一期一会・

宇宙と仏法のあり方についての洞察。人間の成仏。

ヘアーアクセサリー

2014-12-14 | web

1971年の1ドルの対米為替相場は360円でした。

それから見ると、44年後の今の円相場は、今日現在118円で終わっています。

今昔の感があります。何でまた、こんな話を持ち出すのかと、私のブログを見た方は首を傾げるでしょう。

実は。その当時に私は、友人Wの紹介でKと言う人物を紹介されたのです。1967年に私は会社勤めを辞めて、独立しました。設立後数年は自分のでデザインした女性向けのヘアーアクセサリーが評判で、特に、関東は勿論、関西、九州、四国方面に引き合いが殺到して製造が間に合わない状態が続来ました。大手の美装品の問屋さんからの注文が大量で受注から発送まで3ヶ月も掛かったのです。これは、機械に依らずすべて手加工で作られたヘアーアクセサリーの一種でした。

私のデザインして作られたそのアクセサリーは、何処にもないデザインの独創性が好評でした。帽子の素材であるバクラムの生地をヘチマ状に加工して軟鉄で縁取りしたベースに繻子のリボンを幾つかの形状にカットしたパーツを貼り込んで、最後に落ち輪で飾るのです。出来上がりは、素材が比較的に廉価であるのに高い値段がつけられました。

都内の有名な美装品を扱う或問屋さんからも大量の注文をもらいました。

手加工でしか出来ないので、ご近所の主婦の方の応援の内職のおばさんを募集して10人くらいで手分けして作るのですが、手の器用な方とそうで無い方とでは製品の仕上がりにばらつきがあります。

従って、製造が間に合わないので自分自身でも食事をする暇も無く昼夜を徹して制作に励みました。

出荷が遅れて、大阪の問屋からは、連日電報で納品請求が来るのです。

徹夜で作った製品を梱包して、翌朝バンに積み込み自らクルマを走らせて大阪に向かう事も屡々でした。通常は、ある程度の量の製品が出来上がった時に、西濃便のトラックで関西・九州方面に送り出していましたが、急ぎの場合は自分で運ばざるを得なかったのです。東名高速を時速120キロで走行して、覆面パトカーと競争して捕まったこともありました。

 

 

 納品が屡々遅れることも有り、やがて1年もすると私のデザインした製品は行き渡り、一巡すると少しずつ注文が減ってきました。しかし、流行の状況と将来的な予測が甘く、大量に仕入れた材料が自宅の部屋に一杯に占めていたのです。

 その当時、新しいデザインを考えていたので、その製品の製造にも入っていたのです。都内の取引先の問屋にサンプルを持ち込むと、好意的で色違いで数百セットの予約注文を受けていたのです。

 当時の製品は、東京高島屋の1階のアクセサリー売り場のショウウインドーの中に想像以上の高いプライスで飾られていたのを見て事業欲は高揚していました。


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