こうたろうつれづれ

生活からの気付き・思いつきなど

開発審査会が開かれました

2010-05-14 09:43:30 | 日記
平針の里山の開発許可の取り消しを求める
開発審査会が昨日開かれました。
市の弁明は地域住民への利益侵害はないと言い
請求の適格が無いと申し述べています。
しかし、この審査会は行政の機関の一つであり
行政は住民の為に仕事をしているはずなのにです。
いかに、行政が住民を軽んじているかと言う傍証です。
なぜ、訴訟の前に審査会が設けられているのでしょうか、
都市計画の性格上、
法による判断だけではない部分があるからだと思うのです。
司法の場に庶民の感覚が求められ裁判員裁判が行われています。
敷居を高くすればその活動は衰退します、
善悪の判断が衰退しては生活の基盤が壊れるので
それらを改善する為に行われている制度だと思うのです。
行政の活動はより市民生活に密着しているので、
市民との関わりを多く深くしないといけないにも拘らずです、
申し立てに壁を作っています。
役人の自己防衛は物事の是非の判断よりも優先しています。
まず、自分の立場を守る事、
そこから全てが考えられているので
住民の生活についてなどは関係ないのです。
この法則は遺伝子級のものであり、体質です。
役所でのやり取りで一番気を配らなければいけない事は
役人の立場を悪くしない事、話を役人との対立にしない事です。
行政の関することで、問題解決をはかる場合には、
行政が悪いのでそれを正すと言う選択肢はないのです。
行政は絶対に間違いのないものとして話を組み立てないと、
行政を組み込む事は出来ません。
行政訴訟はもっと難しいでしょう。
裁かれる側が裁きをする事になるからです。
教科書に書かれている三権分立は絵に描いてあるだけの餅です。
そんな、現実を少しでも理想に近づける努力を
身近な課題で行っているのが、
平針の里山を保全したいと思う人達です。

現実を否定しても理想に近づく事は出来ません。
現実と理想の間を推し量り、
何をしたら、少しでも理想に近づけれるのかを考え
行動しています。
その行動は前向きなので創造を伴います、
何かを、作り上げる行為です。
一人ひとりが自分に見合う部分で理想に向かい
前進する事が生活だと思うのですが、いかがでしょうか。