京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(134):貴船神社と牛鬼伝説





 貴船編第4話です。
 前回の続きで、もう一回貴船神社・本宮についての話をします。
 というのは、本宮の境内にて「牛鬼(うしおに・ぎゅうき)」という妖怪にまつわるものを発見したからです。
 また、貴船の地には「牛鬼」の伝説も遺されているということがわかりました。

 「牛鬼」とは、島根県など沿海の地域に現れるという有名な妖怪のです。
 妖怪ヲタクとしては、これを無視するわけにもいきませんので、今回少し取り上げてみることにしました。
 まずは、前回の続きから。

 参拝の後、本殿階段を下りてご神木である大きな桂の木と。







 
 そして、その奥にある石庭を見ます。






 石庭を見た後、入ってきた入り口とは別にある裏口から出て、さらに山奥にあるという結社(ゆいのやしろ)と奥宮に向かおうとします。






 っと、ここでよく見ると、裏口の脇にある道の奥(写真の左奥)に、小さな末社が見えます。
 いや、正直言いますと、1回目に来たときは見落としていたのですが、2回目に訪れた時に「何だろうか?」と思って、少し見ることにしました。






 この小さな社は「牛一社」という末社でした。
 この社の説明板には、以下のようなことが書かれていました。


「貴船神社末社 牛一社(ぎゅういちしゃ)
 御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 古伝に牛鬼
 例祭 二月十五日
 牛鬼は貴船明神が丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に御降臨の際お供した神。丑の刻参りは有名。」


 有名な「丑の刻参り」。
 一般的に知られているのは、丑の刻(夜中の2時頃)に神社のご神木に藁人形を釘で打ち付けて特定の相手に呪いをかけるというまじないの一種です。
 それは「丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に貴船に神様が降臨した」という故事に基づいているもので、それゆえに魔力や霊力が最も高まるのが「丑の刻」であり、その時間帯にまじないや儀式を行えば最も効果がある、と考えられたのでしょう。
 つまり、ここ貴船は「丑の刻参り」発祥の地でもあったのです。

 しかしそれに加えて、貴船の神様が「牛鬼」を従者としていたとは。
 妖怪ヲタク、オカルトマニアを自称しながら勉強不足だった私は、最初これを読んで驚きました。

 
 ここで一般に知られている「牛鬼(うしおに、ぎゅうき)」について簡単に説明を。
 頭が牛で胴体が鬼という、ギリシャ神話の怪物ミノタウロスのような姿。あるいは、頭が鬼で胴体が牛、もしくは蜘蛛などという、いずれにしても奇怪な姿をしている。
 以下の写真の姿が、最もよく知られている姿でしょう。



 

 この写真は、有名な鳥取県境港市水木しげるロードにある妖怪像群のひとつである牛鬼像です。
 妖怪研究家としても知られる漫画家・水木しげる先生の著書など多くの資料によれば、一般に知られる「牛鬼」とは、だいたい次のような妖怪です。
 普段は海底や淵などに住んでいるのですが、人間が付近を通りかかったりすると襲って喰い殺し、さらに逃げてもどこかでも執拗に追い続けるという恐ろしい怪物だと伝えられています。
 また水木しげる先生の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』でも「牛鬼」は、主人公が戦った妖怪の中でも最も恐ろしい敵役のひとつとして描かれています。

 そんな海に住むと伝えられている有名な妖怪の伝説が、何故貴船の地にあるのか?
 興味をそそられ、ちょっと調べてみました。
 そうしたら、「牛鬼」について以下のような伝説が遺されていることがわりました。


 遙かな昔、貴船明神が丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に、牛鬼(仏国童子)を従者にして貴船山の中腹にある鏡岩に降臨しました。
 ところがこの牛鬼・仏国童子は口が軽く、神界の秘密を話し、広めてしまったので、貴船明神は怒って童子の舌を八つ裂きにしてしまいます。
 一旦は仏国童子も貴船から芳野山(吉野山?)に追放されていましたが、間もなく貴船に帰り、鏡岩の影に隠れていたところ、3年目にしてようやく貴船明神から許されます。
 しかしその後もいたずらをしたりして、貴船明神を困らせたそうですが……。
 
 仏国童子の子・僧国童子。僧国童子の子・法国童子。法国童子の子・安国童子。
 以上4代目までは、牛鬼の一族は鬼の姿をしていたそうですが、五代目からは普通の人間の姿となったそうです。
 そして牛鬼たちの子孫は、祖先の犯した過ちを戒めるために「舌(ぜつ)」家を名乗ったそうで、舌家の人々は貴船の社家筆頭として活躍した時代もあったそうです。
 現在でも、貴船には舌家の人たち……つまり、牛鬼の末裔だとされる方々が住んでおられるそうです。

 以上、貴船と牛鬼、牛鬼の末裔・舌家についてより詳細は、貴船神社ホームページの「貴船神社秘話」コーナーの、「牛鬼伝説と舌家」の欄に書かれています。



 さてここで、貴船神社の境内をめぐる話に戻ります。

「牛一社」のさらに奥へ進むと、「川尾社」という末社がありました。





 ここに祀られているのは、罔象女神(みつはのめのかみ)。
 貴船神社の主祭神・タカオカミノカミ(注:この神様の名前は漢字表記は難しいので、カタカナ表記にします)と同じ水の神様で、同じく日本神話で、イザナギ神が斬り殺したヒノカグツチ神の血か死体から生まれたとされています。
 また、病気平癒のご利益もあるそうです。
 かつては、ここより上流にある「思ひ川」の水の神様だったそうです。


 川尾社よりさらに奥へ進みますと、また小さな末社があります。
 ここより奥は行き止まり。「立入禁止」となっていました。





 この社は「鈴鹿社」といって、伊勢の大神、つまりあの天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っているところです。
 この社は元は、ここより奥の鈴鹿谷にあったそうですが、現在ではご覧のように「立入禁止」となっています。
 
 これよりさらに山奥へ進み、貴船山の中腹あたりに、貴船の神・高?神が降臨し、一度貴船を追放された初代牛鬼・仏国童子が隠れ棲んでいたという「鏡岩」があるそうです。
 しかし現在では「禁足地」となっていますので、私のような一般人は立ち入ることも、目にすることもできません。

 なお、「鈴鹿社」の後ろには、本殿裏の小さな建物が見えます。





 これは何の建物か、中に何があるのか、どんな神様が祀られているのか、それはわかりません。
 おそらく、私のような一般人には公開されていないし、知ることもできない秘密の場所と思われます。
いずれにせよ、これ以上は奥に進めないし、追求もできませんので、境内裏門のところまで引き返します。


 そして、裏門から出ます。






 本宮のそばを流れる「鈴鹿川」。そこにかかる「鈴鹿橋」。









 そして、さらに山奥にある貴船神社の結社(ゆいのやしろ)と、そのさらに奥にある奥宮へと向かいます。






 この続きは、また次回以降の記事で書きます。



 ただその前に、今回とりあげました牛鬼について、そして「鬼」という存在そのものについてもう少し。 
 「牛鬼」という妖怪についてさらに調べたところ、沿海だけでなく、淵など全国の水に関係する場所や地域に、「牛鬼」の伝説が遺されているようです。
 おそらく牛鬼は、多種多様な鬼の中でも、水に関連のある鬼と考えられていたのではないか、と私は思いました。

 また、「鬼」というものは、人間に危害を加え、災厄をもたらす恐ろしい存在である一方で、神様や聖者・超人などに使役されたりする存在でもあったようです。
 その例としては、修験道の開祖・役小角に弟子であった前鬼と後鬼。大陰陽師・安倍晴明に使役された十二神将など。
 阿蘇と高千穂の開拓神・建磐龍命(タケイワタツノミコト)の家来だった鬼八法師のように、後に人間に危害や災厄などをもたらす者も居ます。
 そう考えてみれば、水に関連する鬼である牛鬼が、水の神様である貴船明神の手下となっているのも、別に不思議なことでも、驚くべきことでもないのかもしれない。
 もしかしたら、「神様=善」、「鬼、悪魔、妖怪=悪」などという、西洋の「一神教的」というか、「善悪二元論的」な考えに、私を含む近代以降の多くの日本人が影響されすぎていたのかもしれない。
 本来の「鬼」「神」「悪魔」「妖怪」などというものは、そんな単純な善悪二元論的な考えだけでは理解できないものなのかもしれない。
 そんなことも考えました。


 っと、失礼。
 何やら長々と余計な話をしてしまいましたが、今回はここまで。

 最後はおまけとして、「牛鬼」にまつわる昔話の動画を張り付けておきます。






 それでは、また次回に。





貴船神社のホームページ
http://kibune.jp/jinja/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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