京都の闇に魅せられて(新館)

岩屋山志明院(その1) @ 京都妖怪探訪(329)





 どうも、こんにちは。
 最近、オフが公私供に多忙で、ネットに関わっていられる時間がほとんどなかったため、前回から間が開いてしまいましたが。
 頑張って再開していきたいと思います。


 岩屋山志明院。
 「岩屋不動」「岩屋山金光峰寺(きんこうほうじ)志明院」とも呼ばれる真言宗系の古刹です。
 歴史はかなり古いようで、「水源地を祈願し祀らなければ、暴れ川である賀茂川は治まらず、都の平穏はない」と、天長6年(829年)に弘法大師・空海により開創されたと伝えられていますが、縁起によれば大化6年(650年)に修験道の祖・役小角が不動明王の示験により草創したともいわれています。
 いずれにしても、かなり古くから山岳信仰等の聖地・修行地としての歴史があるようです。
 
 これだけでも、十分に凄い場所なのですが。
 さらに「妖怪」や「オカルト」関連でも、その道では知る人ぞ知る有名な場所です。
 「京都最大の魔所」「都から追いやられた妖怪変化たちの最後の砦」だとか言われ、また「全国レベルでも最強(最恐)の場所」だと言う人も居ます。
 司馬遼太郎などの有名作家が、この場所で怪異を体験したことを随筆に書き記している他、凄い怪異を体験したという話がいくつも伝わっています。
 当の志明院さんがメディアなどの取材にあまり応じない等の理由で、一般でも知名度は今ひとつのようですが。
 しかし『京都妖怪探訪』シリーズでは一度は取り上げたかった、というよりも、必ず取り上げられなければならない場所のひとつであると考え、この度記事にしました。




 前回の続きから。
 岩屋山志明院の入り口です。






 入り口の階段を上がって境内へ。
 次の写真の向かって左にあるのが仁王門、右にあるのが寺務所です。






 ここは、トイレと宿坊でしょうか。





 ここでは現在、一般の宿泊は受け付けていないそうです。
 おそらく一部の関係者や修行者などといった方々のみが宿泊されているものと思われます。


 昔は部外者の中にも宿泊した人も居るようです。
 その中には、新聞記者時代の司馬遼太郎も居ました。
 司馬氏が昭和29年に書いた随筆『石楠花妖話』によれば、ここには3種の物の怪が出るという話だそうです。
 境内奥の山中に出るという「竜火」。
 前回も少しだけふれました@天狗の雅楽」。
 そして、当時の司馬氏と同行した若い記者が茶室に泊まった時に遭遇したという、ポルターガイスト現象のような怪異です。
 それについて記した部分を、以下少し引用してみます。



>寝につくや、三方の障子が不意にガタガタと鳴りだして、とても寝ていられない。
地震でも突風でもないのに、障子だけが激しく音を立てて揺れるのである。
障子を開けて縁側に出てみると、誰もいない。
小首をかしげて寝床に戻ると、また鳴りだす。
そのくり返しが続くので、たまらなくなって障子を開け放しておくと今度は屋根が鳴りだす。
小童が屋根に登って四股を踏んでいるように、ドスン・・・ドスン・・・と響くのである。

 
 
 引用ここまで。

 スタジオジブリの宮崎駿氏は、司馬氏からこういう話を聞いて、あの大ヒット作『もののけ姫』の構想をしたそうです。
 何とも凄まじい怪現象ですが、司馬氏以外にも様々な怪異の話が遺されています。
 そんな話の中から、もうひとつ宿泊者にまつわる話を紹介します。

 ある年の夏こと。
 一人の女性が宿泊した時のことです。
 夜、その女性が寝ているところに小さな侍が現れて、針のような刀で、胸や脚等体中を突き刺しだしました。彼女は痛みに耐えかねて、胸をはだけ、裾をめくりあげてのたうちまわりました。
 異変に気づいた当時の住職が来て、彼女のあられもない姿を見て、印を結び、喝を入れて正気を取り戻させて事なきを得たという話です。

 まるで『今昔物語集』にも出てきそうな、艶っぽい要素もある話です。
 こういう女性信者・宿泊者がいたずらをされたという話もありますから、志明院にはエッチな妖怪も居たようです。



 さてここで、少し話題を変えます。
 志明院は石楠花(しゃくなげ)の名所でもあり、志明院の大祭が行われる毎年4月29日の辺りには、境内には美しい石楠花の花が見られます。
 そのため大祭は『石楠花祭』とも呼ばれています。
 そんな石楠花の咲く境内の光景も以下に。
















 そして、寺務所より奥に立つ仁王門です。





 ここには、平安時代の貴族で能書家で、小野篁の孫にあたる小野道風(894~967年)という人物による「岩屋寺」と書かれた扁額が掲げられていたそうです。
 さらに、門の両脇には運慶・快慶作の金剛力士像(仁王像)もあったそうですが、現在は本堂に安置されているそうです。
 この仁王門から先は修行の場であり、真の聖域です。
 この門から先、写真撮影は一切禁止されていて、通常なら私のような一般人が撮影を許可されることはまずないのですが……。

 この時私はダメ元で、関係者の方々に会って「何とか少し撮らせていただいてよろしいですか?」と尋ね、頼み込んでみました。
 その結果、「原則では不可」とされながらも、「石楠花祭の間だけ」とか、「目立たないように小型のコンデジのみ使用」等の非常に限定された条件下ではありますが、石楠花祭の様子をほんの一部だけ撮影することを許可していただけました。
 
 その様子をシリーズ次回に紹介したいと思います。
 なお、この記事を読んでおられる皆様の中に、「自分も撮影したい」と思われた方が居られるかもしれませんが。
 もしその機会がありましたら、当然マナーとしてお寺の方に許可を取り、出された条件には従うことはもちろん、「原則は撮影厳禁」「通常は許可されない」ということをお忘れなきよう。






 それでは、今回はここまで。
 また次回。





*岩屋山志明院のtwitter
https://twitter.com/shimyouin



*岩屋山志明院への地図・アクセスはこちら




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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コメント一覧

小路@管理人
https://moon.ap.teacup.com/komichi/
>コンノさん

 実を申しますと、この話には続きがありまして・・・。
 その顛末は以下、シリーズ第330回をご覧下さい。
 お気が向いたらでいいですから。

https://moon.ap.teacup.com/komichi/567.html

 やはり、あまり悪いことは出来ないものだな。
 神様や仏様はそれを許さないものだな、とも思いましたよ。
コンノ
ここは山門内は撮影禁止です。
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