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春は、別れと出会い

2025-03-19 10:04:30 | 日記
 3月19日です。福岡では、今朝の通学路見守りは、雪交じりの霙でした。6年生が卒業して寂し気な登校です。もうお彼岸、これで寒波はおしまいにしてほしい。マイコースにも、春はそこまで来ています。




 とある団体の会報で中学校での担任のY先生のご逝去を知る。7~8年前から年賀状の返信が途絶えたので、お具合がよろしくないのだろうと遠慮して交信が無かったのだが、、。20年前にクラス会をしたときにお会いしたのが最後になった。北九州市中学校長北京日本人学校福岡県サッカー協会副会長などを歴任された。

 昭和36年夏旧戸畑市の某建設会社に、還暦まじかの父は飯場の雑役夫、母は炊事婦として住み込みで雇われたので、爺さんも、ここで中学校に通学することになった。
 中2の終わりころ、進路希望調査があった。まがりなりに生活は安定していたので、爺さんも高校進学していいのだろな、と思ったが、長兄は普通高校を卒業していたものの大学進学するほどの家計ではなく、卒業時の不況で就職難に遭い、やむなく自衛隊に入隊したし、次兄は、中卒後、県立職業訓練校(1年制)を経て働いていたし、、で、何となく「T工業高校建築科」と書いて出した。
 ほどなくY先生から職員室に呼ばれて、『おまえなぁ、普通科に行っとたら、大学に進む道も開けるかもしれんやろが、、

 『土屋文明百首』(短歌新聞社、1990刊)より。

     一生の喜びに中学に入りし日よ其の時の靴屋あり吾は立ち止まる    (昭和16年  文明51歳) 「一生=ひとよ」「中学=旧制中学、今の高校」

     大阪に丁稚たるべく定められし其の日の如く淋しき今日かな  (昭和24年)  という一首もあり、「零細小作農より商売の方がいささか実入りが良いことから、小学校卒業を待って、大阪の薬屋に丁稚に出そうということを父から申し渡されていたが、父の考えが変わり中学進学がかなえられた」(『百首』の解説)時の喜びを回想したもの。
 爺さんも76年を振り返って一番嬉しかったことと言えば、高校に入学した日の事であります。その後は、いろいろと無様なことを繰り返しましたが。

 高校教育の無償化が、与野党で合意されたとのこと。どういう具体的な制度になるのか、のちの世にどう成果が出るのか、まだわかりませんンが、、、少なくとも、15の春に「お金がないから高校へ行けない」と泣く子がいなくなることを願います。

 16日は「菊池さくらマラソン」(10km)にエントリーしていましたが、寒い雨の予報にしり込みしてしまいました。いよいよ23日は「さが櫻マラソン」、佐賀市は暖かくなりそうです。「5時間切り」なんてとうにあきらめておりますが、5月の「橘湾岸スーパーマラニック」(55km)のトレーニングとして、全エイド完食を目標にがんばるぞー!  待っとれ、ブラックモンブラン

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