京都の闇に魅せられて(新館)

八坂の塔と庚申堂、怨霊監視所説 @ 京都妖怪探訪(568)





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 シリーズ第564回からしばらく中断してしまいましたが、今年7月1日に開催されました妖怪伝道師・葛城玄幽氏の京都・東山魔界ツアーのレポートを再開します。
 今回は、京都東山を象徴する観光スポットのひとつでもある、“八坂の塔”法観寺(ほうかんじ)と庚申堂(こうしんどう)を訪れます。
 そして何と。
 この2つは、「怨霊を封じる……というより怨霊を監視する場所だった」という説も!


 まずはシリーズ第564回の続き。
 八坂神社の南楼門(正門)から真っ直ぐ南へと進みます。







 その路の途中にある、蕎麦と親子丼の店「ひさご」で昼食。





 ここは人気店のひとつであり、休日の昼間などは混雑して、しばらく並ばなければ入れないことも多いのですが、この時はほとんど待たずに席に着くことが出来ました。
 こんな幸運に恵まれたのも、“妖怪の子孫”を名乗る葛城氏のご利益か? ……などと思ってしまいましたが(笑)。


 さらに道を南へと進み続けますと。





 その端に八坂庚申堂の門が立っています。





 また門前を横切る夢見坂の上には、東山を象徴する観光スポットのひとつでもある“八坂の塔”こと法観寺が建っています。





 この写真は夢見坂の下から撮ったものですが。
 最寄りの交通機関は京都市営バス「清水寺」停留所で、そこからなら東山通りからこの光景を観ながら夢見坂を上がることになります。


 ますは庚申堂境内へと入ります。











 おおっと。
 写真撮影の前にまずは礼拝をしなければ。


 本堂の前に立っているのは、びんずる行者でしょうか。








 確か、「釈尊の弟子の一人だけど、不飲酒戒(酒を飲んではならない)を守ることが出来なかった為、お堂の中に入れてもらえなかった」という人間味のある方でしたっけ。


 そして本堂へ礼拝。





 ここで、「庚申堂」の「庚申(こうしん)」とは何かについて。
 「庚申」とは、干支のひとつで庚(かのえ)と申(さる)の組み合わせの日だとされています。
 この日、人間の体内に居る三尸(さんし)の虫が、人間の体内から抜け出して、天帝にその人の悪事を告げ口に行きます。その度にその人の寿命が縮められていきますが、その虫は人間が起きている間は体内から抜け出ることが出来ないので、平安貴族などには、庚申の日は酒宴などで徹夜して過ごすという習慣もあったそうです。
 ここで祀られている「青面金剛(しょうめんこんごう)」は、その三尸の虫を食ってしまうので、いつの頃からか「庚申信仰」とえいば、青面金剛を本尊として拝むことになりました。
 ここは正式には「大黒山金剛寺庚申堂」といい、「大阪四天王寺庚申堂」と、(現在は無い)「東京入谷庚申堂」と並んで「日本三庚申」とされます。
 現在でも一年のうち何回かある庚申の日が、ここのご縁日となっています。

 さて、境内散策の続き。
 「庚申信仰」といえば、「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿」も忘れてはいけません。





 封建思想の象徴とも受け止められている三猿ですが。
 宿主の悪事を天帝に告げ口する三尸の虫に対して、「(宿主の悪事を)見ざる、言わざる、聞かざる」で三猿となったという説もあります。
 また、青面金剛と三猿の君あわせは、インド神話のヴィシュヌ神の化身である英雄ラーマと、ラーマに使えた猿ハヌマーンの組み合わせが原型となっているという説もあります。


 ところで、色とりどりの布製の何かが、本堂やびんずる行者の周りにたくさん吊されていますが。





 これは手足をくくられた猿を模した「くくり猿」というものらしいです。
 猿などの獣は欲や本能のままに動きますので、手足をくくられた猿によって「欲の抑制」を表すそうです。
 その体内には本尊・青面金剛の御札が納められ、祈祷も受けていますので、立派なお守りであるわけです。お願い事をしてこうして奉納するのは、「願いを叶える為に欲を抑える」という意味があるそうです。
 それにしてもこの庚申堂では、猿が重要な役割を果たしているようです。
 古来より猿には、魔除けの力があると考えられていたようです。
 本シリーズでも、第264回「猿ヶ辻」第265回「幸神社」第267回「赤山禅院」という、魔除けの猿が居る場所をとりあげたことがあります。











 もしかしたらこの庚申堂も、元々は「魔除けの猿」を置いて、何かからの霊的・呪術的防御を図る場所のひとつだったのではないか。
 そんな気もしてきましたが……。
 後ほど、それに関連した話を。


 境内を出て外へ、八坂の塔“法観寺”の下へ。





 シリーズ第109回でも紹介したことのある古刹です。
 「聖徳太子が夢で如意輪観音のお告げを受けて仏舎利を納めて建てた」とか、「浄蔵き傾いた法観寺・五重の塔を、法力によってたった一晩で元に戻した」などの不思議な伝説が遺されている場所ですが。





 ここで、葛城氏がひとつの説を披露。
 ここ“八坂の塔”法観寺と庚申堂とは、元々対になっていて、あるひとつの目的の為に建てられたのではないか。
 京都の古社・古刹によくあるように「怨霊を鎮める、神として祀る」為に作られたのではないか、と。
 庚申堂の由緒には「飛鳥時代に中国大陸より渡来した秦河勝により秦氏の守り本尊として青面金剛が祀られた」とあります。
 が、ここは元々、魔除けの猿を……猿田彦(サルタヒコ)を祀る社だったのではないか、という。
 例えばシリーズ第56回などで紹介した上御霊神社前にも猿田彦神社がありました。








 日本神話の天孫降臨伝説で、猿田彦は天孫ニニギの道案内をする役割を果たしたことから、「怨霊をも導く」とも考えられていたようです。
 怨霊を葬り、祀っている場所に猿田彦を祀って、怨霊を監視し、怨霊がそこから遠く離れて動き回らないように誘導してもらう。
 「後世に猿田彦は庚申信仰とも結びついた」とする話もありますので、元は猿田彦で、後に「見ざる、言わざる、聞かざる」の庚申へと変化した。
 こういう説ですが。
 では、猿田彦(=庚申堂)に監視されている怨霊とは何者か?
 葛城氏によれば、それは八坂の塔で鎮魂されている聖徳太子(とされた人物)ではないか、というのです。
 聖徳太子怨霊説や暗殺・謀殺説は、哲学者・梅原猛氏など、様々な分野の方が研究あるいは追求されてきましたが。
 聖徳太子怨霊説についても、またじっくりと取り組めたらいいな、本格的に取り組めなくても法隆寺など聖徳太子怨霊説に関連するスポット巡りをしたいな、とは思いました。
 もっとも、その前に葛城ツアーのレポートの続きを書かなければならないですし。去年秋頃に訪れた法隆寺の記事でも書くとか。やることはまだまだ山積みなのですがね……。





 今回はここまで。
 また次回。




*八坂庚申堂のHP
http://www.geocities.jp/yasakakousinndou/index.htm




*八坂庚申堂へのアクセスについてはこちらを参照。




*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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