こうたろうつれづれ

生活からの気付き・思いつきなど

雑多の中から

2010-04-30 09:31:23 | 日記
あれやこれや思いついた事とか
頼まれ事とか
私のやっている事にそれほど体系はない
唯一私と言うものが束ねているだけだ

それでも、なんとなく
大きな流れが見えてくる時がある
やりたい事をあれこれとするうちに
こんな事がしたかったのだと
後から方向性が見えてくる

思い煩う前にやりたい事をやってみる
自然と何らかの纏まりになる
そんな方法でも良いのかなと今日考えた

結構、物欲が強く、新製品とか特殊なものとかが
欲しくなるのだ
費用とスペースが許せばすごく楽しい人生になるのだが
制約も多く想いに任せれない
そこで、あれこれ悩むのだ

事情が許す限りやりたい事をやってみたらと
思いついたのだ
そうしたら、何がしたいのかもはっきりする
無理な事情を理由に何がしたいのかも分からない
毎日を過ごすより良いのかもしれないと思うのだ

老い先短いこの頃だからの考えかもしれない
人生を終えては楽しみも無くなる
それは、不可能になるのだから
それでも楽しみだけだから
突然の終了が来てもやり残しにはならないし
楽しさの積み重ねで何かが残るかもしれない

もともと、そんな人生を送って来ている
あの時、やっておけばなどの後悔は思い当たらない
もう少し、ちゃんとした考えがあればとも思うが
気ままの付けが回って来なかった事に感謝している

アリとキリギリスの物語
一つ間違えば悲惨な境遇を迎える事だってあり得たのだ
なんの準備もなく老後を迎える事の恐ろしさはこの上なく
考えただけでもぞっとする
まあ、それでも迎える境遇に合わせて
臨機応変でそれなりの楽しさを見つける事もあるかもしれない
何が幸せなのかは未だにハッキリと分からない

流され続けた人生、泳ぎ続けた人生で
切り開いたものがない
道と言う詩の言葉には憧れるけれど
私には理想でしかないのだろう
あるいは切り開かれる道は額に汗して
真剣に作られるものもあるけれど
なんとなく人が通った跡に出来る道もありはしないか
極楽トンボが考える理屈かもしれないが

野田農場も良い結果が出たようで

2010-04-29 14:23:48 | 日記
今日の中日新聞の朝刊に
野田農場の記事が出ていました
区画整理事業内の農地の取扱の問題でした
開発事業での問題と言う事で
平針の里山、相生山の道路建設と同じく
また、日進の東部丘陵の開発とも同じ
環境保全の問題でした

相生山を除く他の3つの問題には
同じ弁護士事務所の助けがあります
争い事には弁護士さんの協力が欠かせません
心配事を少なくする為にも助かります
環境派の弁護士さんと言う領域がありますので
私も
環境派の不動産屋さんを目指したいと思います
全ては土地利用の形態の問題です
行政の関わりは全てに共通していますが
強弱の違いがありますので
等しく問題解決に結び付かないのですが
ましてや、巷の不動産屋ごときが
と言われかねませんが
不動産、土地の取扱については
ある種のプロなので
何らかの力にはなりえると考えています
緑の不動産屋群を作り上げれたら
たぶん、徐々にではありますが
環境配慮が出来ない事業者は縮小すると考えています

要はどんな違いが見出せるのか
今までの不動産屋とどこが違うのかを
考える時期だと考えています
環境関連のルール、つまり、法律を知っている
その対処方に工夫があるなど
今後はイメージではなく具体的な訴求が
求められると思うので
早急に自分の強みとして
具体的な力を把握する、作り上げる努力が必要です

その為に環境問題を考えています
具体的な問題は勉強の場としてとらえています

野田農場の場合は今後
区画整理事業の事業収支の問題が浮上するのではとも
予測します
民間の事業収支程練り込んだものとは考えられず
それでなくとも、区画整理事業の収支は厳しいものがあり
何年か後に事業収支悪化の原因にされないような
対処が今後の課題ではないでしょうか

区画整理事業を行っている人達は
事業収支の負担を負っていません
なる様にしかならないと言って問題から逃れます
全ては地主さんの負担になる
換地が少なくなる(野田農場以外の土地)
負担金が発生するなど(これは全員)
しかし、工事費の圧縮は可能な時代なので
ここをしっかりと押さえる
但し、保留地販売は厳しくなるので
特色を持った地域企画がたてられるかなど

本来の事業性の問題が根底にある
右肩上がりの時代ではないので
土地所有者の考えをしっかりさせて
地域作りを行うのが区画整理事業のテーマなのだから
頑張ってもらいたいと思うのです

昨日は裁判の傍聴に行ってきました

2010-04-28 08:26:47 | 日記
平針の里山の開発業者が
許可の遅れをもとに
名古屋市へ損害賠償を求めた訴訟です
傍聴は初めての経験でしたが
民事は内容が当事者にしか分からず
ただ単に手続きを眺めているだけです
弁護士と裁判官の打ち合わせ風景だけでした

是非とも判決が出るまで継続してもらいたい
この裁判には不動産取扱上の観点から
損益の確定がどの様にされるのか
関心がある
土地の評価額で損益が計れるのか
利息は損害にあたるのか
事業計画の推移の中で許可の期間は影響を与えるのか
買付証明で利益は確定するのか

なにも開発許可だけではなく
不動産の売買における損益関連の責任は
多くの取引で問題になる場合がある
通常、買付証明で責任を問う事はないと言うのが
一般的な取扱とされている
この裁判ではその当事者間で争うのではなく
期日に関連した関係者が損害を問われている

責任が問われた場合には今後の取引をすすめる時には
引渡しだけではなく、
買付証明をもとにした事業計画に対しても
それに関連する作業で遅延が発生した場合
損害を請求されたら弁済しなければならなくなる
それも契約もなく
通常の手続き期間が過ぎたからと言う理由で
責任を問われるのだが、まだ判決はでていない

もう一つは利息の問題
通常よくあるケースは買主が購入代金を用意したが
契約に至らずその間の利息を損害として
売り主側に請求する話を聞かされる
契約がなされていれば損害の責任はその中で決められ
契約前の責任は当事者のリスクで相手側のリスクではない
と思うし、慣習ではそのように扱われている
と思うので司法の判断に注目している

多くの不動産取引の慣習を否定した訴訟なので
不動産取引業者は関心をよせるべきものと考える
法に記載されない部分を明らかにする
良い機会なので是非とも判決をしてもらいた
巷の疑問、争点を明らかにして欲しいと思う



日進東部丘陵保安林解除不許可

2010-04-26 09:13:33 | 日記
私は平針の里山保全の活動に参加するとともに
日進東部丘陵保安林解除阻止の会合にも出席して
活動の展開を見守っています

自然環境の保全を目的にする活動であることが
結びつきの理由です
また、不動産、土地の活用と言う点も同じで
対象となる土地はほとんど民有地です

今回の解除申請は不許可になりましたが
根本的に保全が行われると言う事ではありません
今後も軋轢は続くと予想しています
日進の活動は10数年にわたるもので敬服しています
が、保全はどんな状況でも継続は必要です
終わりのない活動だと最近になって感じています

平針の里山保全活動も当初考えていた期間は
長くて1年もすればと思っていました
しかし、反対のための反対ではないので
趣旨を貫き通せば永遠に続く活動になります
でも、考えをすすめれば永遠であっても
別に苦痛にはなりません

幸福を常に追い求める事が負担にならないように
至福の時が続くのです
そんな活動を目指して工夫をしていきたいと
考えが当初とは変わりました
自然環境保全の活動はいろんなところで行われています
都合がつく限り関心をもって参加したい
勉強したいと思っています

それぞれの活動は切り口、状況が違う為
主張にも違いがありますが
その違いが勉強のテーマにもなって
理解をすすめる助けになっています
ですから、多くの活動を知るために参加しましょう

行動エリアを広げる事も必要ですし
限定する事も必要です
深堀する所と広げる所の違いを認識すれば
思考がまとまり易くなります

土地の利用方法の観点から現在の問題点を
考えてレポートを作りたいとの思いはあるのですが
将来の怠け者根性が阻んでいます
そのうちに、そのうちにで過ぎています

理念と実践

2010-04-25 08:38:56 | 日記
現実の問題解決の為に考える時
想いを具現化する為の行動計画を考える
その為に、想いを検証もするし、分析もする
具現化に際しては現実の状況を顧慮して
今、この事に対してはと細分化もする
もっと他の事も考えているかもしれない

具現化するための実践を行う事を
テーマにしているので考えだけではない
行動を伴っての事でしか考えない
出来る事しか考えない
出来る事を実践して理念を実現させる
出来ない事は意味をなさない

具体的に行動しない、現実の問題に取り組まない
人の考えは参考程度にしかならない
別世界の理念だけの世界
現実の問題から遊離した考えは
絵に描いた餅である
実践出来ない考えは役にたたない

平針の里山の問題は経済の分野の問題であり
土地利用の方法論の問題である
その他の自然環境の問題もかなり似ている
沖縄の基地の問題も土地利用の問題と言えなくもない
土地の利用は経済の問題でもある
そんな考えで環境経済を考えている

もう一つは現実の問題として
選択しなくてはならない、決定をしなければならない、
各種の理念が相反する問題を解かなければならい
簡単な方法はどちらかを犠牲にする、捨て去る事だが
それでは問題解決にならない
現実問題では答えが無い事が答えなどと言えないと思う

行動すれば、実践すれば、
無傷ではいられない、汚れる事は避けられない
だから綺麗事と揶揄される事にはならない
現実の問題に関与しない人は信用出来ない
他人事は自分事と言いながら
私の問題ではないと言う人が中にはいる
目に前の現実への対応があってこその理念なのだが
そう、空論なのだ

そんな戒めのもとで考えをまとめて行動に移したい
どんな些細な事でも、いざ実行となると
いろいろな問題が想定され、
あるいは思いもよらない別の問題が出てくる
それでも前進する事に努力してこそ
人生を感じ、生命を感じる事が出来ると思う

毎日が楽しくてならない、問題だらけの現実の中でも
前に進む事をしていれば、