京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(211):「鳥羽地蔵」浄禅寺と恋塚




 京の6地蔵を巡る本シリーズの旅、第2回目。
 今回は、京の6つの出入り口のうち、「西国街道」沿いの「鳥羽地蔵」浄禅寺を紹介します。

 ここはまた「恋塚」、あるいは「鯉塚」の言い伝えでも知られている場所でもあります。
 まずは、いつものとおりアクセスから。
 
 京都市営バス「地蔵前」停留所





 停留所の名前通り、そのすぐそばに浄禅寺はあります。


 門から中に入ります。






 中に入ってまず、大木が目につきます。








 奥に小野篁が作ったという6体の地蔵菩薩像のひとつを祀った六角堂がありますが、まずはその前に本堂のご本尊にお参りをします。





 すみません、ちょっと傾いて写ってしまいましたが。
 ここの本尊は、阿弥陀如来です。ここは浄土宗の寺院なのです。
 浄土宗西山禅林寺派、京都東山にある有名な「永観堂」の末刹寺でもあるのです。
 寺伝によれば、寿永元年(1182年)に文覚上人の開基によるとされています。

 この寺を開基した文覚(もんがく)というクソ野郎について……。
 いや失礼。この文覚という人物についてですが、この人についてはまた後ほどとりあげます。


 六角堂にお参りをします。






 まず、ろうそくと線香をお供えします。












 六地蔵のうちの1体。浄禅寺のお地蔵さんです。






 そして、「鳥羽地蔵」の幡です。






 幡をいただいて次へ……。
 っと、その前に。

 この浄禅寺にはもうひとつ、注目すべきものがあるのです。
 それが「恋塚(こいづか)」です。

 というより、この寺は正式名称を「恋塚浄禅寺(こいづかじょうぜんじ)」というように、この「恋塚」の話でも有名なのです。

 この「恋塚」は「鯉塚」だという説もあります。
 寺の近くの池に棲んでいた鯉が、毎夜妖怪となって出没したので、それを退治して埋めた塚だという話です。
 妖怪マニアの私としては、この話でもいいのですが(笑)。

 しかし「恋塚」は、この寺を開基した文覚と、この塚に葬られているという袈裟御前という女性にまつわる話の方が有名です。






 この寺を開基した文覚という僧は、元は遠藤盛遠(えんどうもりとお)という武士でした。
 しかも「北面の武士」という上皇の身辺警護などを担当する、当時としてはエリートの武人でした。
 京都の高尾山の神護寺の再興を強訴したため、伊豆へ流され、その後平安時代から鎌倉時代への動乱の中で活躍し、そして翻弄され続けた人物です。

 『源平盛衰記』などによれば、この文覚が出家することになった原因として、袈裟御前という女性に横恋慕したあげくに殺してしまったという話が伝わっています。
 今で言うストーカー殺人事件です。

 元は北面の武士だったという遠藤盛遠は、同僚である渡辺佐衛尉源渡(みなもとわたる)の妻である袈裟御前(けさごぜん)という女性に横恋慕し、彼女の母を人質にとって自分の想いを遂げようとします。
 ……。
 これだけでも、この遠藤盛遠という人物は、本当に最低な野郎だな、と私は思うわけですが……。
 やむなく袈裟御前は、盛遠に「夫・源渡を殺せば想いを遂げさる」という約束をします。
 闇夜にまぎれ、源渡の屋敷に忍び込んだ盛遠は、袈裟の手引きで渡の首をはねます。
 しかし首をはねられたのは渡ではなく、夫の身代わりとなった袈裟御前の方でした。
 その後、盛遠は己の罪を恥じて出家。夫・盛遠と袈裟御前の母も出家して、袈裟の供養をしたと伝えられています。
 この浄禅寺の「恋塚」には袈裟御前の首が葬られているとも伝えられています。


 寺の門前にこのような場所があります。





 ガラスボックスで保護されている石碑は、江戸時代の有名な儒学者・林羅山が袈裟御前を貞女として讃えた碑です。
 ただ私個人としましては、江戸時代の封建的身分差別制度を正当化する理論を作り出した人物に、死んでから貞女として讃えられてもねえ……という気がするのですが。
 また、林羅山の思想と言えば、一種の合理主義(儒教的な現世主義・道徳主義)だったはずで、しかも仏教を排斥する主張もした人物でもあります。
 つまり仏教とは、特に来世宗教である浄土宗や浄土真宗とは相容れないような人物のはずですが、そんな人物の石碑が浄土宗のお寺にあるなんて、ちょっとおかしくないかと思うのですが。

 ……すみません。
 小学校の社会科で江戸時代の身分制度について勉強して以来ずっと私は、林羅山という人が嫌いだったものですから。
 ついついきついことを言いたくなってしまいました。

 庭の小道を、林羅山の碑の前を通ってさらに奥、そこに「恋塚」は立っていました。






 これが「恋塚」。
 現在では哀しく、美しい物語として伝わっているこの塚の由来ですが。

 ただ私としては、この話には、なんか納得できないこととか、突っ込みたくなるような点とかが多いのですね。
 まず、「理不尽かつ身勝手な理由で家族の生命を狙ったあげくに、自分を殺したような男の下で葬られている女性の気持ちとは、果たしてどんなもんだろうか?」という疑問。
 次に、盛遠がやらかしたことは、明らかな殺人であり、しかも理由もやり口もかなり身勝手で自己中心的なものと言わざるをえないものです。
 自分の罪深さに気づいて出家したという話ですが、「その前に罪人としてとらえられ、裁かれなかったのか?」とか疑問に思うのは私だけでしょうか?
 また、袈裟御前の母と夫・盛遠も一緒に出家したという話ですが。
 現在でも、家族や恋人を理不尽な犯罪によって奪われた遺族や恋人が、その犯人を許せないというケースが、現実には多い。というか、むしろそれが人間の感情というものだと思うのですが。
 現実にその犯人を許せるというのは、なかなかできることではないと思うのですがね。
 なーんか、あまりにも美談になりすぎているんじゃないか、という気が私にはしたのですがね。

 すみません。
 どうも私は、どこかひねくれているのか、あるいは何か人間として歪んでいるのでしょうか?(苦笑)
 どうも美談とか、あまりにも美しすぎる話というのを、素直に受け取ることができないようです。
 またそれが、江戸時代の身分差別を理論・道徳として正当化した林羅山のような人物が、美談として持ち上げるから、余計に胡散臭く思えてきたのかもしれません。

 あー、いけません。
 せっかく800年も続いてきた京都の伝統行事に参加したというのに、ひねくれた話をしてしまいました。すみません。



 ともあれ、6地蔵めぐりの2番目の場所をこうして参拝することができました。
 なお境内には、ご丁寧に6地蔵の3番目「桂地蔵」までの道のりを書いた地図までありました。






 それでは、今回はここまで。
 シリーズ次回は、その「桂地蔵」を紹介します。
 



 それではまた!



*「鳥羽地蔵」浄禅寺へのアクセス、周辺地図はこちら




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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