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どうも、こんにちは。
今年(2021年、令和3年)の『霊場魔所の桜』シリーズの第5回目です。
今年の桜は咲くのも散るのも例年より早かったようで、あっという間に見頃が過ぎてしまった感がありますが、中には遅咲きの桜もあります。
この遅咲き桜のひとつが、本シリーズで何度か紹介したことのある霊場、‘千本ゑんま堂’こと引接寺(いんじょうじ)の普賢象桜です。
そして私のお気に入り桜スポットのひとつでもあります。
今年もその桜を観に行ってきました。
まずはいつもの通り、交通アクセスから。
最寄りの交通機関には京都市営バス停留所「乾隆校前(けんりゅうこうまえ)」停留所もしくは同「千本鞍馬口」停留所があります。
そこから少し歩けば、千本ゑんま堂の入り口が見えてきます。
過去記事(※シリーズ第40回や第545回など)のおさらいになりますが、ここでこの古刹について簡単な説明を。
‘千本ゑんま堂’こと「引接寺(いんじょうじ)」とは、小野篁という人物が、あの地獄の閻魔大王をご本尊として建てた寺院です。そして小野篁という人物は、文武に優れた平安時代の天才的な役人であり、また「現世と地獄とを行き来することが出来た」という異能者としての伝説も遺されている人物でもあります。
なお、コトバンクによれば、寺の名前である「引接(いんじょう)」とは、以下の意味を持つ仏語です。
>1 仏・菩薩(ぼさつ)が衆生をその手に救い取り、悟りに導くこと。
>2 人の臨終のとき、阿弥陀仏が来迎(らいごう)して極楽浄土に導くこと。
平安京の時代、この古刹のある付近には「蓮台野(れんだいの)」という葬送の地が広がっていたそうです。
この古刹はその名のとおり、死者を仏の下へと導く為の場所、野辺送りされる死者と最後のお別れをする場所であったと思われます。
境内に入ってすぐのところから、見事な桜が出迎えてくれます。
まずは本堂のゑんま大王様に挨拶と礼拝を。
そして本堂から奥、精霊(しょうろう)堂の方へ。
ここには、地蔵菩薩と、開基者・小野篁と、開山者・定覚上人との3人の像が祀られており、ここで桜の花のお茶を頂いたことがあります(※シリーズ第180回参照)。
この時は閉まっていましたが。
精霊堂の周りには、他よりも遅咲きの桜が咲き誇っていました。
やはり過去記事(シリーズ第179回)のおさらいになりますが、ここに咲く桜、「普賢象桜」について、少し説明を。
庵主さんのお話によれば、花の中から日本の細い青葉が突き出ていて、それが象の牙みたいに見えるからだそうです。
象といえば、普賢菩薩が乗っている動物。そこから「普賢象桜」と呼ばれるようになったそうです。
この桜は、かつて船岡山の刑場の麓に植えられたという桜であり、花冠のまま落ちるというこの桜の散り際が、まるで切り落とされた罪人の首の姿に似ていると考えられました。
京都所司代は、この花を罪人に見せて仏心を起こさせた、とも伝えられています。
応永15年(1409年)に参詣した後小松天皇や足利義満がこの花に感服したという話が有名ですが、多くの貴人がこの花を見るためにえんま堂を訪れたという記録もあるそうです。
私が訪れた時はまだ、象の牙のような細い青葉はあまり見られませんでしたが。
それでも満開の花々を楽しむことができました。
普賢象桜と紫式部の像。
普賢象桜と紫式部の供養塔。
何故、紫式部の像と供養塔がここにあるのかについてですが。
これには、「紫式部は小野篁に憧れていたから」という説もありますし。
また、「『源氏物語』という、当時としてはエロすぎる作品を世に出してしまった為、紫式部は地獄に落ち、それを哀れんだ円阿上人という人が成仏させる為に創った」という話もありますが、果たして・・・。
普賢象桜と‘わらべちゃん’こと童(わらべ)観音。
普賢象桜と鐘楼。
裏の駐車場から観ても。
ひととおり見終わった後は、ご朱印と。
名菓(迷菓?)「ゑんま様のお目こぼし」(※シリーズ第600回)を頂いて帰ります。
また来年。
今回はここまで。
また次回。
*千本ゑんま堂へのアクセスはこちら。
*千本ゑんま堂のHP
http://yenmado.blogspot.com/
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/
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