ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ペテルブルク案内記7-2日目:アレクサンドルネフスキー修道院-

2006-07-02 21:51:58 | Weblog

【写真:アレクサンドルネフスキー修道院の前にて。Hと私。(28/06)】

 プーシキン観光の後は帰りもマルシュに乗り、15時頃ペテルブルクへ。白夜のこの時期、15時といってもまだ真昼で、15時くらいから午後が始まるという感覚。

 午後は私の彼女Bが街を案内してくれる。はじめはガスティニードヴォルで待ち合わせることにしていたが、アレクサンドルネフスキー修道院などを見てはどうかという彼女の提案により、メトロのアレクサンドルネフスキー広場駅でBと合流。
 アレクサンドルネフスキー修道院は、メトロの駅を出てすぐのところにある。まずはチフヴィン墓地を見学。ここにはロシアの作曲家や劇作家など、多くの芸術家が埋葬されている。中にはチャイコフスキーやドストエフスキーなど、世界的に有名な人のお墓もあった。

 修道院の名前となっているアレクサンドルネフスキーは13世紀の人。1240年にネヴァ川沿岸でスウェーデン軍を撃破した際のロシア軍の指導者で、後に聖人とされた。修道院の建設は1710年から始まり、1797年に大修道院の称号を与えられたという。
 Bによると、ここはただ単なる観光地ではなく、現在も人々のお祈りの場となっている(”действующий”な)修道院なのだという。アレクサンドルネフスキーの遺骸もここに葬られている。
 
 この修道院や墓地は当初観光ルートに予定していなかったが、私も初めて訪れる場所であり、来て良かったなと思った。
 観光を続ける前に軽く何か食べようということになり、ネフスキー大通りを歩いてモスクワ駅近くのブリーニーの店「テレモーク」へ。ブリーニーも、ロシアを訪れる人には紹介したいと思っていただけにちょうどよかった。
 ブリーニーを食べながら、Bとこの後の観光ルートづくりをする。地図を見ながら作戦を立て、芸術広場→夏の庭園→トロイツキー橋→ピョートル大帝の家→ペトロパブロフスク要塞→ヴァシリー島→大学河岸通り→宮殿橋→デカブリスト広場の順に歩くという、要所を網羅した素敵なルートが出来上がった。
 
 さあ出かけようと店を出た直後、ちょっとしたハプニングが起こった。

ペテルブルク案内記6-2日目:エカチェリーナ宮殿-

2006-07-02 21:51:02 | Weblog

【写真:「琥珀の間」があるエカチェリーナ宮殿前。多くの観光客でごった返していた。(28/06)】

 マルシュはバスと異なり、乗客の希望の場所で止まってくれるが、止める客がいなければノンストップで走る。そのため30分弱という比較的短い所要時間でプーシキン、エカチェリーナ宮殿前に到着。

 早速エカチェリーナ宮殿に入る列に並ぼうと思ったところ、列に並ぶまでにまずは公園の入場券を買わなければならないと入口で言われた。1月に来たときには公園の入場は無料だったのだが、今はシーズンなので入場料をとるらしい。ロシア学生料金は30ルーブル、Hは最初140ルーブルと言われたが、「間違いなく学生なんだ。」と言うと半額の70ルーブルにしてくれた。

 個人客の受付時間は始まったばかりだったが、既に宮殿には数十名の列が出来ていた。天気が良く、気温は適度ながらも黒いTシャツを着ていた私は、日差しで背中が焼けるようだった。冬の氷点下の気温の中外で待たされるのも大変だったが、夏は夏でかなり暑そう。
 前に並んでいた老人男性と、その客だという女性と話をした。男性の方はペテルブルク大学で生物学を学んだという。日本のどこから来たのか、「ナゴヤ」という場所は東京から近いのか、などいろいろ聞かれたが、中でも面白かったのは新幹線は1本の線路で走るのか?という質問。モノレールと勘違いしているらしく、「もちろん新幹線は2本のレールで走る。1本のレールで走るのは空港に行くようなやつ。」と教えた。日本をよく知っているロシア人だなと思っていたら、友人が日本で研究していたことがあるらしい。連れのウクライナ人女性は、なんと生物学者の夫がつくばで研究していたこともあるそうで、世の中狭いものだなと思った。彼女は日本語を2つ、「こんにちは」と「さようなら」を知っていた。私はそれを聞いてはじめ何とも思わなかったが、Hに、「これだけでも日本語知ってるってすごいよね。ロシア語で同じ言葉を言える日本人は少ないと思う。」と言われて初めて、確かにHの言うとおりだと思った。

宮殿待ちの列はゆっくりゆっくり進む。20名ほどが5分おきに入場するのだが、これは中で即席の団体を編成するため。したがって個人個人が自由に見るというのではなく、ガイド付きツアーのような形で中を見学することになる。

 そのうち自分の書いた詩の本を売る老人がやって来た。これもまた変わった人で、なんとドイツ語が話せるというので試しにHと話してもらったところ、本当にドイツ語を話していた。そういえば、ロシアでは英語が出来なくてもドイツ語、フランス語は出来るという人が少なくない。それを考えれば、Hは案外ロシアでもドイツ語でやっていけるかもしれない。

 人々と話をしながら待つ時間はあっという間に過ぎ、並び始めて約1時間を経過した頃、ようやく私達の番になった。
 エカチェリーナ宮殿の入場料金はロシア学生料金100ルーブル、外国人料金は学生が270ルーブル、大人は520ルーブルと半端じゃなく高い。Hの料金がちょっと心配だったが、「今日は学生証ないけど学生だから。」と言ってみると、窓口氏は「じゃあ220ルーブルにしよう。」と言ってくれた。外国人学生料金よりも安い220ルーブルって何だ?と一瞬不思議に思ったが、それはロシア人大人料金。一体なぜこの料金が適用されたのか疑問だったが、とにかく安くなったので良いことにする。

 即席団体のガイドはもちろんロシア語。歴史用語が入るとどうしても分かりづらいが、時々ほぼ100パーセント分かる説明でも今度は速すぎて頭の中に記憶できない。同時通訳というのはかなり難しそうだ。
 私が「琥珀の間」を見るのは初めてではないが、今回初めて琥珀がパズルのようにぎっしり敷き詰められているのに気づいた。琥珀の間の、他には例えようがない美しさ、きっとHも気に入ってくれたことと思う。

 宮殿を出た後は庭園を少し散策。4月にIが来たときは池はまだ凍っており、周囲ももの寂しかったが、今は花々と、木々の緑が鮮やかな時期。入場料を払ってでも見る価値はある。


ペテルブルク案内記5-2日目:モスクワ広場と戦勝広場-

2006-07-02 21:49:46 | Weblog

【写真:戦勝広場の記念碑。”ПОДВИГУ ТВОЕМУ”「君の偉業(を称えて)」と書いてある。(28/06)】

 2日目のメインの一つはプーシキン、エカチェリーナ宮殿の中にある「琥珀の間」だが、個人客の入場時間は12時から14時までなので、余裕を持って早めに行くにしても午前中、ちょっと時間がある。
 そんな時におすすめなのがモスクワ広場や戦勝広場の散策。プーシキンやパブロフスクへ向かうバス、マルシュルートカはメトロのマスコフスカヤ駅(Московская)から出るが、モスクワ広場、戦勝広場はいずれもマスコフスカヤ駅のすぐ側なので、これらを見学した後プーシキンへ向かうことが出来る。

 9時45分頃出かけたHと私は、メトロを乗り継ぎ10時半前にマスコフスカヤに到着。駅からすぐのモスクワ広場には、見事な噴水が上がっていた。そこの中心にあるレーニン像と記念撮影し、モスクワ通りを少し下って戦勝広場へ。
 1月の記事でも紹介したが、第二次世界大戦中の1941年9月から1944年1月にかけて、ペテルブルク(当時レニングラード)はドイツ軍による900日間包囲を経験した。悲惨な包囲戦に耐えながらレニングラードを守り、ドイツ軍を撃退した人達を称えるのが戦勝広場にあるモニュメント。
 私が、ドイツは昔こんな蛮行を働いたんだと説明すると、H、「いろいろとお騒がせしました。」と一言。第二次大戦はロシアにとってドイツとの戦いという側面が大きく、ロシアの戦争物の映画にはよくドイツ軍やドイツ語が登場するが、Hによると、同様にドイツの映画にもロシア軍やロシア語が登場するという。
 ロシアにとっては勝った戦争、ドイツにとっては負けた戦争。ロシア側から見た「戦勝」のモニュメントを、ドイツのHはどんな思いで見たのだろうか。

 さて、戦勝広場の前からマルシュルートカをつかまえられれば良かったが、プーシキンへ向かうマルシュは全て満席。仕方なくマスコフスカヤ駅まで引き返し、始発から乗ることに。
 モスクワ広場の前で、運転席に座りながらたばこを吸っていたマルシュの運転手にエカチェリーナ宮殿へはどのマルシュで行ったら良いか尋ねると、わざわざ車から降りて来てすぐ近くの車を指さし、「286番というのがプーシキンに行く」と教えてくれた。
 そのマルシュでモスクワ広場を出発したのは11時半過ぎ。エカチェリーナ宮殿の個人客受付時間は12時からだから、ちょうど良い時間だ。 

ペテルブルク案内記4-1日目:アブサンに挑戦-

2006-07-02 21:48:57 | Weblog

【写真:アブサン(27/06)】

 カザン聖堂見学を終え、ネフスキー大通りを歩いて家に帰る途中、ペテルブルク一の大規模ショッピングセンター「ガスィニードヴォル」(Гостиный Двор)や本屋(Дом Книги)などに立ち寄る。

 1日目の観光は終了したが、名所をまわるだけが楽しみではない。今日はもう一つ「必修メニュー」が残っている。その必修メニューをクリアすべく、家での夕食の後すぐ近くのバーに出かける。
私が用意している必修メニューとは、アルコール度数70のアブサンを飲むこと。諸外国では禁止されているところもあるというが、4月にパリから来たIもこれを体験しており、今回はHの番。
 70度といっても大量に飲むわけでないから大丈夫なのだが、不気味な緑色のアブサンが登場し、砂糖を入れて火がつけられるとコップから青紫色の炎が出て激しく燃える。酒には大変強いHだが、これを見てさすがにちょっと緊張気味。アブサンは一気に飲むものだが、恐れて喉に直接入れようとすると喉が焼けるので注意しなければならない。まずは私が手本と称して飲み干してみる。アブサンを飲むのはこれで4回目くらいだが、独特の後味は何とも言葉に表現しがたい。
 私に続いてHも一気に飲んでみたが、全く平気な様子。あと5杯くらいは飲めそうだった。
 アブサンを飲み続けて2日目ダウンでは情けないので、あとはウォッカを飲みながら二人で語る。お互い大詰めを迎えた留学のこと、共通の友達のこと、恋愛事情などなど、話題は尽きない。日本にいた頃は、同じ学類にいながらHと私は特に親しいわけではなかったが、4月のIとの旅行ですっかり身近な友達になった気がする。話をしながら、彼女は大変しっかりした考えの持ち主だということがあらためて感じられた。良い友達を持ったものだと思った。そんな友達がはるばるベルリンからペテルブルクにやって来てくれたのだから、これはとても素敵なことである。

 0時近くになってもまだ薄明るいジュコフスキー通りを歩いて家に帰る。この明るさも、この時期、ここペテルブルクでしか体験できないもの。Hにとっても、きっと印象に残ることだろう。


ペテルブルク案内記3-1日目:スパス・ナ・クラヴィーとカザン聖堂-

2006-07-02 21:48:01 | Weblog


【写真:スパス・ナ・クラヴィーを見上げるH(27/06)】

 14時45分頃、ペテルゴフから乗った列車は、今朝タリンからのバスが到着したのと同じバルト駅に到着した。そこからメトロに乗り換えネフスキー大通りに出て、私がおすすめのレストランで遅い昼食。
 そのレストランとは、昨年12月頃に見つけたカザンスカヤ通りのレストラン”sukawati”12時から16時まで、190ルーブルでサラダ、スープ、メインディッシュ、デザート、飲み物がセットになったビジネスランチがあり、私は大変気に入っている。Hにも満足してもらえたようであった。

 食事を終えた後、いよいよペテルブルク観光を開始。まずは皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられた聖堂「スパス・ナ・クラヴィー」へ。ここの入場料はロシアの学生が50ルーブル、外国人学生が170ルーブルだが、Hは学生証を持参していなかった。
 外の窓口で「彼女は学生だが、学生証を忘れてきた。」と言ったが、係の女性はHと直接話をしたいと求めてきて、ロシア語で「どちらにお住まいですか?どこで勉強していますか?」などと聞いてきた。Hがロシアで勉強しているとでも思ったのだろうか。私は驚いたが、ここでは学生証がないとだめだというので、中にもう一つある窓口で試してみることに。私がロシアの学生証を提示し、「彼女も学生で、ベルリンから来た」と言うと、私の学生証を開けて見ることなく、あっさりとロシア学生料金と外国学生料金のチケットをくれた。人によって対応が違うということが特にここではよくある話。窓口が複数ある場合はこのように別の窓口で試してみるのも一つ。これは博物館の入場に限ったことではなく、あらゆる場面でいえることである。
 入口でそんなこともあったが、中の壁を埋め尽くすモザイク画の美しさにはHも感激したようで、写真撮影のチケットまで買って写真を撮りながら観察していた。ペテルブルクの中心部にある一大観光スポットだけあって、説明書きはロシア語に加えて英語、フランス語、ドイツ語があった。この聖堂の歴史などを紹介するペーパー(ロシア語版以外は中の窓口でもらえる)も何カ国語かが用意してあり、Hはもちろん英語版に加えてドイツ語版ももらっていた。
 スパス・ナ・クラヴィーの美しさは中の装飾だけではない。外観も見事で、記念撮影にはもってこい。ちなみに、この聖堂の一番高い部分は81mあるが、これはアレクサンドル2世が暗殺された年(1881年)に由来しているのだそうである。

 スパス・ナ・クラヴィーとセットで見学すべきは、ネフスキー大通りをはさんで反対側にあるカザン聖堂。
 19世紀初頭に建てられたこの聖堂は、1812年の大祖国戦争(=ナポレオン戦争)以降、ロシア軍の戦勝記念としての意味をもつようになった。ここには大祖国戦争の英雄クトゥーゾフ元帥が埋葬されており、聖堂内には彼とともに遠征したイコン「カザンの聖母」が保存されている。
 カザン聖堂への入場は無料。私達が入った18時過ぎ頃には、ちょうど夕方のお祈りが行われており、ペテルブルクの中でも最も重要なイコンである「カザンの聖母」に人々は列を作って参拝していた。


ペテルブルク案内記2-1日目:ペテルゴフから、帰りは48ルーブル-

2006-07-02 03:19:59 | Weblog


【写真:遊び噴水を通過するH。突如噴水が出てくるため、ここを通過するのはドキドキ。ちなみに、Hが噴水の一撃を喰らったことはこの写真を見れば明らかである。】

 私がペテルゴフへ来たのは昨年の9月以来だが、見事な噴水群と美しい庭園は見る人全てを魅了する。ここの噴水は見るだけではなく、ちょっとした遊びを楽しむこともできる(写真)。特に散策ルートなどはなく、人々は思い思いに庭園の中の噴水群をみてまわる。宮殿を見るという手もあったが、ここは庭園を散策するだけでも十分だと思う。

 2時間ほど散策して庭園を出る。突如雨が降り出したりしたが、一時的なものだった。さすがに帰りも船を利用するのは高いし、そもそも帰りは別の交通手段をと思っていたので、Hと相談。ここからペテルブルクへはバスやマルシュルートカ(中型乗り合いタクシー)などいくつか交通手段があるが、帰りは列車を選択。庭園の前からバスに乗り、駅へ向かう。
 しばらくして車内のチケット売りの係に、駅まではあとどれくらいか聞いたところ、周囲の乗客数名がこぞって「次の停留所だ。」「もうすぐだ。」と笑顔で教えてくれた。ちょっとしたことだが、見知らぬ人々がこうして親切にしてくれるととても嬉しい。フレンドリーな人々が多く、困っていると時にお節介なまでにいろいろ教えてくれるのがロシア人。そんな人々と一緒に同じバスに乗り合わせるのも、ツアー旅行では出来ない楽しみの一つと言えよう。

 新ペテルゴフ駅(Новый Петергоф)からペテルブルクまで、近郊列車では約45分ほど。各駅停車である上、フィンランド湾を迂回するようにカーブを描く路線なので所要時間は短くないが、ロシアの鉄道の例にもれず料金が半端じゃなく安い。行きは船で400ルーブルだったが、帰りはバス12ルーブル、鉄道36ルーブルの計わずか48ルーブル。ロシアの鉄道では現在外国人料金が撤廃され、ロシア人も外国人も皆同じ料金。今は学割がない時期だが、秋から冬の間は、学生は近郊列車が半額で利用できる。

ペテルブルク案内記1-1日目:ベルリンからの友達-

2006-07-02 03:19:32 | Weblog


【写真:ペテルゴフの噴水の中でもメインのもの】

 6月26日にベルリンを発ったHは、エストニアのタリンまで飛び、そこから夜行バスでペテルブルク入り。飛行機でロシア国境を越えると格安航空会社でも値段がいきなり上がるが、陸路国境を越えれば安く上がるため、近隣の国まで飛行機を利用するというのはもはや私達の旅行の常識。

 6月27日午前7時過ぎ、私はHを迎えにバルト駅(Балтийский вокзал)へ。定刻の7時30分になってもタリンからのバスは到着しないので、遅れているのかなと思っていたところ、後ろからHに呼ばれたからびっくり。バスは定刻より1時間ほど早く、6時30分頃に到着したのだという。
 順調すぎるペテルブルク観光のスタート。バルト駅からメトロに乗り、まずは家へ向かう。メトロのやたらと長いエスカレーターはいつも初めて来る人々を驚かせるが、Hもその例外ではなかったようだった。
 Hは今回私のホームステイ先に泊まるため、自分で滞在登録をしなければならないが、今朝ロシア国境を通過したのが午前4時頃で、出国はバスのダイヤ上30日の午前2時過ぎ頃となるのでぎりぎりで滞在登録は不要と判断。滞在登録の手間と費用が節約できると分かったところで、早速観光に出発。

 今日の行き先はペテルゴフ。ピョートル大帝自ら設計したとされる多くの宮殿、噴水、広大な庭園があるこの町は、ペテルブルク近郊の観光地の中でも代表的な存在。見事な噴水を見ることが出来るのは5月末から9月までと短い。

 Hと私はバスでエルミタージュ美術館前まで行き、そこから船に乗ることに。ネヴァ川沿いには船の宣伝人がおり、ペテルゴフまでの料金を聞くと250ルーブルだというのでこれはちょうど良いと思い、船乗り場へ。ところがいざ窓口でチケットを買おうとすると、係の女性に英語の料金表を提示され、400ルーブルだと言われた。さっきの宣伝人は250ルーブルと言っていたからそのことを言ったが、あれはロシア人料金だったらしい。ここでは私のロシアの学生証も効力を発揮せず、「(ロシアの)パスポートを見せろ。」と言われたので、「国籍によって料金が違うのか?」と聞くと悪びれもせず「もちろんだ。」という答え。私だけなら考え直すところだが、Hも来ているので、二人で相談の末、せっかくだからやはり船で行こうということに。
 ロシアでは観光地のほぼ全てに未だに外国人料金という制度が存在しているが、船にまでこれがあるとは意外だった。しかもその差が倍近いというのも異常。船乗り場で何の権限もない係員に「いったい何たることか!」と文句を言ったところでどうにもならないので黙ってチケットを買ったが、外国人料金などを設定して、当たり前のように外国人に対して差別的取り扱いをするのは私の大好きなロシアにあって、唯一大変いただけないところ。外国人はどうせ金を持っているから取り立てようというせこい考えはいい加減あらためて、まずはこの辺のサービスから改善して欲しいと切に願うのは私だけではないはず。

 いきなり外国人料金を喰らってしまったが、クルーズ自体は大変良かった。ネヴァ川からフィンランド湾に出るまでの眺めは素敵だったし、何よりも速い。船ってこんなに速度が出るんだったっけととても感激。30分ほどでペテルゴフに到着したわけだが、驚いたのはその速さだけではなかった。到着した場所はペテルゴフの公園のまさに入り口。船着き場からまっすぐにメインの噴水が見え、一流観光地に乗り付けた感じ。船着き場で公園の入場券を買う。ここではロシア学生料金が50ルーブル、外国人学生は150ルーブル。
 

ペテルブルク案内記0-ペテルブルク観光ルート-

2006-07-02 03:17:09 | Weblog
01/07/06
今日から7月。西方見聞録も完結したところで、ペテルブルクの様子をまた読者の皆様にお伝えしたいと思います。今日からの連載はベルリン留学中の友人がペテルブルクを訪れた際の記録。なるべく写真を多く用いてペテルブルクの魅力を紹介します。
ここ数日は暑さが一段落し、今日日中も20度前後と比較的涼しいペテルブルクです。 
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【写真:船の航行のために上がった宮殿橋。この跳ね橋はペテルブルクの象徴的存在。左に見えるのはペトロパブロフスク大聖堂。(6月29日2時12分撮影)】

 6月27日から29日にかけて、友人H(西方見聞録にも登場した大学の同期。ベルリン留学中。)がペテルブルクに来てくれた。私の留学中にロシアを訪問してくれた友人は4月のIに続いて2人目。
 前回のIの訪問については後ほど詳述予定だが、4月という時期のためと、ちょっとしたハプニングもありだいぶイレギュラーだったIのペテルブルク観光に比べて、今回のHの観光は3日間でペテルブルクのメジャーな観光地をほぼ網羅したルート。個人旅行ならではの自由もあり、案内する私も満足だった。
 今回Hを案内した場所のほとんどは私も訪れたことがあるが、旅行者モードで短期間に集中的にペテルブルクの観光地を回るのは実はこれが初めて。 

 本文に入る前に、ペテルブルクを個人旅行する人の参考のために、基本的な旅行ルートを紹介しておく。
 留学組は皆それぞれ、友達や家族が来た時案内するコースを設定しているようだが、私のペテルブルク案内はこんなコースを考えている。

◎3日間(ペテルブルク初経験の人)の場合
 3日間のうち1日は、エルミタージュ美術館観光に半日。残りの2日間(1日ずつ)の半日を利用して近郊の5大観光地(プーシキン、パブロフスク、ペテルゴフ、ガッチナ、オラニエンバーム)のうち2つへ。これはそれぞれ午前中。ペテルブルクに帰ってくる時間は観光地の混雑状況や交通手段による。特に「琥珀の間」があるプーシキンのエカチェリーナ宮殿は個人、団体の別により時間帯ごとに入場制限があるので要注意。それぞれの午後にペテルブルク市内を観光。主な観光スポットは宮殿広場、カザン聖堂、スパス・ナ・クラーヴィー聖堂、ネフスキー大通り、ペトロパブロフスク要塞、ヴァシレー島、イサク聖堂、アレクサンドルネフスキー修道院、戦勝広場、夏の庭園、モスクワ駅、レーニン広場など。3日間のそれぞれ半日を利用すればペテルブルク市内のこれら主な観光地を回れる。移動中には芸術的なメトロの駅や街並み、運河などを見ることが出来る。
 夏場はこれに市内の運河やネヴァ川のクルージングという、水の都ならではのオプションをつけることも可能。同じく夏場は、元気があれば深夜に跳ね橋を見に行くのもペテルブルクでしかできない楽しみ。

◎4日間の場合
 3日間のコースに近郊の5大観光地を1つ追加。ロシア博物館や、3日間で回れなかった市内の観光スポットへ。実はロシアの歴史的な遺産はエルミタージュよりもロシア博物館に多いため、ロシアらしいものを見たいという人にはおすすめ。一日でエルミタージュとロシア博物館の大博物館を2つも回るのはちょっと重い気がする。だからといって初めての人にエルミタージュは外せないだろうから、ロシア博物館は4日間以上の日程があって初めて可能になる選択肢ではないか。
 あるいは、一日かけて遠出するというのも一つ。4月に来たIはペテルブルクに4日間滞在で、フィンランドとの国境の町ヴィバルグに出かけた。

◎5日間の場合
 4日間コース+遠出。行き先はヴィバルグ、ノブゴロドなど日帰り圏がおすすめ。ネヴァ川の源流でもあるラドガ湖へ行って休息するのも贅沢な時間の過ごし方。あるいはモスクワに0泊2日(車中泊)で1日観光するというのも良いかも。

◎6日以上orペテルブルク旅行経験ありの人
 ペテルブルク観光に加え、プスコフ、ペトロザボーツク(私は行ったことがないが)、ヴォログダなど、近隣の諸州の都市に泊まりがけで観光というのもおすすめ。もっとも、こうなるともはや「ペテルブルク観光」と言えなくなるかもしれないが...

 いずれにせよ、最低3日間でペテルブルクの「必修コース」を回ることが出来る。ペテルブルクは四季を通して素敵な街だが、初めての人にとっておすすめなのはやはり夏。観光客がやたら多くなるのはいただけないが、気温、日の長さ、観光地の営業時間など、あらゆる面で夏の方が都合がよいということは私も認めざるを得ない。
 これから数回に分けて、今回の観光の思い出をふり返りながら、観光シーズンまっただ中のペテルブルクを紹介したい。