どうも、こんにちは。
シリーズ前回に引き続いて今回も、京都の古社のひとつ、新熊野(いまくまの)神社と、巨大なご神木「樟大権現(くすのきだいごんげん)」を紹介します。
今回は、熊野古道を模して、熊野信仰の世界を再現しようとした神社境内の参道、その名も「熊野古道」を紹介します。
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元々は京のこの地に熊野の新宮・別宮として創建されたのが。
後白河ワールドのこの地に熊野信仰の世界を再現しようとして創られたのが、この古社、新熊野(いまくまの)神社でした。
当時は神仏習合の熊野信仰が盛んでしたが、自動車や鉄道などの近代的な交通手段も無い時代、遠く紀州・熊野の地まで参詣することは大変なことであり、そう頻繁に行けるわけではありません。
そこで京のこの地に、オリジナルの熊野の代わりに参詣する場所として、熊野の新宮・別宮として創建されたのが。後白河ワールドのこの地に熊野信仰の世界を再現しようとして創られたのが、この古社、新熊野(いまくまの)神社でした。
シリーズ前回で本殿に礼拝した後、本殿裏にある「熊野古道」と呼ばれる参道を歩きます。
この境内参道は、紀州のオリジナル熊野大社の別宮としての、「熊野信仰の世界を再現する」「オリジナル熊野まで行けない人が代わりに参拝する」という目的の為に創られたもの。その名の通り、オリジナル熊野古道を模して創られたものです。
参道入り口の前に建つ「上之社」。
ご祭神は。
「速玉之男大神(はやたまをのおおかみ)」、本地仏は「薬師如来」。
「伊弉諾尊(いざなみのみこと)」。
「熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ)」、本地仏は「阿弥陀如来」。
なお「本地仏」とは、神仏習合ならではの概念です。日本の神様は、仏教の仏様が姿を変えたものであり、それぞれには「本地仏」とか「御正体(みしょうたい)」とかという仏様としての真の姿を持っている、という考え方です。
同じく参道の前に建つ「中之社」。
ご祭神は「天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)」、本地仏は「地蔵菩薩」。
「ニニギノ(ににぎのみこと)」、本地仏は「龍樹菩薩」。
(注:筆者使用のワープロでは「ニニギノ」の漢字が出ません・・・)
「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」、本地仏は「如意輪観音」。
「鵜茅草茸不合尊(うかやふきあえずのみこと)」、本地仏は「聖観音」。
日本神話に詳しくなければあまり馴染みの無い神様の名前もありますが、この四神は、天照大神(あまてらすおおかみ)から神武天皇に至るまでの四代の神様だそうです。
境内の「熊野古道」を進んでいきます。
「熊野曼荼羅」。
曼荼羅といえば、密教などの世界を仏様の姿や配置などで表現したものとして有名ですが、これは神仏習合の熊野信仰の世界を表現した曼荼羅ですね。
神道の神様、仏教の仏様の他、修験道の開祖‘神変大菩薩’こと役行者や、滝尻王子など熊野の神様も描かれていて、それら全てが取り込まれた熊野信仰独特の世界観が表現されているようです。
「稲葉根王子(いなばねおうじ)」と「荼枳尼天(だきにてん)」。
日本で「稲荷(いなり)」と言えば、大きく分けてだいたい2つの系統があります。
ひとつは、京都・伏見稲荷大社を総本社とする稲荷社、つまりウカノミタマノカミ系です。日本人が「お稲荷さん」と言うと、農業や商売繁盛の神様として有名なこちらを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
熊野では「稲荷神とも稲荷神の姿をした金剛童子」とも言われる「稲葉根王子」として信仰されているようです。
もうひとつは、豊川稲荷を中心とする「荼枳尼天」。
ここではダキニ天は、「六ヶ月前に人の死を知り、死ぬまでその人の加護をする仏」「延命長寿と旺盛な生命力を授ける仏」と解説されていますが・・・。
しかし元は外来の神様であり、しかも古代インドの人喰い鬼神としての恐ろしい顔も持っているという神様。シリーズ第113回でも紹介しましたが、「死後に喰われることを代償に、現世において富や権力を授ける」という、いわば「悪魔の契約」を司る恐ろしい神様でもあるのです。
少なくともシリーズ第113回で、ダキニ天について調べた筆者には、ダキニ天というと、こういう怖いイメージが。
稲荷信仰も、ダキニ信仰も、古くから、少なくとも平安末期には広まっていたことが。
また、日本古来の神様だけでなく、外来の神仏(人喰いの魔神や鬼神をも含む)をも取り入れて、独自の信仰形態を創りあげた先人の知恵や発想力がわかるようで、興味深いと思いました。
次もまた、熊野の神様と、その本地仏らしい仏様とがそれぞれ祀られています。
左側が「滝尻王子(たきじりおうじ)」と「帝釈天」。
右側が「発心門王子(ほっしんもんおうじ)」と「梵天」。
確か「帝釈天」、元は古代インドの武神にして雷神のインドラ。「梵天」も古代インドの宇宙の創造神・ブラフマー。
ここにも、古来・土着の神様と、仏教など外来の神仏をも取り込み、融合させて創られた、当時の日本人独特の信仰がわかるようで、面白いですね。
「八咫烏(やたがらす)」
日本神話に登場する、熊野の神の化身ともされる、三本脚の烏の姿をした霊鳥です。
神武天皇の東征を、道案内をして助けた話で有名です。
このことから八咫烏は、「目標達成の神」「勝利や幸運をもたらす神」「不幸や災難を代わりに引き受けてくれる神」として信仰され、日本サッカー協会のシンボルマークにも選ばれています。
「後白河法皇座像」。
この新熊野神社を創建した人、新熊野神社や法住寺、蓮華法院を内包した広大な支配していた人物です。
自身も生涯に34回もオリジナルの熊野へ参詣したという熱心な信者でした。
不動明王と、その眷属、勢多迦童子(せいたかどうじ)と矜羯羅童子(こんがらどうじ)。
神仏習合の熊野で、不動明王が祀られているのは不思議ではありませんが。
何故、不動明王とその眷属がここで祀られているかと言いますと。
高雄の神護寺(※シリーズ第585回と第586回を参照)の中興の祖・文覚上人の壮絶な荒行のエピソードによります。
熊野・那智の滝で息絶えるほどの壮絶な荒行をしましたが、それを甦らせたのが、不動明王の命を受けた勢多迦童子を矜羯羅童子でした。こうして不動明王の加護を受けた文覚上人は、その後も各地の霊場で修行を重ね、「刃の修験者」とも呼ばれるほどの法力・霊力を得たと伝えられています。
ところで神仏習合の熊野らしく、不動明王の神様として姿も記されていましたが、それが弥都波能売神(みずはのめのかみ)という水の神様。不動明王といえば、火の仏様というイメージがあるのに、神様としての姿が水の女神様とは何故?
そう思って案内板を観たら「不動明王の炎が煩悩の炎を焼き尽くし、焼き尽くした後の焼き柄を取り除き、心を清浄に保つのが水の神様の役割で、神と仏が一体になって迷える衆生を救済する、ここに神仏習合の一つの形を見ることが出来る」と解説されていて、大いに納得しました。
ただ・・・私としてはこの文覚上人という人物が嫌いというか、どうしても好きになれないのですよね。その理由はシリーズ第211回記事に書いてありますし、文覚上人が『平家物語』の遠藤盛遠(えんどうもりとお)だと言えばおわかり頂けるかもしれません。
「熊野三山」。
「那智の滝」。
「大斎ヶ原(おゆみがはら、旧・熊野本宮大社)」。
「神倉山」。
熊野の地は自然神信仰の聖地でもあり、この「熊野三山」自体も信仰対象のようです。
「熊野古道」を出たところに建つ「若宮社」。
ここで祀られている「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の本地仏は、「十一面観音」ですか。
「下之社」。
ここでも祀られている神様と、その本地仏が記されています。
ここにも。
「花の窟(いわと)」。
「花の窟」とは、『日本書記』で、「伊弉冉尊(イザナミノミコト)」が埋葬された場所とされ、案内板には「三重県熊野市有馬にあり」「現在は大岸壁の前に鳥居が立っているにすぎないが、熊野信仰の原点ともいえる場所である」と記されています。
ひととおり、境内の「熊野古道」を巡りましたが。
ここはオリジナルの「熊野古道」を模した、ミニテーマーパークみたいなものかもしれません。
オリジナルの「熊野古道」には、以前「清姫伝説の地めぐり」(※シリーズ第622回から第633回まで)の時に、その一部だけ訪れたことがありますが。
またオリジナルの熊野古道を訪れたいとも思いましたけど・・・いろんな意味でなかなか行けない。あっ、こういう人の為にこの「熊野古道」はあるのですね。
シリーズ次回は、新熊野神社の境内で800年以上も生き続けるご神木「樟大権現」を紹介します。
今回はここまで。
また次回。
*新熊野神社へのアクセスはこちら。
*新熊野神社のHP
http://www.imakumanojinja.or.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズ