一期一会・

宇宙と仏法のあり方についての洞察。人間の成仏。

膝の上の荷物

2015-09-29 | 日記

その日、

洋一は大学のゼミの帰りの車内で、異様に大きな買い物袋を膝に上に抱えて座っている女性を見かけた。

彼女の隣の中年女性はその女の顔が見えないくらいの大きな買い物と思しいものの影で

迷惑そうな顔で座っていた。電車が揺れるたびにかすかにその袋の端が頬に触れるからだ。

中年女性はそのたびにわざとらしく大きく顔を反対にずらすそぶりでアピールしたが、大荷物の女性は、一向に無頓着である。

電車が速度を落とし始めた、鉄橋を渡る音がし始めた、多摩川を渡るとやがて田園調布に近くなる位置に差し掛かっていた。

ホームに滑り込む音がした。

洋一が、大きな袋の影から見えたのが、何と洋一がバイト先でレジで出会った1本だけ黒に塗ったあの女性ではないか。

女はこの駅で降りるのだろうか座席から立ち上がりかけていた。

電車が停車すると彼女はよろよろと立ち上がって開くドアに向かった。

高いヒールの靴にスレンダーな脚が動いていた。

洋一は、彼女の端正で、周囲の女性達とはかけ離れた容姿に惹かれていた。

洋一は自分の下車する駅ではなかったが何故か彼女の後ろについてオームに降り立っていた。

「こんにちは」洋一は彼女に声を掛けていた。

「あら、アナタなのね」晴美は洋一を覚えていた。

晴美は、自然に洋一の顔を見上げて応えた。豊満な胸が抱えた買い物袋に押し付けられていた。

 

 

 


助手席の晴美

2015-09-20 | 日記

洋一の実家は大阪で、彼の父は一部企業の重役である。

先祖伝来資産家で、経済的に困る環境ではない。

洋一の実家は、代々資産家で既に他界している祖父は鉄鋼大手の企業の創立者であったか

ら祖父からの引き継いできた資産は莫大で、現在の父も系列の大手商社の重役で洋一が大

学卒業後の就職は予約されているようなもので、全く心配はしていなかった。

洋一は都内のある場所の5部屋もある高級マンションに1人で住んでいるのである。

このマンションも、洋一の父が投資の一部としてバブルの最盛期に購入して置いたのであ

る。

洋一は東京に憧れていたので、大学も東京の大学を選んでK大を選んだのである。

従って、コンビニでバイトをしないと、生活に事欠くことはあり得ないのだが、大学での研究テ

ーマを設定する為の一つのジャンルとして、消費者の実態調査を自身で経験的に試してみた

いので、コンビニを選択したのだ。

洋一の頭の中には、2年後に提出しなければならない卒論のテーマとコンテンツは既に決め

られていた。


助手席の彼女

2015-09-16 | 日記

小料理屋を経営している彼女の送り迎えは洋一の役目だ。

彼女の名は晴美。現役大学生の洋一は、夜11時過ぎにはその彼女を毎晩時間を見計らって

迎えに行くのを日課にしている。

晴美は45歳、洋一と晴美は兄弟ではない、恋人同士と言ってよいだろう。

洋一と晴美が知り合ったのは去年の暮れに、アルバイト先のコンビニでレジを打っていた洋

一の前に買い物の清算をするためにレジのカウンタ^ーの前に立った彼女を一目見た洋一は

何故かビリビリと彼女に惹かれるものを感じた。

胸元が大きく開いた白のワンピースを着た彼女は目鼻立ちが際立って整って見るからに大き

な胸は洋一の目を一瞬引き付けずにおかなかった。

お客さんをこんな目で見つめるのはマナーとして良くないと内心自分自身をたしなめた。

打ち終わったレジで清算金額を彼女パスもをかざした。

洋一が買い上げの品々をレジ袋にいれて彼女に手渡したとき、差し出した彼女の指に触れた

のだ。

赤いマニキュアで塗られた細い指先の1本だけがなぜか黒く塗られていた。

<何故1本だけが黒なのだろう・・・>そのことが洋一にとって印象的であった。

「ありがとうございます」と洋一は笑顔で言った。

「有難う」と彼女から艶やかな声が返ってきた。日常のこんなありふれた会話がその後に

彼女と彼が男女の関係に発展するとは洋一にも予想のつかないことだった。

 


確率と蓋然性

2015-09-10 | 日記

私は永年ソロバンの先生と言われてきました。少年の一時期に「君は天才だね」とも言われました。ソロバンの計算が得意だったのです。

小学校5年生になった時に自宅の近くのそろばん塾に入門しました。

ソロバン教室の先生は当時、早稲田大学に在学中の大学生でした。

先生は未だ成熟していない少年の僕にとても親切で、解りやすく指導を続けていただいた結果、僕はソロバンの珠を弾くことがとても好きになりました。教室で20名くらいの少年少女達が一度に会して弾くソロバンの珠の音は、海の波が寄せて返す時のさざ波のように聞こえて、何か音楽性のある技のようにも思えました。

何よりも、珠算では答えを合わせるのが一苦労ですが、自分が計算した問題の解答が正解時の満足感は経験のある人なら良く分かると思います。

何百時間もの計算練習により、次第に正解の確率が高くなり、計算速度も次第に速く

なって来ると益々。記録を伸ばそうとする意識が、強くなり、他の生徒に負けたくないという競争心が募ります。

私は、血液型がAB型であるの青年になった時に初めて知り、AB型は緻密な性分の傾向にあることを知り、自分なりに、数を操るという事が自分に適していることが理解出来ました。アスリートの感覚にも似ていて、激しい競争心と忍耐力が湧いて来ます。

「読み」「書き」「ソロバン」はまともな人間の3種の神器です。現代ではどうでしょうか、やたらと英語重視の社会現象で、カルチャーで英語会話重視で自国の日本語がなおざりにされているではないでしょうかはぼくのひがみでしょうか?

文科省でも英語を小学校3年から学習指導要綱で組み込むという。もっと、自国の言葉を

正しく継承させていくべきだと思いますが?諸賢のご意見をお聞きしたいと思います。

早稲田の商学部の学生だった私の先生は、少年の僕に、しっかりした理論を教えてくれる先生で生年の僕が計算上の仕方について意見を述べると、決してバカにしないで、対等の口調でよく聞いて下さった先生でした。

僕が極めて未だ弱輩であるにもかかわらず、人間として人格を尊重していただいたのを記憶しています。

戦後の僕の家は貧しい大家族で生活も困窮しているのを知って、僕が中学1年位なると、先生は未だ中学1年生の少年である僕を塾の助手にして下さったのです。

そして、先生不在の折には先生の代行する事になりました。アルバイト料もい頂期、その上

塾が終了した夜には先生と先生の母と先生の姉と3人家族に僕が加わり、家族の1員の扱いで、自分の家では食せないような栄養価の高い食事を提供していただきました。

今は既に他界された先生ですが、当時の思い出は現在でも深く心に宿っていて、事あるごとに現代の先生と生徒のあり方に深く思いを致します。

この話にはまだ、続気があります。

蓋然性と確率がどう関係あるのかと、テーマと記述内容に隔離があるのは次回に少しずつ

まとめて行きたいと思います。

つたないブログを最後までお読みくださったアナタに感謝いたします。