真夜中にQuitoをでてHouston経由 LosAngelesへ。
乗り換え時間はわずか120分。
その間に入国検査→荷物受取→荷物再預けの任務。
何で同じ航空会社やのに、そんな手間なことするんやあ。
カウンターのお兄さんは「イージイ、イージイ」
ワタクシも「オホホホ、トライ イット」
ところがヒューストンに着いたら夏休みの最終週なので
どこも長い行列。
拙い英語で、「頼むわ、時間が無いねん」と言っても
「みんな一緒やから、そのラインに並んどいて・・」とつれない返事。
トイレも我慢して、ワタクシダイジョウブデスワヨって 顔でなんとか
ゲートにゴール。 難関クリア。
ヤッタゼイ。
この山ってロッキー山脈だよな。
やっとLAX空港に。安堵感から出口も確認せず、ウロウロ。
無事、娘の家に到着。
ロサンジェルスの空は青いわ。
最終日は語学学校が引けた後、グアヤサミンの美術館に連れて行っていただきました。
彼はキト生まれ、インディヘナの苦しさやその心の叫びを描いた画家。
高台の上に立つ彼のアトリエをはじめに見せていただいた後、
美術館へ。
宗教的なものの収集や毛沢東・カストロなどの著名人との写真、
シャガールやゴヤの絵など、もともと自宅を博物館として
利用できるように建築し、収蔵品が所狭しとならべられ
いる。
手で何かをつかみ取ろうとしているのか、
手から与えようとしているのか、
世界の平和を願うグアヤサミンの美術館でした。
案内くださったFUさんが最後に訳してくださった彼の
言葉。
『足のない子どもを見るまで、ぼくは自分には靴がないと言って
泣いていた。』
・・・・・・・
今の私たちの生活・・・なんの問題があろうか・・・。
Quito最後の日に心打たれるところに連れてきていただきました。
FUさんありがとう。
”蒼いキト”という作品に心奪われたが・・・70$。無理やなあ。
諦めて坂を下ると、かわいいCafe。
ゆっくりとランチしました。
スペイン語でCafeに入って、注文するぞ!と決めて
ウノ アメリカ-ノ ポルファ ボール イ ドス このパン!
てなことで注文完了。
しかし、居心地悪う。
さっさと退散して、前から行ってみたかった”蛇博物館”へ。
ノ フォト と言われたので中で、蛇や蛙、イグアナの写真は撮れませんでした。
子どもをとても大切にするラブラブの家族。
若い人はとてもスリムなんだけど。
乾季の公園は芝生もカサカサだけど、まだ夏休みなのか
子どもたちがサッカーをしていました。
ふう。やれやれ。
今日もバスを乗り継いでサンゴルキへ。
一時間以上バスに乗るのに乗車運賃はたった65セント。
生活必需品や食料品は日本のそれとほとんど変わらないのに
バスの運賃は異常なほどに安い。
最初は荒々しい運転と行先の分かりにくさに面食らったが
慣れれば便利な移動手段。
坂道を通り抜けてバスを乗り継ぎます。
サンゴルキは市が立って大変な賑わい。
教会ではミサも行われていたがカメラを出す勇気が無くて
食堂に入ってやっとパシャリ。
貝と蟹のスープにポップコーン、
レモンとセビッチェ(トマトと玉ねぎの酸っぱいサラダ)。
さて、木槌で割っていただこうとしたのだが、
どうも嫌な予感がして、貝を2個食べただけで店を後にした。
気を取り直して、家の近くのスーパーでピタハヤを買った。
蟹は年末に明石の魚の棚で買うまでオアズケです。
サボテンの果実ピタハヤ。
その型からは想像できないくらいの美味しさ。
天然のゼリーと言われる通り、白くて透明に近い果肉に
プチプチと種がはいって いる。
キウイに近い種なのでそのまま食べられます。
キトからリオコカ→キンチェ→カヤンベと
北の方の街に行ってきました。
ここら辺りは8月に入って数回大きな地震がおきて
二本のうちの一本の道路が寸断されているらしく、大渋滞。
私がここに来てからも夜中に地震があった。
1884年年に造られたキンチェの教会。
聖なる水を求めて観光客がペットボトルで持ち帰ったり
自分の身体にかけたりしてお祈りをしていました。
聖なる水なのに上でハトがたわむれてた。
・・・・尿酸やアンモニアは大丈夫か????
飴屋さんでは、戸外で壁に打ちつけた杭に飴をかけてのばしたり
ちぎったり。
市場の中では、サトウキビの皮をむいて、サトウキビの
ジュースを作っていた。
いただいたサトウキビのかけらは、さわやかな甘さ。
カヤンベは標高2800m、冷たい乾燥した風が吹く街。
名物ビスコッティを食べて早々に引き揚げた。
日差しが強かったので、顔がヒリヒリ。
やっと、時差解消。
頭痛も消えあとは息苦しさだけ。今回は随分苦労しました。
今日は朝から夜遅くまで断水なので、
語学学校が引けたあとは家でごろごろ。
先日、相方が職場に”きのこの山とたけのこの里”を
お土産に持って行ったのが大好評。よかっったあ。