京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(276):瑞泉寺と畜生塚伝説






 こんにちは。
 前回紹介しました「三条河原」。
 今回紹介しますスポット「瑞泉寺(ずいせんじ)」は、この三条河原とその歴史に非常に関連の深い場所です。

 入江敦彦氏の名著『恐いこわい京都』の『怖いこわい伝説』の章「畜生塚」には、著者が街中のカフェで聞いたという若い女の子たちの噂話によれば、「かつての処刑場だった三条河原には罪人たちの霊が居て、それを連れて帰らないように“そこの角のお寺”(おそらくは瑞泉寺)にお参りするといい」そうですが。
 事実、その寺・瑞泉寺は元々は三条河原で処刑された人々の菩提を弔うために。より正確に言えば、文禄4年(1595年)に無残に処刑された、豊臣秀吉の甥・秀次とその遺児・側室・侍女を含む家族39名の霊を弔うために建てられた寺なのです。

 『京都妖怪探訪』シリーズを続けてきて思うのですが。
 人間社会やその歴史の闇の部分が。
 人間社会のどうしょうもないような愚かさとか、悲しさとか、残酷さとか。
 心霊スポットの噂や、妖怪や怨霊などの伝説の背景には、しばしばそういったものが観られたりします。
 今回訪れた瑞泉寺も、そんな場所のひとつでした。

 

*よろしければ、以下をクリックしてランキングにご協力お願いします。





 まずはいつものとおりアクセスから。
 前回の続きで、三条大橋から始めましょうか。




 三条大橋から三条通を西へ。高瀬川沿いの木屋町通りと三条通りとが交わる交差点へ。





 この辺りへのアクセスには、京都市営地下鉄「京都市役所前」駅か、京都市営バス「河原町三条」停留所もいいでしょう。

 木屋町三条の交差点から木屋町通りを少しだけ南へ行けば、瑞泉寺の門があります。






 ところで門のところに、今まで豊臣秀次を演じた俳優の記事が貼ってありました。





 あの成宮寛貴(なりみや・ひろき)君も、平成18年(2006年)のNHK大河ドラマ『功名が辻』で、豊臣秀次の役を演じていたのですね。
 この成宮君は、あの大ヒット刑事ドラマシリーズ『相棒』で、2012年から放映のシーズン11から、主人公・杉下警部(水谷豊・役)の三代目相棒・甲斐亨を演じていることで有名でしょう。


 話を戻します。
 境内へと進んで行きます。








 訪れたのはちょうど梅の時期だったので、境内にはみごとな梅の花が咲き誇っていました。


 豊臣秀次。
 あの豊臣秀吉の甥として、秀吉の後継者として豊臣の姓や関白の位までもらいましたが、秀吉と淀君の子・秀頼が生まれると次第に秀吉から疎まれるようになり、文禄4年(1595年)に謀反の疑いをかけられて高野山に追放され、出家させられ、さらにその後すぐに切腹させられてしまいます。
 さらにその後、秀次の首が三条河原に晒されたその目の前で、その遺児・側室や侍女を含む39名が処刑されます。打ち首は並んで晒され、遺骸はその場に埋められたと伝えられています。

 その後の供養塔は、「殺生塚」とか「畜生塚」などと呼ばれ、長らく放置され、鴨川の氾濫などで荒廃していきました。
 処刑より16年後のの慶長16年(1611年)、大堰川や高瀬川の開発を行った豪商・角倉了以(すみのくら・りょうい)がこの塚石を発掘し、菩提を弔う堂宇を建てたのが、この瑞泉寺の始まりである、と伝えられています。


 境内散策を続けます。


 本堂です。





 ご本尊は阿弥陀如来だそうですが、こういうところも死者の成仏や冥福を祈るお寺らしいですね。



 地蔵殿です。





 あの大量処刑事件の時、四条寺町・大雲院の貞安上人が、処刑された子女が極楽へと行けるようにと、刑場の片隅に祀った地蔵尊があります。
 中には地蔵尊像の他に、処刑された子女の像も並んでいました。






 「宝筺印塔」。
 これも、処刑された秀次の一族のために建てられたそうです。





 塔身に刻まれた経文の最後に、「伏して祈る! 願わくば此の塔の功徳を以て、この夜の全ての人々が苦しみから平等に救われますように!」とある。
 そのように案内板に書かれていました。



 小さな地蔵堂も。





 中には小さな石仏が祀られています。
 秀次の一族処刑が行われた当時は、この辺りは鴨川の中州だったそうで、その時から祀られていたお地蔵さんだそうです。


 そしてここが、秀次の墓所です。











 「中空の石びつ」に刻まれた「七月十五日」とは、秀次が切腹させられた日です。


 秀次の墓の周りには、一緒に処刑された子女たちの墓石も。
 今でも、彼女らもこの下に眠っているのでしょうか。






 
 

 秀次とその一族が処刑された原因について、「秀吉が我が子・秀頼の後継者としての地位を確実なものとするため」だとか、「淀君・石田三成の陰謀と讒言によるもの」だとか、様々な説が囁かれています。
 しかし、いずれにせよ明らかなことがあります。
 それは、この事件の悲惨さと、人間の持つ残酷さ、恐ろしさです。

 この大量処刑は「虐殺」と言ってもいいのではないか、と思います。
 当時、あまりのむごたらしさに、京の町衆ですら恐怖し、衝撃を受けたとも言われています。
 さらに、殺してから後も「畜生」だとか「殺生」だとか言って、貶め続けるという。
 処刑・切腹の原因がどういったものであったとしても、血を分けた肉親にそこまでできるような秀吉の残酷さや情け容赦の無さというのは、一体どこから来たのでしょうか?
 古今東西、とてつもない虐殺や残酷な行為をやった権力者はたくさん居るようですから、「富や権力は、人間を際限なく無慈悲で残酷なものに変えてしまう」ということでしょうか?


 本当に恐ろしいのは、妖怪や怨霊などよりも、そういったものを生み出す人間の悪意や欲望、残酷さなどではないだろうか?
 『京都妖怪探訪』シリーズを続けて、妖怪や怨霊などの伝説を生み出してきた人間社会の闇を見て、何度かそう思ったことがありました。
 そして今回も。


 ちょうど梅の季節。
 境内には、梅などの美しい花が咲き誇っていました。














 まるで盛大な弔いであるかのように。
 こういう場所の花ほど、何故か美しかったりするのですね。


 それでは、今回はここまで。
 また次回。





*「瑞泉寺」へのアクセス・周辺地図はこちら




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm



 
*よろしければ、以下をクリックしてランキングにご協力お願いします。






ふるさとを守る脱米救国バナー ふるさとを守る脱米救国バナー



2ちゃんねる から子供たちを守ろう!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「妖怪スポット」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事