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京都の闇に魅せられて(新館)

平野神社の桜と百済の神々と怨霊神・高野新笠 @ 京都妖怪探訪(779)

 

 

(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)

 

 

 どうも、こんにちは。

 今年(2022年、令和4年)の『霊場魔所の桜』シリーズの第4回目記事を書きたいと思います。

 今回は平野神社。

 京都の桜の名所のひとつとしても有名な霊場です。

 そしてここには、平安京遷都をした桓武天皇によって、異国の、百済の神々と、そして怨霊神と化した桓武天皇の母・高野新笠(たかのにいがさ)が祀られているらしい、という話もあります。

 ある本でそんな話を知り、「これは是非とも訪れなければ」と思い立ちました。

 

 

 

 まずはいつもの通り交通アクセスから。

 最寄り交通機関には、京都市営バス「衣笠校前」停留所もしくは同「わら天神前」停留所があります。

 

 

 

 

 いずれの停留所からも、西大路通り沿いを少し歩けば、入り口が見えてきます。

 

 

 

 

 鳥居をくぐると早速、満開の桜の光景が。

 

 

 

 

 入場料を払って中へ。

 中には見事な桜の光景が広がっています。

 

 

 

 桜の園を抜けて本殿へ。

 ここで、平野神社とは、この霊場で祀られているのはどんな神様なのかについて。

 西川照子『京都異界紀行』(講談社現代新書)、第一章・三「平野神社と桓武天皇」からの引用で、解説します(以下引用)。

 

 

> 平野神社のご祭神は、四柱。イマキ(今来・新来)・クド(九度・竈)・フルアキ(古開)の三柱のヒメ神である。元々は平城京に祀られていた今来の神を、桓武天皇が平安京に遷されたことに始まる。四柱の主人公は今来の神で、渡来系の神という。九度の神は、竈の神であろうし、古開の神は開拓の神であろう。

 ただヒメ神は、桓武天皇の母・高野新笠の母方の先祖神であるというので、このヒメ神の出自をもって、平野神社のご祭神を考えると、先の三柱の神はすべて新笠の父方の先祖神ということにならないか。つまり平野神社の神は四柱とも百済系の神ということである。

 

(引用ここまで)

 

 

 

 平安京を遷都した桓武天皇の母・高野新笠が百済系豪族の出身であるというのは有名な話であり、母とその一族が信仰していた百済系の神々を祀った、ということでしょうか。

 さらに同著には、以下のように、「桓武天皇は、自分と母を、百済の伝説上の王と聖母に見立てようとしていたのではないか」とする説についても書かれています(以下引用)。

 

 

> さらに、今来の神を具体的に「百済の都慕王」に当てる説がある。都慕王は高野新笠の遠祖である。この王は「処女懐胎説話」を持つ。川の神の娘が日光(太陽)に感精して身ごもって、生んだ赤子が都慕王という。

 新笠はこの伝説を深く信じていた。そこで彼女の謚名(おくりな)は「天高知日之子姫(あめのたかしらすひのこひめみこ)」、日の神の皇女という。母・新笠はこの伝承を子・山部王(後の桓武天皇)に語っていたのではないか。百済よりの渡来神・今来の神を奈良より遷座させたのは、そのためではないか。平野神社を「百済王」一族の社とするためではないか。

 

(引用ここまで)

 

 

 

 もっとも、現在の平野神社さんは、百済との関係をあまり言いたがらない、あるいはあまり認めたがらないようにも思えますが・・・。

 

 

 

 さらに桜の光景が続きます。

 

 

 

 

 

 ところで平野神社と桜との関係についても、同著に以下のような記述があります(以下引用)。

 

 

> ところで桜は? ーー新笠はコノナハサクヤヒメに擬せられたのではないか。平野神社が抱えた母この愛情物語は、山の神の娘、桜の精・コノハナサクヤヒメとダブる。コノハナサクヤヒメは「火中出産」という呪的な御産をして王子たちを生むが、王子たちの父・ニニギの命(みこと)との結婚は、「一夜孕み」と言って尋常な結婚ではなかった。コノハナも「処女懐胎説話」のヒメなのである。

 

 

(引用ここまで)

 

 

 

 「処女懐胎説話」と言えば、百済の都慕王だけでなく、イエス・キリストと聖母マリアの話を思い出します。

 どうも、「神の子(聖人や偉大な人物)が処女から生まれる」というパターンの伝承は、世界各地にあるようで・・・。

 もしかしたら桓武天皇は、自分と母とを、そういう神の子と聖母に見立てようとしていたのではないか。そんな想像が頭に浮かんできます。

 

 

 

 桜の園を抜け、本殿へ礼拝。

 

 

 

 

 本殿前に立つ「右近の橘」と「左近の桜」とが、この古社がまぎれもない皇室の神社だということを示しています。

 

 

 

 

 

 ところで本シリーズ読者の皆様のようなオカルト方面に興味ある方々には、御存知の方もおられるでしょうが。

 桓武天皇は、その地位を得て守る為に、また息子に天皇を継がせる為に、兄弟やその母など何人もの人々を藤原氏と組んで謀略にかけ、葬っています。それ故、生涯に渡ってその怨霊に怯え続けることになり、それが平安京が数々の霊的・呪術的防御の為の霊場を抱える都となったのは、知る人ぞ知る話です。

 西川照子『京都異界紀行』(講談社現代新書)には、ここ平野神社もそうした機能を持つ霊場のひとつとしても創られた、とする説についても記されています(以下引用)。

 

 

> 桓武が平野神社に母方の「百済系の神々」を祀った理由はもうひとつある。怨霊鎮魂の呪術(陰陽道、宿曜道)を、百済の神々は持っていたからである。桓武はたくさんの怨霊を抱えていた。まず、父・光仁天皇の皇后であった井上内親王(いがみないしんのう)、その皇子・他戸(おさべ)親王。(中略)結局、光仁天皇に対する謀反のかどで、井上・他部

母子は幽閉され、憤死する。そして誰もが認める平安の大怨霊となった。

 さらに平安の大怨霊として、桓武天皇即位とともに皇太子となった早良親王(さわらしんのう)が居る。早良は桓武の実の弟である。しかし乙訓寺に幽閉され、淡路に流される途中没した(一説には親王はすでに亡くなっていて、その亡骸を船に乗せて淡路に流したのだという)。飲食を絶って自裁して果てたのだという。抗議の死であろう。彼の死後、まず桓武の皇太子・安殿親王が死去、それに続いて桓武の周りで相次いで死者が出た。桓武は恐れて、母のゆかりの地・高野に社を建て、早良親王を崇道天皇と追号して祀った。・・・

 

 

(引用ここまで)

 

 

 

 本殿へと直結する東門と鳥居の周辺にも、見事な桜の光景が。

 

 

 

 そしてさらに、同著には、「高野新笠は、我が子・桓武天皇を幾人もの怨霊守るために、自身もそれ以上の怨霊神となったのではないか」とする、驚くべき説も記されていました(以下引用)。

 

 

>・・・早良親王と他部親王の母・井上内親王。このものすごい怨霊・井上内親王に打ち勝つために、桓武の母・新笠は井上を超える大怨霊にならなければならなかった。

 

 

>白峯神宮には崇徳天皇とその母・待賢門院璋子が、上賀茂・片岡社には、別雷神とその母・玉依ヒメが、そして、ここ平野神社には、桓武天皇とその母・高野新笠が見える。母子の物語を持つ社は要注意。特にその父の存在が薄い場合、母は、子を守るために、タタるヒメ神、女神となることがある。

 

(引用ここまで)

 

 

 

 もし、この説の通りならば。

 死してもなお我が子を守るために、自ら(或いは祀られて)怨霊となって、やはり怨霊と化した正妻とその子供たちに対峙し続ける。

 想像すると、何とも凄まじい修羅場の光景が目に浮かんできます。

 美しい桜の光景の裏側には、このような壮絶な物語があるのかもしれない。

 そう考えれば、満開の桜の光景もまた違って見えるような気がします。

 

 

 

 

 今回はここまで。

 また次回。

 

 

※追記(2022/05/01 08:35):

 「特別編・2022年の目標」で、「今年中に、本シリーズで新規スポットの記事を最低でも15以上、出来れば20以上書く」ことを目指していましたが、今回は5本目。目標達成まであと10本です

 

 

 

 

*平野神社への地図・アクセス・周辺地図はこちら

 

 

*平野神社のHP

https://www.hiranojinja.com/

 

 

 

 

 

*『京都妖怪探訪』シリーズ

https://kyotoyokai.jp/

 

 

 

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