こうたろうつれづれ

生活からの気付き・思いつきなど

やっと暖かくなりました

2010-05-03 09:39:15 | 日記
このGWは天候が良いとの予報に
気分を良くしていましたが
天気予報も精度が上がり便利になりました。
当たるも八卦の時代もありましたので
つくづく時代の変遷に感謝です。
こんな時代が当たり前で育てば当たり前なのでしょうが
そうでなかった時代を経験している者には
便利さを痛感します。
形態電話もITも
子供の時代には夢物語でした。

多分にそれらの恩恵を受ける側の人間の方も
それ位の変化を遂げているのでしょうか
仮説として、それだけ変化しているとすれば
人間社会も子供の時代の様には過ごせないと言う事でしょうか
人の暮らしは便利になったのだから
幸せ度もそれだけ上がっているはずです。

食べ物に困る事が少なくなった
明日のお米が無くって困ったと言う事も少なくなった
子供の頃は多くの家庭で起こっていたことで
着るものもつぎはぎは当たり前の時代もありました
食べ物に困ったけれど、お金に困ってはいなかった
理屈で考えれば同じ事と思うけれど
お金が無いから食べ物が買えないだけだとも考えられますが
お金で買えない時もあったのです。

そんな感覚がまだ残っている世代に属する私は
幸せを感じずにはいられません
まだまだ、あれも欲しい、あれもしたいとの気持ちが残っています
出来たらの話で、絶対にとの思いはありませんが
不足は感じない暮らしをしていると思うのです

ただ最近はこの暮らしが未来社会のつけで成り立っているのではとの
疑念も無くはないのです
借金で経済は発展しました
現金だけではこれだけの発展はなかったのかもしれません
その借金の返済はどうなっているのでしょう
個人的なものならすぐに分かる借金も
世代間、国際間となるとその責任の所在が曖昧です。

今までの暮らしが
個人の借金ではなく、国の借金で支えられたものなら
誰彼ではなく国民に等しく負担が求められるのでしょう
グループで借金をして楽しんだけれど
返済になった時にグループの存在が無かったら
どうなるのでしょうか
そして、そのお金はどこから借りたお金なのでしょうか
誰が貸してくれたのでしょう

物事を単純にして考えた場合に分からなくなる
誰でも理解しやすく、考える事が出来る様に
ならないものかと思ってしまいます
天気予報の様に経済見通しもならないのでしょうか