貴船編第5話です。
今回は、貴船神社の本宮より少し山奥に行った場所にある末社「結社(ゆいのやしろ)」についてとりあげます。
この結社は「縁結び」についてご利益があると言われています。
祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)という女神です。
磐長姫といえば、日本の「天孫降臨」神話にふられ役として登場する女神です。
天照大神(アマテラスオオミカミ)の命により、葦原中国を統治するため高天原から地上に降りた天孫・ニニギは、大山祇神(オオヤマツミ)の美しい娘・木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)と出逢い、求婚します。
父・大山祇神は、木花開耶姫とその姉・磐長姫を共に差し出します。しかし磐長姫の方は、妹とは違ってブスでした。そのためニニギは磐長姫を送り返して、木花開耶姫とだけ結婚しました。
大山祇神は次のように言います。
「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、磐長姫を妻にすればあなた方天津神の御子の寿命は岩のように永遠のものとなり、木花開耶姫を妻にすれば花が咲くように繁栄するだろうと、誓約を立てたからなのに、おわかりいただけずに残念です。あなた方のお命は、花のようにはかないものとなるでしょう」
それ以来、その子孫である天皇家や日本人の寿命も、神々に及ばない短いものになってしまった。
確か、だいたいそんな話だったと記憶しています。
さて、ふられた方の磐長姫はその後どうなったかというと、「我長くここにありて縁結びの神として世人のために良縁を得させん」と、ここ貴船に鎮座したと伝えられています。
その磐長姫を祀ったのが、「結社」です。
「本宮」→「奥宮」→「結社」の順で参拝する「三社詣」が、古くから盛んに行われているそうです。
また、あの和泉式部も夫・藤原保昌との関係がうまくいかずに思い悩んでいた頃、貴船に参拝を訪れて読んだ時の歌碑。そして、貴船の神様から返歌をもらったなどという伝説も遺されています。
前々回と前回の続きから。
貴船神社・本宮を後にして、さらに山奥へと進みます。
傍らを流れる貴船川も、前日からの雨で激しく流れ続けています。
本宮から何百メートルか歩きますと、入り口の階段が見えてきました。
ここが「結社」の入り口のようです。
階段を上って、まずはご挨拶を。
社の左側にある、「結び文」を結ぶ場所。
かつては、境内に生えている草の葉を結び合わせて縁結びを願っていたそうです。
現在では植物保護のため、それは禁止されているそうです。その代わりに、本宮で授与される「結び文」に願文を書いて、この場所に結ぶことになっています。
さて、「ここで何かお願い事でもしようかな」っと思ったのですが……私には思い浮かびませんでした。
何しろ私は、いわゆる「万年モテない男」ですから。
女性にとことん縁がないのですが、その代わりに「この人と結ばれたい!」と思うような女性も居ません。
そのため、ここでは特に何も「縁結び」のお願いをしなかったのですが……。
しかし後で聞いてみると、ここは男女の縁だけではなく、あらゆる人と人との縁……人と会社、学校などの縁とも結ぶというご利益があり、受験や就職などのお願いも多い、ということでした。
境内にそびえ立つ、樹齢400年という大きな桂のご神木です。
ところで、このご神木のところに、こんな面白い説明書きがありました。
境内の一角にある、和泉式部の歌碑。
シリーズ第131回で「蛍岩」にふれた時にもあった、和泉式部の歌
「もの思えば 沢の蛍も わが身より あくがれ出ずる 魂(たま)かとぞ見る」
(意味:思い悩んでここまで来ますと、貴船川に飛んでいる蛍のはかない光も、まるで自分の魂が体から抜け出て飛んでいるようです)
という歌が刻まれています。
和泉式部は、夫・藤原保昌との仲が上手くいかずに悩み、貴船に参拝した時、川の蛍を読みながら
この歌に対して、貴船明神が返したと伝えられるのが次の歌です。
「おく山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり ものな思ひそ」
(意味:しぶきをあげる奥山の滝の水ほど、激しく思い詰めなさるな)
ところで、和泉式部と藤原保昌のカップルで思い出すのが、昨年の祇園祭の際にシリーズ第46回でとりあげた「保昌山」のエピソードです。
あのエピソードと、さらに和泉式部がかなり派手な恋愛遍歴を重ねてきた女性だったことを考えれば、結婚してからも保昌さんは、尻に敷かれたり、散々振り回されたりして、大変な目にあったのではないかな、と思っていましたが……。
ここ貴船での話を聞いた限りでは、ちゃんと愛されていたようです。
その後、二人の夫婦仲は元どおりに円満になった、と伝えられています。
他にも、こんな歌碑が。
そして、境内の中央にはこんな岩が安置されています。
これは「天の磐船」という珍しい石です。
貴船の山奥で算出されたという自然の石で、およそ6トンもの重さがあるそうです。
船は古くから重要な交通手段であり、人と人とを結ぶ象徴とも考えられ、後にとりあげる奥宮の「船形石」伝説にもあるように、貴船では神様の乗り物として神聖視されているものでもあります。
平成8年3月、京都在住の作庭家・久保篤三氏によって、ここへ奉納されました。
確かに、自然にできたとは思えないほどの不思議な形をした石です。
こうして境内の散策を終え、結社を後にします。
なお、ここの石段は狭い上に急なので、特に雨の日は滑ったり、転げ落ちたりしないように、ちょっと気をつけた方がいいでしょう。
それにしても磐長姫は、顔はブスでも、芯が強く、心の優しい女神様だったようです。
結婚を拒絶され、自分自身が傷心のはずだったのに、「世人に良縁を授ける」などという決意をし、それを続けてきたのですから。
こんな素晴らしい女性を拒絶するとは、天孫ニニギさんも惜しいことをしたものです。
……などと考えながら、次は貴船神社の奥宮を目指します。
それでは、今回はここまで。
続きはまた次回に。
貴船神社のホームページ
http://kibune.jp/jinja/
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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