こうたろうつれづれ

生活からの気付き・思いつきなど

熱い

2010-07-27 08:35:39 | 日記
物事の進め方は事実確認と関係者の意向を知り
課題を設定する事だと漠然と考えている
課題に対する条件は全て支障のない様にする事
根本的な要求は満たさないといけない
付随的な要件は調整出来る事とする
以上を基本として事実の把握に努める
事実とは過去(経過)であり動かす事の出来ない事柄でもある
きめ細かく調べれば現状の認識を誤る事はない
深く洞察すれば課題が自然と浮かび上がる
課題設定に創造力は必要無いが克服には不可欠である

物事に良い悪いは無い
どうしたいのかがあるだけ
対立する考えや思いを解消する事がアイディア
対立する構造から対立しない状況を構築する事
そうするには、どこかにポイントがあると考える事である
全体を変化させる事は容易な事ではない
どこか一点の変化で全体ががらりとと変わるポイント探しが
創造力だと思っている
なにが創造力かと言えば、それが無いから対立が起きている
無いものを作るから創造力と言う事になる

その為に事実を確認する
一つ一つなぜこの事はどの様に処置されたのかを
丹念に突き詰めてみる
必要なのは感心、興味、好奇心みたいな感覚である
だから自分にあったフィールド、場所を選ぶ事も必要
感覚なのだから生い立ちに関連する
みんな同じではない、好き嫌いの世界だと思う

物事に良い悪いは無いのだから
ジャッジも無いし中立も無い
あるのは働きかけだけだと思っている
連鎖する世の中で一部が変われば全体が変わる
その部分への働き掛けだと思う
動きを作るのは動きから
考えを変えるのは気付きから
何かの変化を提供する事が希望する状況を招く

世の中の事だから関係なくはない
深く関わっているか希薄なのかの違いだけ
思いが強いか弱いかの違いだけで
関わりの度合いは全ての人に等しく関与している
みたいに考えた創造力は大きく世の中を動かす
自分の生活環境、行動を変える事で何かが変わる
自分が変わらないと何も変わらない
当たり前の事が良く分かっていない

中立の人やジャッジをする人を無くさないと
ダメだ
選挙をジャッジとしてはいけない
選挙は働き掛けの運動としないと政治の世界は変わらない
政治の世界との関わりを選挙の時だけにしている
その考えが間違いを起こしている

立法、司法、行政は結果の世界だと考えた方が間違いが少ない
世の中の過去を表わしている
生活の場は現在、今の今を生きているのだから
ここで表現しない事には命を粗末にする事になる

昨日から平針の里山で工事が始まりました

2010-07-14 11:25:52 | 日記
乗り入れ部分の準備工事との事ですが、
本体工事の地域住民への説明会も不足している状態で行われています。
本体工事の説明が明確に出来ない状態での準備工事とはどんな意味合いをもつのでしょうか?
乗り入れ工事自体は違法性が無いからと着手して、
今後はどんな手順で本体工事が行われるのでしょう。
私は注意深く見守る、決して違法行為を見逃さない事に努力目標を設定しています。
私たちの立場は政治状況と同じくねじれています。
開発を止めたいのですが、開発許可は下りていますので、
実力行使はなにも出来ない様な状態です。
すでに、去年の暮れに開発許可が下りた時からこのねじれは始まっていますので、
気持ちの、考えの整理はつけてあります。
要は法のルールも大切だが、一般の市民の考えの方がもっと大切なのだと言う事です。
どんな状況を迎えようとも自然環境の大切さを訴え、
皆に賛同してもらえる様にすれば、法のルールの不備に嘆かなくとも、
一般の市民から賛同を得られれば、
希望する社会は作り上げられるのではないだろうかと考えています。
今後はポジティブな活動もネガティブな活動もいろいろと考えて、
一般市民へ訴えを起こせばいいのだと思っているのです。
それも、メディアに媚びる事無く黙々と実行していきたいと覚悟しています。
最近は最高裁の判決の様に基本原則が見直されています。
二重課税はダメ、人権は全ての法で最優先させるとかです。
これを我々のケースで当てはめて言うと、
まちづくりに住民参加はあるのか、ないのか、
公共の利益は誰が守っているのか、いないのか、
具体的に検証すべきだと考えています。
今回の工事着手に際しても自治会はどうしたのか、
地域委員会があればどの様な活動が考えられるのか、
目指す処は同じでも活動自体が同じとは言えず、
システム、組織の形のルールが違う事で結果も違うのだろうか、
こちらは検証が出来ないけれど、もし、地域委員会があればと言う事で
考えを発展させる事が可能で、行動も委員会でなければ出来ない事は除けて、
その他任意団体で出来る事をすればいいとも考えています。

無関心がいけない

2010-07-02 10:42:29 | 日記
いろんな事を考えていて
なぜ、結果が思うように出ないのか、の原因は
無関心にある様に思えてきた
主体である本人の無関心もあるけれど
関係者の無関心の方が結果には多大な影響を及ぼしている
選挙の無党派は無関心とは言わないが
でも、どこかで本質的に無関心なのだと思う

選挙は選挙だけで終わるものではない
投票したら責任を果たした事になるのだろうか
責任の取り方は非常に難しいが
選挙であれば、選挙後になにをするのかと言う事だと思う
要は、する事、実践がなになのかと言う事です
責任がある、要らないと言っても付いてくる責任に対して
どの様に対処するのか考えないといけない

何もしないからと言って罰則は無い
昨日の世界で言えば、だから何もしなくて良い事になる
罰則は無いけれど多分なにもしなければ
不都合な世の中になるのではないかと私は考えている

選挙を例えにして話を進めているが
政治活動を起こせと言っているつもりはない
しかし、選挙権から考えると
誰もが何らかの政治活動をする必要性を訴える事になってしまう
政治から逃れは出来ないし
私の関心を寄せる環境問題からも逃れないのだ

地球上で生きてゆく限り地球環境の問題から逃れられない
日本で暮らす限り日本の政治から逃れられないのだけれど
私とは関係しない、関係を持ちたくない、との意識は
誰でも程度の差こそあれ持ち合わせている
要は全てに責任を持つ事なんて出来ない
結果責任なんて私には無い
そんな事を考えていたら今日すら生きてゆけない
などなど、出来ない理由は多く存在するけれど

待ち構えているのは不都合な現実である
環境の問題も政治の問題も
その不都合な現実はすぐには現れない時差があるのだ
この時差を利用して自己利益をはかる人達がいる
手法は詐欺的な行為であり、時差で後の祭りである

その防止策が事後に関心を寄せる事だと思っている
事後には、その事はどんな事だったのかを調べる事が出来る
過去の事ではあるが現在行われている事を生み出した原因なのだから
仕事をしている時には結果を求めず原因作りを行った
今でも活動する時には良い結果の原因になる様に考えている

関係ないと言っても言わなくても現在は未来を作っている
ならば、もっと関心を寄せるべきではないかと思うのだが

ちょっと遠のいてしまいました

2010-07-01 19:53:11 | 日記
これと言ってないのですが、少しばかり遠のいています
先日も市役所の職員さんとお話する機会がありました
その中で気になる言葉に出会い、ちょっと考えています
それは、そうしなければいけないと法令に書かれていないと言うものです
いちいち箸の上げ下ろしを法律にはかけません
だからと言って、書いてないからしないと言うのでは何とも
不思議な言葉です
言われないからしないでは大人ではありません
役人の一番嫌いな面を言い表した言葉だと思います
成果を求めない世界の中の言葉ですし考え方です
何の為に税金を払っているのか分からなくする言葉です

不毛の議論と言われる、そのものです
何が何だか分からなくなります
良いとか悪いとかの議論から
なにも規則を破っていないのだら正しいと言うものです
ルールに従う事は前提条件ですが
ルールに従っているから正しいと言う理論には首を傾げます

だから、どんな姿が好ましいと思うのかと言う問いかけには
無言でした

最近は創造性について考えています
望ましい姿とはを自問自答しています
回答欄は白紙ですからどんな答えも書けます
○×ではないし、四択でもありません
人生にルールはありません

ですから、決められていないから、しないとは言えないのです
弁解なのでしょうが、本気で言っているから
始末に負えないのです
ああ、嫌だ嫌だの世界です

なにも打ち負かそうと挑んでいるのではないのです
なんとかならないものかと話を続けるのですが
悪い事はしていない、間違った事はしていない
ばかりです
多分立場が違う事を事前に設定しているのでしょう
あなた方とは違うんだと言う、分け隔てを最初にしているのです

不毛の世界へは入りたくありません