どうも、こんにちは。
今年(令和6年・2024年)も京都・夏の風物詩ともいうべき、祇園祭が開催されました。
シリーズ第898回から数回に渡って、祇園祭の諸行事の中でも、最も注目が集まると言われる、前祭(さきまつり)の山鉾巡行の様子を、動画付きでお届けします。
今回は、第10番目の霰(あられ)天神山から第17番の菊水鉾までの巡行の様子を。
シリーズ前回の続き。
何故か9番目の筈の「鶏鉾」が見えず、しかもしばしば巡行が止まったりして、「何事かあったのか?」などと心配になりましたが。
9番目を飛ばして、10番目の令和6年)、「霰(あられ)天神山」の巡行が通ります。
その名の通り、天神こと菅原道真の霊を祀った山です。
永正年間(1504~1520年)、京都に大火があった時に、霰(あられ)と天神像を降らせて、京都を猛火から救ったとも伝えられる天神を祀っている山です。
過去記事では、シリーズ第363回記事で紹介したこともあります。
それにしても。
今年は仕事などで例年になく多忙だったこともあって、霰天神山のそばにある『膳處漢ぽっちり』の祇園祭前祭の限定メニュー「しみだれ豚饅」を食べそこなってしまったなあ・・。
11番目「芦刈山」巡行の場面です。
なお私は、親しみを込めてこの山を「ダメ男山」とも呼んでいます(笑)。
元々は、「貧しさにゆえに心ならずも分かれて暮らす夫婦が、再会し結ばれる」というストーリーの、能・謡曲『芦刈(あしかり)』をモチーフにした山なのですが。
より古い、というより、能・謡曲の「芦刈」の原型となったと思われる話も遺っているのです。
天暦5年(951年)頃の『大和物語』第148段「芦刈」とか。
『今昔物語集』巻30第5話「身貧しき男の去りたる妻、摂津の守の妻となる話」とか。
『源平盛衰記』巻36、阿巻、「難波ノ浦ノ賤ノ夫婦」など。
それらの話によりますと、夫婦が貧しさ故に別れるというところまでは同じようですが・・・。
別れた後、元妻の方は、新しい勤め先で活躍し、貴人にみそめられ再婚して裕福になります。
それに対して、元夫の方はどんな仕事をやってもうまくいかず、より劣悪な条件の仕事・身分へと落ちぶれていきます。
そして、湿地で芦を刈る仕事をしている時に再開するのですが、元妻は元夫のあまりの零落ぶりを見て、夫に施しをします。
しかし夫の方は、あまりのみじめさと情けなさに逃げ出し、その後二度と姿を見せませんでした。
書物によって多少の違いはあるのですが、だいたいこんなストーリーです。
「裕福になった妻に対して、何をやってもダメで落ちぶれた夫」と、「二人は再び結ばれることなく終わった」という2点ではだいたい共通しています。
そのストーリーを能の作者・世阿弥が、ハッピー・エンドになるように改変したのでしょうか。
それにしても、この主人公のダメ男ぶり、私は大好きです(笑)。
まるでこの私みたいで・・・っと、すみません。また話がしょうもない方向に行きそうなので、ここで次の山の話に行きますね。
過去記事では、シリーズ第365回記事で紹介したこともあります。
12番目「孟宗(もうそう)山」の巡行です。
孝行に優れた人物をとりあげた中国の史話『二十四孝』に記されたエピソードのひとつ、「孟宗(もうそう)」という人物の故事をモチーフにした山です。
病の老母が、冬の時期に筍を食べたいと言ったので、冬の竹林に筍が生えているはずもなく、孟宗は泣いて天に祈りながら雪を掘っていた。すると雪が融け、土中から筍が出てきた。孟宗は大喜びで筍を採って帰り、汁物にして老母に飲ませた。すると病もたちまち癒えて、老母は天寿を全うした。
この山鉾は、孟宗が冬の竹林で筍を掘り出す場面を表現しています。
こういう孝行息子のハッピーエンドな話ですが、この話、「天に祈ったら冬の竹林に筍が生えてきた」という、通常ではありえない奇跡に依存しているわけで。
それに、いくら病の老母の頼みとは言え、冬の竹林に筍を採りに行かせるというのに、そのそも無理というか無茶があるのでは・・・。
この話の他にも『二十四孝』には、どうも親からの明らかな無茶振りのエピソードもあり、「どんな無茶ぶりや理不尽な指示・命令であっても親には従わなければならない」という当時の価値観が表れているようです。
また、そんな無茶振りでも、通常ではありえないような「天からの奇跡」に助けられて実現させてしまうような話もあり、これって昔あったという「日本は物資が無くても神風が吹いて戦争に勝てる」みたいな危ない精神主義にも通じるのではないか、そんなもので社会道徳とかを語ってほしくないようなあ、などという気も、私にはするのですが・・・。
とはいえ、おそらくはそれがこの山鉾が造られた当時の民衆に人気のあった故事のひとつであり、また当時の社会通年だったのかな、とか。
野暮な論評はここまでにしておきましょうか。
13番目「月鉾」の巡行です。
日本神話で有名な「月読尊」を祀る鉾です。
他の山鉾と同じく、懸想品など多くの貴重な宝物を内に抱えた巨大鉾です。
が、先述の通り、今年の祇園祭山鉾巡行には、巡行が途中で突然止まったりとか、9番目のはすの「鶏鉾」が見えないなど、何というか異例なことも多く。
炎天下の中待ち続けていたのでが、途中でしびれを切らして移動しました。
それで、この13番目の「月鉾」から、それまでの山鉾とは違う場所やアングルから撮ることにしたのです。
14番目「太子(たいし)山」の巡行です。
あの日本の歴史・伝説上に名高い賢者にして聖人・聖徳太子をモチーフにした山です。
何故か幼い子供の姿で表現されることも多い謎多き聖人です。
聖徳太子も、古くから日本人に人気の高かったキャラの一人で、こうして祇園祭の山のモチーフになっています。
過去記事では、シリーズ第367回記事で紹介したこともありますが、現在では失われたインドの伝統産業の技術が使われた懸想品など、歴史的・芸術的価値の高い貴重な品々を内包しています。
太子山に限らず、祇園祭の山鉾には、そういう歴史的・芸術的な価値の高い凄い品々があり、しかもそれらが町場で保管されているという驚くべきことも多々あるのです。
15番目「四条傘鉾」の巡行です。
祇園祭の山鉾は、元々は傘や棒ふりばやしが巡行するものだったそうですが、この「綾傘鉾」は、その古い形態を残した山鉾のひとつだそうです。
過去記事では、シリーズ第368回記事で紹介したこともあります。
16番目「蟷螂(とうろう)山」の巡行です。
仕掛けで動く蟷螂(かまきり)が特徴的な山です。
過去記事では、シリーズ第190回記事とシリーズ第641回記事とで紹介したこともありますが、実は人々に親しまれたある英霊を表しているという話も。
17番目「菊水鉾」の巡行です。
(7426)
過去記事では、シリーズ第409回記事で紹介したこともありますが、古代中国伝説上の〝永遠の美少年〟菊慈童をモチーフにしたという鉾です。
ところで菊水鉾では毎年、山鉾巡行前の宵山の期間中、オリジナルの茶菓子と皿とが授与されるのですが、今年は仕事の都合で行けなかったのが残念。
記事がそこそこの長さになったので、今回は一旦ここで切りましょう。
今回はここまで。
この続きはまた次回。
それにしても、ここしばらくオフの方が、特に仕事が恐ろしく多忙になった為、山鉾巡行当日から二ヶ月近く経ったあとにレポート記事アップになってしまいました。
*公益法人祇園祭・山鉾連合会のHP
*祇園祭のHP(八坂神社のHPより)
https://www.yasaka-jinja.or.jp/event/gion/
*『京都妖怪探訪』シリーズ