切行われていません。
まちづくりは地主さんが行う事で住民は関係ないと言われます。
その土地の活用は所有者の方の意向が第一です。
この点について疑問を抱く人は少ないのですが、
それなら、個々の土地が集まってのまちづくりについては誰が考えるのでしょう。
学区にある小学校が統廃合されています。
この小学校の理念と目標はどの様に推進されているのでしょう。

学区の将来を少子化の中で考えないといけません。
持続可能な小学校はどうあるべきなのか。
単純に生徒数が増えたから作り、減ったから統合して効率を維持する。
これで良いのでしょうか。小学校には徒歩で通います。
一体何分までが限度なのでしょうか、理想は何分なのでしょうか。
今後とも持続させるのにはどんな人口比率でないといけないのでしょう。

これは一例ですが、地域委員会はこんな事を議論すべきです。
本来は議会がする事でしょうけれど、議員に理念と目標がありません。
市議会ではおしなべて議論出来る状況ではないのです。
中区と市の周辺区では全く状況が異なります。
同じような取り扱いが不可能だと思うのです。こんな疑問すら発せられません。
地域の特性にあわせた課題があるのです。

平針の里山の開発について開発審査会は原告適格の欠如を理由に申立てを却下しました。
一体だれがまちづくりをするのでしょう。
このままだと、地主さんと役人だけになります。
一体、都市計画税は何に使われるのでしょう。
こんな事もこれからの課題になるかもしれません。
勉強は身近な事柄で実際に動いて考えるのが一番です。

平針の里山は?

2010-06-15 13:48:27 | 日記
平針の里山はどうなってしまうのでしょう。
ここのところブログが書けなかったのも
宅地造成工事が始まりだしたから
その対応に忙しくて、ここの書き込みが留守になりました。

どんな状況に行き当たっても問題なのが
里道です。
里道の処分がこの問題の核心になると今でも思います。
開発計画の是非に関わるからです。
公共施設だからです。
まちづくりの基本は道づくりだからです。

第一番目の問題は大規模開発がまちづくりなのかどうか、
単なる一企業の開発事業なのかどうかと言う点です。
今回はこの使い分けが開発業者のいい様に使われています。
まちづくりとしての協議、議論は一切行われていません、
なのに、手続きは区画整理の様な取扱で済まされています。

具体的に言うと里道の通行禁止が開発業者の都合によって行われています。
昨日まで通れた里道がある日突然通れなくなるのです。
公道が一瞬にして事実上、民有地になってしまうのです。
この是非が議論されず、合意形成もされずに行われた事が問題です。
住民による自治と言う掛け声は見せかけのもの、
役人のやりたい放題でいいのかと言う問題です。

官僚の横暴は国の機関だけのものではありません、
県でも市でも同じ事が行われているのです。
市民が無関心なら問題にならないのです。
市民も自分の身の上に起こらなければ気にしません。
そして、事の始りはお金です。
税金や保険料が負担に感じないのなら、
今まで通りの負担金で済むのなら誰も気に止めないでしょう。

財政の破たんを目の前にして事は起こるのです。
各自治体は早いか遅いかの違いだけなのだと思います。
名古屋市の河村市長はこの問題に対して、
減税と言う視点から切り込みました。
破たんを目の当たりにして取り組むべきではなく
いくらか余裕のある状態で考えた方が
良い結果が出せるからだと思うのです。

なぜ、税金の話になるかと言うと、
なにをするにもお金が無ければ出来ないからです。
この平針の里山の公有地化もお金の問題です。
お金が関係しなければ、
誰もが自然豊かな土地として残そうと考えます。
ここに第2番目の問題があります。

理念、理想と現実との狭間の問題。
これに取り組むか、逃げる(目をふさぐ)のか、
ここのところを議論しないといけません。
まちづくりを考えるのならと言う事です。

今考えている事

2010-06-11 13:11:39 | 日記

平針の里山はいま工事が始まろうとしています。
しかし、私たちが提起している問題はなんら解決していません。
今始まろうとしている大規模な宅地造成工事は、
単に個人所有地として行われているものではないと言う事です。
なのに、所有権があるから仕方ないとの考えが依然強く、
ことの判断を誤らせています。

大規模開発はまちづくりなのですが、その話し合いが行われていません。
今の計画において最大の誤りは地域との話し合いの欠落です。
個人所有の利用権で行われるのなら行政と言う住民との話し合いなど必要ありませんが、
そもそも、まちづくりとはどんな事なのか考える必要があります。
都市計画は見直しがされています。以前は国がビジョンを描き、
その中で地域の実情にあわせて運用がされてきましたが、今では、
地域でビジョンを描き、国が国の立場でその整合性を検討して不都合が無ければ、
許可される地域主体のものになっています。
これを市に置き換えても地元地域がビジョンを描き市が全体としての調整を行い、
県が各市の計画を県として全体のバランスをとっています。

たかが里道一つですが、みんなの道路です。
その処遇が役人の意向一つで決められていいのでしょうか。
ここが私のこだわる点なのです。
みんなのものを大切に出来ない世の中で快適な市民生活が送れるのでしょうか。
公共性とは一体どんなものか考える絶好の機会だと思います。
結論を求めるのではなく総意形成に努力すべきと思うのです。
本来は住民の代表たる市議および公僕たる市の職員により公共性は維持されるものだと思っていましたが、機能していません。
理想と現実とのかい離を認めないわけではないのですが、余りにも目を背けた仕事ぶりには我慢がならないのです。
難しい問題が存在していますが、その問題をみんなの問題としないで、綺麗事で済ましてしまい、問題解決への取り組みがなされていません。

今一つこれらの問題が共有されていないので、原点に立ち戻って、なにが問題なのかを訴える必要性を感じています。
無関心、勉強不足から導きだされた結論による不幸を防がないといけないと思うのです。
まさにCOP10の生物多様性の大切さを具体的に認識する場としてこの問題を活かしたいと思います。
こんな考えのもとに我々の運動がなされているのだと言う事を分かりやすく伝える努力不足は我々の責任です。
懇切丁寧な広報を行いたいと思っています。

今後ここにも書き込みします。

平針の里山に業者が入りました

2010-06-03 18:02:39 | 日記
6月3日、開発業者が工事に着手しました。
地域住民は工事前の説明を現場で要求しましたが、
管理者が不在?で対応頂けない為、
天白土木事務所、開発指導課に来て頂き、
業者への指導を行って頂きましたが、
本工事着手前に説明を行うとの返事をもらっただけです。
問題点の一つは開発業者さんの体質です。
事前に説明を行う様に指導されているにも関わらず、
入口付近の住宅数件に案内文を投函しただけで、
説明を行っていると報告を天白土木事務所にしています。
準備工事の仮設工事は本工事ではないので、
本工事前には説明を行いますとの返事ですが、
説明会を行うとは言っていません。
個別対応で逃げる事を考えているのではないでしょうか。
一般常識が通用しない業者さんと対応する事になります。
天白区担当の開発指導課の職員は限定、限定で絞り込みを図り、
関与そのものも縮小して業者任せで事が終息する事を望んでいるようです。
声を上げないと、あなた一人が言っている事でしょ、
多くの善良な市民は了解しているのに、あなた一人が騒いでいるだけですよ、
と言ってくるはずです。
そんな事を言わせない為にも地域委員会が必要です。
地域、地区での説明を求める、それには説明会でと声を出して言わないといけません。
誤魔化されてしまいます。
木端役人の役人根性丸出しの人でした。
役人個人の仕事はそれで成立するかもしれませんが、
暮らしやすい街づくりを考えた時に
なにか揉め事ですかと口を挟んで、その当事者から出しゃばるなと言われたなら、
お節介ですが、一市民と役人とのやり取りに口を挟んで、
役人からお前は関係ない黙っていろと言われる筋合いでもないと思います。
他人の事には口を出さない、無関心さが都市の安全を壊しています。
地域委員会の様な地区、地域の事柄に対して住民がどの様に対処するのか、
今までの仕組みで十分に機能していると言えるのか、
現在の仕組みの中でとりあえず説明会を求めてみます。
事柄は工事に関しての事ですが、その対応は全てに通じているはずです。
暮らしやすい生活環境とはを考えましょう。
一人一人の課題に即して行動をとって頂きたいと思います。
以上、今日の工事着工に際しての感想です。