しまぬきを温めて 丹波布を織る

丹波の山奥、昔々の織物を温め(おさらいするの意味)ていきたいおばちゃんの織り物語

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綜絖(そうこう)通し

2012年01月25日 21時06分51秒 | 織り


丹波布は平織りの木綿と絹の交織の織物です。

で、綜絖は2枚。

今回は木綿の糸700本を前と後ろの綜絖に手で通していきます。

ちょっと、小細工をしたために 面倒な作業となりました。



半日かかってしまったわ。

丹波布は「口伝」です、

康子先生(足立康子氏)の言葉だけで、

まるで、母に料理を教わるように教えていただきました。

康子先生はほんとにすごい人です。

丹波布の第一人者と言われるだけの人です。

そんなにすごいのに、

我々の言葉にも耳を傾け、否定されることはあまりありません。

千切り巻きの時、ずぼらな私が新聞の端を折らずに使ったのを見て、

「私は折った新聞紙を使うから、糸がちゃんと納まると思うのよ。」

なるほど!新聞の端を折るには理由があったのか!

口伝で教える秘訣も教えてもらった気がします。







千切り巻き終わりました。

2012年01月24日 20時56分00秒 | 織り
 布、織物の基本は縦糸に横の糸を上下上下と
 交互に入れていったものです。

 千切り巻きは長ーーい縦糸(今回は15㍍)を千切り箱に
 ぐるぐる巻いて、織機にあげる作業です。

 丹波布ではこんな物を使って千切り巻きをします


 これは、整経台からおろし、仮筬(おさ)通しをした15㍍の糸の束です。

 あまり、美しくはないですが・・・

 ドラムの方に束を巻き付けて

 3㍍手前のリボンを金棒に変えて

 ジャッキのこちら側、座布団に座って  
 千切り巻き開始です。

 最初は竹を割って作った物を入れながらジャッキで巻き取っていきます。
 少しでもなめらかに丸く巻く工夫なんだと思います

 手前が筬で、向こう側にアゼ棒があります。
 アゼ(他の織物では綾というところもあります)返しという作業をして、

 アゼが手前に、筬がむこうになりました。

 その後は新聞紙を間に敷きながら、
 ひたすら丁寧にジャッキで巻き取ります。

 その昔は手で巻き取っていたようで、一度康子先生に
 見せていただきましたが、私は3㍍の試織でしかしたことはありません

 15㍍の束の先が見えてきました。
 私は、焦りたくなる気持ちを抑え、
 「櫛の音を聞く、筬の音を聞く、糸の音を聞く」と
 唱えます。それぞれの音に濁点音がしなくなるまで丁寧に梳かしそろえて
 
 千切り巻き 終わりました。

 こちら側が、織りはじめになります。


 次は、綜絖(そうこうと読みます、もじりと言う人もいます)通しです。
 



 

いつからか・・・

2012年01月23日 21時01分42秒 | しまぬきへのおもい
  しまぬきが気になりだしたのは、ずいぶん昔

  丹波布伝承館で伝習生の2年目に入った頃のことでした。

  訳あって、康子先生が退任され、指導者がいない状態の時、

  自分たちで勉強、研修してくださいとのこと・・・・。

  私は、前の年康子先生のお宅で見せて貰った「天保年間の縞帳」や

  康子先生達と訪れた、東京の日本民藝館で触れた

  柳宗悦氏が集めた、多くの「古い丹波布」が、復興後の丹波布とは

  雰囲気が違うことが気になり、

  当時の町役場の助役に「復興前の布を勉強したい」と伝えた。

  返事は「自分でやってください。」・・役場は復興後の丹波布を

  伝承するだけなんだ・・・今の私一人では、とうてい無理・・

  結局、2年目は、何にも勉強らしいものは出来ずに、

  それでも、卒業展の作品は問屋さんに買って貰って、

  自分で織った着物と帯で修了式に参加しすることができた。



  その後は、紡いで染めて織って、染めて織って、染めて織って。

  昨年病気で座れなくなるまでは、それなりに織っていた。

  それなりにと言うことは、進歩は・・あやしい。

  

  病気で家にいると、夫が織機を作る為、集めた資料があった。
 
  その中の『上村六郎染色著作集 六』を読んでいて、

 「青垣町では、現在は丹波布を復興して、或る程度売り出している。
  この標本は、その後復興された丹波布ではなくて、私蔵している
  昔のもっとも美しい丹波布を 小谷次男君に特に頼んで昔通りの
  美しい感じのものに、そのまま復元してもらったものである。
  記してもって感謝の意を表したい。」

  という文章を見つけた!

  上村氏も復興前の「もっとも美しい丹波布」(しまぬき)と

  復興後の丹波布の違いを感じておられたのだ!

  これを見つけて、私のしまぬき熱が再び上がってきた。

  そこら中の資料を探し、聞き。いつか、(しまぬき)を

  昔の人のように、紡いで、染めて、織ってみたいと思っている。

  

  

   

   


   

千切り巻き出来るかな

2012年01月22日 10時38分34秒 | 手仕事の道具達


   夫が、千切り巻き用のドラムを作ってくれています。

   そろそろ出来る頃、
  
   いよいよ、織りに取りかかれる・・・かな?

   夫は、織機を楽しむ会を作って、道具作りを楽しんでいます

   この千切りドラムも貸し出し用ですが、

   道具の試しは私の仕事、昨年から整経を済ませ、

   「まだかいなあ?}と待っています。

   まだまだ、半人前の私の作品ですので、試しで上等!

   私の使い心地でOKが出るのです。

   あー、でも、「しまぬき」に挑戦するのは先のことだなあ。

  

しまぬきの棉

2012年01月20日 21時24分18秒 | 棉を育てる
   「丹波布」に使う糸は手紡ぎの糸です

   糸車を使い、綿から紡ぎます。

   綿は、特別に「丹波布」用の綿を購入します。       

   が、綿も海外から輸入されています。


   「しまぬき」は地棉で織られていた、

   鈴木尚夫『民芸の旅 西日本編』で小谷次男さんが語られていました

     そこで、

   我が家の畑でも、少しずつ棉を育てています。



   もちろん、「和棉」です。コットンではありません。

   コットンは米棉(べいめん)といい、大きく育ち、実も大きく

   繊維は長く糸にも紡ぎやすいのですが、

   こだわりの和棉はアジア棉といい、

   昔からこの地で作られていた地棉で、
  
   小さな実が下を向いてそっと開き

   繊維は短いものの、かわいい綿花を作ってくれます。



       

       

       

       


       

丹波布と丹波布と佐治木綿と縞貫

2012年01月19日 21時29分51秒 | 文献


    これは丹波布の縞帳です。

    昭和28年、上村六郎教授の指導のもと

    復興した、丹波布の縞帳の表紙です。


    私たちは自分たちが織る布の事を「たんばぬの」と呼びます。

    師匠の足立康子氏にそう教わったから。

   
    ところが、日本民芸館やそのほかの資料、本等には

    「たんばふ」というルビがふってあります。


    いったい、何故なのか、気になっています。


    この名前は柳宗悦氏によってつけられたそうで、

    柳氏が発見された、京都辺りでは「佐治木綿」と呼ばれ

    当のここ青垣の佐治では「しまぬき」とよばれていたようです。


    沢山の名前を持つ不思議な織物・・・・は

    無形文化財でもあるんです。



   柳宗悦 民芸運動の先駆者 

   上村六郎 大阪学芸大教授 

   足立康子 丹波布伝承館で我々(1期、2期生)に上村教授直伝の
        技術を伝えてくださった 師匠。 今も現役!
        この縞帳も康子先生に見せていただきました。


    

    

    

イメージわすれな草 着尺

2012年01月12日 21時49分10秒 | 織り
イメージわすれな草 着尺


丹波、青垣に丹波布という、木綿の伝統織物がある

その織物を織り始めてもう10年以上、着尺の長さにして50反以上織ったが、

100反織って一人前の世界なので、まだまだ、半人前。

最近丹波布復興前のしまぬき(佐治木綿)が気になってしかたない。

しまぬきを勉強して、しまぬきに近い織物を織れたら・・・