どうも、こんにちは。
安珍・清姫伝説の鐘が現在も遺されている京都の古刹・妙満寺。雪の庭の雪景を紹介しましたシリーズ前回に引き続き、今回は久しぶりに観る寺宝「安珍・清姫伝説の鐘」を紹介します。
雪の庭を観た後、窓の外の雪景色を観ながら、大書院手前の宝物展示室へと移動します。
さすがに宝物展示室内の貴重な寺宝については撮影が許可されなかったので、それらをここで紹介することはさすがにできません。
ただ、萌え絵キャラ化した清姫のパネルくらいは撮影(及びここで紹介)させてほしかったですねえ。
なお、少しくらい前までは、清姫伝説の鐘も、シリーズ第273回で紹介した後、宝物展示室内に安置されて写真撮影が出来ない状態が何年も続いておりましたが。
現在は本堂の一画に安置され、一般の写真撮影も許可されています(※寺務所で確認済み)。
宝物展示室から本堂へ。
本堂に礼拝後、本堂の一画に安置・・・というか、祀られている「安珍・清姫伝説の鐘」。
ここで、過去記事のおさらいになりますが、「安珍・清姫伝説」について簡単に説明を。
長唄、能楽などで知られる『道成寺』。
この話の元となったのが、「安珍・清姫」の伝説です。
紀州室の郡・真砂の庄司清次の娘・清姫(きよひめ)は、熊野参詣のために一夜の宿を求めた僧(あるいは修験者)・安珍(あんちん)に恋をし、言い寄ります。安珍は「参詣の帰りにまた立ち寄る」と約束してその場を切り抜けます。
しかし安珍は、再び立ち寄ることなく帰ろうとします。
騙されたと知った清姫は激怒し、逃げ続ける安珍を追いかけます。
安珍は日高川を渡り、道成寺という寺に逃げます。しかし、清姫は火を吐く大蛇に変化して執拗に追い続けます。
安珍は道成寺の鐘の中に身を隠しますが、大蛇となった清姫はその鐘に巻き付き、ついに安珍を焼き殺してしまいます。
その後、清姫は蛇の姿のまま、入水します。
以上がおおまかな「安珍・清姫」伝説の内容です。
また、本来は紀州が舞台である「安珍・清姫伝説」の鐘が、何故京都の日蓮宗古刹にあるのかについての経緯についても、こちらの過去記事のおさらいになりますが、以下簡単に説明を。
大蛇となった清姫が安珍を焼き殺した事件から何百年も経った、正平14年(1359年)の頃。
道成寺では、あの事件以来失われていた鐘を再鋳して、鐘の供養を盛大に営みました。
そこに一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下しました。その白拍子は、清姫の化身だったのです。その白拍子は最後に大蛇に変わり、日高川へと姿を消してしまいました。
その後鐘は呪われてしまったのか、悪い音しか鳴らず、しかもその度に悪いことばかり起きるようになります。
そのため、鐘は山林にうち捨てられました。
それからさらに200年あまり経った天正年間、豊臣秀吉配下の武将・仙石権兵衛が1585年の根来攻めの時に、鐘を掘り起こし京都に持ち帰りました。
しかしそれでも呪われたままだったので、時の妙満寺貫首・日殷大僧正が供養して、ようやく呪いや怨念が解かれて、音色の美しい霊鐘となったと伝えられています。
鐘の祀られている周りには、道成寺(安珍・清姫)の絵や、劇の写真も。
美しい雪景色を求めてやってきたら、妖怪マニアにとってのうれしいサプライズ(?)もあったりして、今回も楽しい気分で帰路に着きました。
今回はここまで。
また次回。
*妙満寺へのアクセスはこちら。
*妙満寺のHP
https://myomanji.jp/info/snowy/index.html
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/