どうも、こんにちは。
シリーズ前回から半月以上経ってしまいましたが、それでもこのシリーズも再開したいと思います。
今回は「釘抜き地蔵」と呼ばれている、京都・西陣の石像寺を訪れます。
ここには、あの“弘法大師”空海が刻んだという地蔵菩薩像があり、さらにふたつ名「釘抜き地蔵」の由来と信仰の元となった伝説も遺されています。
まずはアクセスから。
最寄りの交通機関は京都市営バス「千本上立売」停留所です。
そこから歩いてすぐ、千本通りの東側の一角に入り口があります。
ちょうど訪れたのが節分会の時だったので、ご覧の通り露店もあります。
門から中へ。
本堂と、この寺に伝わる伝説を象徴する釘抜きのモニュメントが見えます。
さてここで、この石像寺について簡単な説明を。
自伝によれば、弘仁10年(819年)に“弘法大師”空海によって創建されました。その為当初は真言密教の寺院でしたが、鎌倉時代に浄土宗に改宗されたそうです。
本来ならばまず本堂に礼拝するのが筋ですが、その前に本堂の周りにいろいろな建物や仏像などがあるので観て回ります。
ご覧のように、本堂周りにはまるでごく最近創られたような比較的新しい仏像も多いのですが、本堂の裏手には、重要文化財にも指定されている古い石仏が祀られています。
それが、阿弥陀如来像と両脇侍(観音・勢至菩薩)像です。
伊勢権守佐伯朝臣為家という人が願主となって元仁2年(1225年)に創られたことが裏に刻まれた銘から明らかになっているそうです。
ひとつの石から彫られた仏像としては日本最古だそうです。
本堂にお参りしますが、その前に本堂の壁などに注目します。
無数の釘と、釘抜きが奉納され、飾られています。
これは、今まで願いを叶えてもらったお礼に奉納された絵馬だそうです。
本物の釘と釘抜きが付けられています。
この奉納された絵馬も、「釘抜き地蔵」の伝説に基づいています。
この本尊の地蔵菩薩像は、空海が唐から持ち帰った石から彫られたそうです。
当初は、「あらゆる苦しみから救ってもらえる」という信じられ、「苦抜地蔵(くぬきじぞう)」と呼ばれていました。
室町時代の弘治年間(1555~1558年)、油小路上長者町付近(現在の京都市上京区)に、紀ノ国屋道林という豪商が住んでいました。
この道林が40歳の時、突然両手が痛み出します。
道林はあらゆる治療を施させましたが、痛みは治りませんでした。
そこで苦抜地蔵に7日間の願掛けに訪れました。
7日目の夜、道林の夢の中に地蔵菩薩が現れて告げました。
「この痛みは、お前が前世で藁人形に釘を打ち、人を呪った報いである」
こう言って、道林の手に刺さっていた2本の釘を抜きました。
目が覚めた後道林は、両手の痛みが治まっていたので、不思議に思って石像寺に行きます。
すると夢の中で地蔵菩薩に抜いてもらった血の付いた釘がありました。
道林は感謝して100日間のお礼参りをし、それからここの地蔵菩薩は「釘抜き地蔵」と呼ばれ、信仰され続けています。
現在でも苦痛を取り除いてもらおうと訪れる人があとを絶たず、願いが叶った際に奉納された絵馬は無数にあります。
そして本堂のご本尊へと礼拝します。
ここには参拝者だけではなく、地元の方らしき人たちも集まっていました。
京都の町中にある霊場魔所の多くがそうであるように、ここも一般市民の憩いの場というか、生活空間の一部となっているようです。
ところで、もうしばらくオフの多忙などで、ブログ記事の更新が遅くなることが続きそうです。
また一時期は、京都とか、日本のことがほとほと嫌になってしまったということもありました、正直。
しかしこうして、生活空間の一部ともなっている霊場魔所の光景を観て、また撮りだめした写真を眺めているうちに、やはり楽しい気持ちになってきて……いまこうして再開しています。
今後とも、こうした京都ならではのユニークな霊場魔所や伝説地などを観て回りたいと思います。
それでは今回はここまで。
また次回。
*石像寺の周辺地図・アクセスはこちら(「京都散歩ナビ」より)。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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