小学生や中学生の表情が、暗く厳しくなっている。
大人しくて明るく可愛らしい子供が、随分減ってしまった。
何処とはなしに、兎に角、人に抜きん出る事ばかりに、焦っている。
大人たちの表情も、真面目ではあるが楽しさがなく、何処かに迷いがある。
スカッとしない。
社会の中で抜きん出るには、どうしたって友と戦わなくてはならない。
皆んなで一緒に仲良くやろうという、人徳が無くなった。
常に自分だけが、抜きん出ようという一念で、友と戦い友と比べ、友情は上部だけの薄っぺらな物に、なってしまった。
世の中の人が、殆んどそういう競争と孤立の方向で生きていく中で、大病をした人や災害やトラブルに巻き込まれた人たちは、自分が沢山の人たちのお陰で、生きて来ている事を知って、感謝をして生きている。
「徳狐ならず、必ず鄰(となり)有り」
「ありがとう」と言える人の周りには、大勢の善人が集まってくる。
善光寺さんの本堂の下に、地下道がある。
あの暗闇の中を手探りで歩いていると、たまらなく不安に襲われて、前に進めなくなるが、一人でも手を取って呉れる人がいると、何でもないのだ。
自分の人生は、時間の連続で今日まで来たが、その時間の途中で「こうすれば良いのか」「ああすれば良いのか」と、いくつかの選択肢に迷った。
今までそんな時は、必ず自分で自分の道を選んだと思っていた。
しかし、そうではなかった。
その時に…友がいた、両親がいた、先生たちがいたのだ。
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