京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(273):妙満寺と清姫伝説の鐘




 
 こんにちは。
 このところ桜の話ばっかりなので今回は、『京都妖怪探訪』シリーズにふさわしい、妖怪伝説に関わりスポットを紹介します。

 長唄、能楽などで知られる『道成寺』。
 この話の元となったのが、「安珍・清姫」の伝説です。
 紀州室の郡・真砂の庄司清次の娘・清姫(きよひめ)は、熊野参詣のために一夜の宿を求めた僧(あるいは修験者)・安珍(あんちん)に恋をし、言い寄ります。安珍は「参詣の帰りにまた立ち寄る」と約束してその場を切り抜けます。
 しかし安珍は、再び立ち寄ることなく帰ろうとします。
 騙されたと知った清姫は激怒し、逃げ続ける安珍を追いかけます。
 安珍は日高川を渡り、道成寺という寺に逃げます。しかし、清姫は火を吐く大蛇に変化して執拗に追い続けます。
 安珍は道成寺の鐘の中に身を隠しますが、大蛇となった清姫はその鐘に巻き付き、ついに安珍を焼き殺してしまいます。
 その後、清姫は蛇の姿のまま、入水します。
 
 以上がおおまかな「安珍・清姫」伝説の内容ですが、その伝説の鐘が現在でも遺されているというお寺が京都市内にあります。
 それが今回訪れました「妙満寺」です。


 
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 まずは、妙満寺の入り口の光景から。





 妙満寺は、「顕本法華宗」という日蓮宗系の宗派の総本山です。
 派祖・日什(にちじゅう)上人によって康応元年(1389年)六条坊門室町に建立され、その後長い歴史の中で幾度も焼失や移転を繰り返して、現在の京都市左京区岩倉の地に移されて現在に至ります。

 最寄りの交通機関には、叡山電車「木野」駅や、京都バス「幡枝(はたえだ)」停留所等があります。
 アクセスについてより詳細は、こちらをご覧ください。


 入り口から門へ。
 その間にも美しい庭園の光景が。












 門から境内へ。





 正面に見えるのが本堂ですが、このお寺には清姫伝説の鐘の他に、いろいろと面白いというか興味深いものがあるようです。
 それらも併せて見ていきます。


 門から入ってすぐのところに鐘楼がありましたが……この鐘は「安珍清姫」伝説の鐘ではないようです。






 本堂のそばに、大きな仏塔が建っています。
 「妙満寺仏舎利大塔」です。





 紀元3世紀にお釈迦様が悟りを開いたという地、アショカ王によって建てられたというインド・ブッダガヤ大塔。その大塔をかたどって、昭和48年(1973年)に建立されたという塔です。
 塔の最上階には仏舎利が、塔1階の内部には釈迦如来像が祀られています。
 塔の外壁には、全国の檀信徒から寄進された多くの仏像が。












 お釈迦様が悟りを開いた場所を模したという台も。






 お釈迦様の足形を模したという「仏足石」も。





 しかしかなり大きな足跡です。
 お釈迦様って、かなり大柄な方だったのでしょうか?


 この塔は、線香を供えながら周囲を3度、右回りに回るという特殊な方法でお参りします。
 私もやってみました。





 何を祈り、願ったかは秘密です。



 本堂より手前にある方丈。





 この中に、枯山水の名園「雪の庭」や「宝物館」などがあるそうです。
 中へ入ります。
 なお、この寺の境内は、本堂内部以外の場所は自由に撮影してもいいそうです(ただし、三脚を使用する場合は許可が必要)。






 枯山水の「雪の庭」。








 「雪の庭」というから、雪の降っている時に来たら、さぞ美しい光景が観られるかもしれません。


 庭に面した大広間に、ひとつの鐘が。
 これがあの、「安珍・清姫」伝説の鐘だそうです。





 「これが本当に!?」と思うほど、意外と小さいものですね。
 通常ならこの鐘は宝物館に保管されているそうですが、この時宝物館は工事か何かで閉鎖中であたっため、方丈の大広間に置かれていました。

 横には、伝説を描いたらしい絵巻も。






 あの「道成寺」の伝説にはさらに続きがあるそうです。
 大蛇となった清姫が安珍を焼き殺した事件から何百年も経った、正平14年(1359年)の頃。
 道成寺では、あの事件以来失われていた鐘を再鋳して、鐘の供養を盛大に営みました。
 そこにに一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下しました。その白拍子は、清姫の化身だったのです。その白拍子は最後に大蛇に変わり、日高川へと姿を消してしまいました。
 その後鐘は呪われてしまったのか、悪い音しか鳴らず、しかもその度に悪いことばかり起きるようになります。
 そのため、鐘は山林にうち捨てられました。

 それからさらに200年あまり経った天正年間、豊臣秀吉配下の武将・仙石権兵衛が1585年の根来攻めの時に、鐘を掘り起こし京都に持ち帰りました。
 しかしそれでも呪われたままだったので、時の妙満寺貫首・日殷大僧正が供養して、ようやく呪いや怨念が解かれて、音色の美しい霊鐘となったと伝えられています。
 
 毎年春には鐘供養が行われ、「道成寺」ものを演じる役者・芸能関係者がお参りに来たリりするそうです。





 ちょっと怪しいな、という気もしますが(笑)、有名な歴史・伝説を背負った場所や遺物の前に立つのは、非常に感慨深いものがあります。
 

 それでは、今回はここまで。
 また次回。





*「妙満寺」へのアクセス・周辺地図はこちら



*「妙満寺」のホームページ
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/myomanji/index.htm



*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm



 
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コメント一覧

小路@管理人
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>わ~い、お茶さん

 いつもコメントありがとうございます。
 すみません。「まじまじならぬ」の意味は、正直勉強不足でよくわかりませんが……。
 それにしても、紹介していただいた話は、何というか人間くさい話ですね(笑)。
 私見ですが、こういう人間くさい話の方がリアリティがあって、私は好きなんですけどね(笑)。
 『妖怪探訪』と称して、こうした闇の歴史とかを探っていますと、普通ではお目にかかれないような人間くさい話、あほらしい話、えげつない話とか等にも、お目にかかれたりしてそれもまた楽しみだったりします。
わ~い、お茶
こんばんは、この鐘の話「道上寺」ですが蛇女が僧に言った「まじまじならぬ」とはどういう意味でしょうか?現代語に訳すと「男らしくない」と言うニュアンスになるのでしょうか?蛇女が僧を誘ったが誘いに乗れば今迄の修行が無駄になるので嘘をついてその女から逃げましたが結局は見つかってしまったと言う話ですが、似たような話で同じ僧なのですがこちらは誘いに乗りその化け物に誑かされてその化け物の住処へ僧を背負って飛んでいたのですが法華経を僧が読誦すると急に重たくなって落ちてその落ちた所が寺院だったと言う話もあります。件の僧はその化け物と
交わってしまった為に其処の寺院の僧たちから糾弾されますが、そこの寺院を与かるまとめ役の僧が「この人は化け物の妖しい力に負けてそうなったのだから責めてはいけない、むしろ『法華経』の力の顕現者として寺へ置くべきである」となりこちらは助かりました。寺社には凄い話が伝わっている所も在るのだと思いました。
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