昭和20年8月15日、一郎の母は暗い六畳の部屋の仏壇の前に座り込んでいた。片手には数珠を持っていた。そして畳の上に広げた新聞に目を落としていた。
隣室で鉱石ラジオをいじっていた一郎に「一郎、こちらにお出で!」・・と、何時もと違った半分泣き声の母の声を聴いた。一郎が母の傍に立つと母は声も立てずに泣いていた。広げた新聞に母の涙があふれて新聞紙の上にポタポタと落ちる音が聞こえた。
「日本はアメリカに負けたんだよ。今から天皇陛下さんがラジオで放送するそうだ。おお前もここに来なさい。」
天皇陛下の声を聞いたことは無かった。どんな声なんだ。そして、今日から日本はどうなるんだ。一郎は自分に問いかけた。母は仏壇の前に座って題目を上げ始めていた。
兄は戦死して終ったののだろうか。航空通信隊に出兵してスマトラに出兵した長兄は死んだのだろうか、徴用で国内の何処かは判らないが次兄の兄はどうなっているのだろうか。今まで、いざという時は竹槍でアメリカをやっつけることばかり考えていた一郎には、「アメリカに負けた」と言う母の言葉に違和感を覚えとっさに何がどうなってるのか判断が付かなかった。しかし母の涙に連られて一郎も一緒に泣いた。
「天皇陛下さんの玉音放送が間もなく始まるから、ここに正座しなさい」母は仏壇を背にして座りなおすと、毅然とした面持ちで一郎を見上げた。
やがて、古いビクターのラジオの奥から日本放送協会のアナウンサーの沈んだような声が聞こえてきた。
間を置いて聞き取れないような途切れ途切れのように天皇陛下の玉音の声を初めて聴いた。その放送の内容は一郎には良く判ら無かったが、母は泣きじゃくっていたので一郎も泣いた。泣かないといけない場面だと思った。
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