一期一会・

宇宙と仏法のあり方についての洞察。人間の成仏。

メチタの海、第3章の始まり(一)戦後

2014-08-31 | web

 8月15日の終戦の前日まで日本各地にアメリカ軍の爆撃は行われていた。一体、日本はこれからどうなるのだろう?少年一郎の胸の中にも一抹の不安が残されていた。爆撃で破壊された一郎の通う中学校は今は放浪の学校で、相変わらず市内のお寺や小学校の校舎を間借りの教室として使用していた。中学生の一郎達のプライドはかろうじて格上を示す二本線の入った学帽をかぶって通う姿を小学生の前で示す存在だけであった。

 

 配給制のコメを始め粉や味噌醤油は家族の多い一郎の家では充分ではなかった。戦後はアメリカ軍からの食料の支援物資も一郎の家にも配給されていた。育ち盛りの子供の多い一郎の家族にはそんなものでは足りなかった、家の前の広い工場跡の空地は食料補給の為に戦争中から開墾されていた畑はトウモロコシ、ナス、キュウリ、トマト、ジャガイモなどあらゆる野菜が作られていたので助かっていた。鶏は自宅裏の狭い場所に作った鶏小屋で生まれる卵は十分であった。これが子供たちの生育の為に役立ったのは間違いではなかった。自給自足の生活の知恵はこの戦争のお蔭で生まれたのだ。

 アメリカ軍から配給される食料の中には多くは函詰類であった。その中にはビールがあった。町内会から配給されたそれらの食料は神棚の隣の棚の上に母の手できれいに並べられていた。それらの函詰は国防色の濃緑色をしていて英語で中身の種類の表示がされていた。函を振ると水分であることが解るのでビールなのかケチャップ類なのか一郎にもわかった。興味半分で一郎はビールと感じた函を神棚から取り下ろすとその函を開ける方法が解らない。一郎は縁側で5寸釘と大工の次兄の道具箱から金槌を持ち出すと函の下の部分を上に反転させてひっくり返して叩いて穴を開けてみた。穴が開いた瞬間泡が音を立てて噴き出してきた。一郎は慌てて思わず口に持っていき噴き出す泡の水分を飲み込んだ。苦い味がした。今まで味わったことがない何とも言えない香りがした。その味をもう一度確かめたくて一口、二口と飲み込んだ。空腹感が徐々に満たされていく気がした。中学生の一郎にはそのアメリカのビールの味は美味いと感じた。一郎の酒飲みの歴史はこの時から始まったのだ。

 

 


トマトスープ

2014-08-28 | web

  冷やしトマト麺のこと、話が中途半端でカツ丼のことからタヌキうどんのことに転移してしまった。

 実は安くて美味しい餃子を提供してる名の知れた×××屋のメニューですが、季節がら冷やしを売りたいのでしょう。しかし、トマトの味が全くしないのです。クレームをつけると店長がスープを小椀に入れて持ってきた。これがトマトスープですと僕のテーブル上に置いた。

「これが?」僕は確認のために少し口に含んでみた。<だめだ!君、トマト味なんかしないよ!メニューにもはっきりトマトスープ味と記載しているし、カットしたトマトの写真も添えてあるじゃない?>これでは、だめだ。メニューカタログからトマト味を消した方が良いで

すよ。>と言って返した。店長は<はい・・・>と小さい声で答えると.調理場のほうへ引き下がっていった。トマト味を求めて注文したが、食べ終わった後の不満足感が僕の頭を支配していた。此の煽りで僕は100メートルと離れていない天ぷら天丼専門のxxx屋に又 

入ってしまった。帰宅して直ぐに太田胃酸を水素水と一緒に飲み込んだ。

 

 

 


トマト冷やし蕎麦

2014-08-26 | web

 トマトは、ポリフェノールが含まれていて体の健康に良いという定説があります。僕は、そんな理由でなくただ単にトマトが好きなんだが、夕べ見た健康食談義のTV放送に触発されて、意識的に食堂で目に留まったのが冷やしトマト麺だった。いつもの餃子・ラーメンのコースは急きょ変更してこの冷やしトマト麺を注文した。

 猛暑の続く今日の夜、〈冷やし〉〈トマト〉〈麺〉の3個の言語は僕の脳裏に癒しのパルスを与えたのだ。店員が僕のテーブルに来るとすかさず「これ、冷やしトマト麺!」とオーダー。

 この顔になじみの店員スタッフは、「冷やしトマト麺ですね」とおうむ返しである。しかし、いつもと違うこの客の注文に〈お客さんいつもと違いますね、大丈夫ですか?〉と言わんばかりの顔付きである。

 自慢じゃないが、僕は一つ事に拘る習性があって、高校時代は<かつ丼>が好きで、食堂に入れば必ず脇目も振らずに<かつ丼>を注文する。高校卒業の3年間をかつ丼で過ごした。

 

 サラリーマン時代では駅前の立ち食いソバヤではタヌキうどんであった。暖簾をくぐる前に遠目に僕の姿を確認するや否や、暖簾をかき分けてスタンドに着くと途端にカウンターの中のおばちゃんはすかさず僕の前にタヌキうどんのどんぶりをどんと置いた。僕は笑いながら280円の硬貨をカウンターにバシッとおいて笑った。おばちゃんも笑った。


マンゴウドリンク

2014-08-16 | web

 

 僕はマンゴウドリンクが好きだ。南国の風味が爽やかで美味しい。マックとかファーストキッチンとかスタバとか色々なドリンクショップが都会にはあるけど、店によってお気に入りのドリンクが無いのはなぜだろう。

 クリームソーダが美味しい。夏の暑い日は僕のお気に入りは何といってもあのグリーンの色と白いクリームとが炭酸にマッチしてストローでかき混ぜると一気に沸騰するクリームソーダである。テーブルにあふれ出て落ちる。慌ててストローで吸い込むのだ。外歩きで疲れた体が要求するドリンク夏の一品だ。


メチタの海、第2章の始まり(七)日本敗戦

2014-08-15 | web

 

 昭和20年8月15日、一郎の母は暗い六畳の部屋の仏壇の前に座り込んでいた。片手には数珠を持っていた。そして畳の上に広げた新聞に目を落としていた。

 隣室で鉱石ラジオをいじっていた一郎に「一郎、こちらにお出で!」・・と、何時もと違った半分泣き声の母の声を聴いた。一郎が母の傍に立つと母は声も立てずに泣いていた。広げた新聞に母の涙があふれて新聞紙の上にポタポタと落ちる音が聞こえた。

 「日本はアメリカに負けたんだよ。今から天皇陛下さんがラジオで放送するそうだ。おお前もここに来なさい。」

 天皇陛下の声を聞いたことは無かった。どんな声なんだ。そして、今日から日本はどうなるんだ。一郎は自分に問いかけた。母は仏壇の前に座って題目を上げ始めていた。

 兄は戦死して終ったののだろうか。航空通信隊に出兵してスマトラに出兵した長兄は死んだのだろうか、徴用で国内の何処かは判らないが次兄の兄はどうなっているのだろうか。今まで、いざという時は竹槍でアメリカをやっつけることばかり考えていた一郎には、「アメリカに負けた」と言う母の言葉に違和感を覚えとっさに何がどうなってるのか判断が付かなかった。しかし母の涙に連られて一郎も一緒に泣いた。

「天皇陛下さんの玉音放送が間もなく始まるから、ここに正座しなさい」母は仏壇を背にして座りなおすと、毅然とした面持ちで一郎を見上げた。

 やがて、古いビクターのラジオの奥から日本放送協会のアナウンサーの沈んだような声が聞こえてきた。

 

間を置いて聞き取れないような途切れ途切れのように天皇陛下の玉音の声を初めて聴いた。その放送の内容は一郎には良く判ら無かったが、母は泣きじゃくっていたので一郎も泣いた。泣かないといけない場面だと思った。