ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ペテルブルク案内記14(終)-3日目:運河クルーズ-

2006-07-13 20:08:25 | Weblog

【写真:ファンタンカ川上の船から見たネフスキー大通り、アニチコフ橋(29/06)】

 ペテルブルク観光の締めくくりは運河クルーズ。夏場には人気のこの運河クルーズ、運河だけを回るコース、ネヴァ川にも出るコース、夜間クルーズなどコースや時間帯設定は様々だが、日中のクルーズの相場は1時間で200ルーブル~300ルーブル前後。外国人料金という制度はないのが嬉しい。

 イサク聖堂の見学を終えた私達は19時頃、イサク聖堂の近く、モイカ川からのクルーズに参加した。1時間のコースで1人200ルーブル(学生料金)。

 モイカ川をネフスキー大通り近くから出発した船は、エルミタージュの横を通ってネヴァ川に出る。ネヴァ川からはエルミタージュ、バシレフスキー島のストレルカ、ペトロパブロフスク要塞などが一望できる。ガイド付き(もちろんロシア語)で、丁寧に説明をしてくれるのがありがたい。トロイツキー橋をくぐりファンタンカ川に入った船は、アニチコフ橋付近まで行って折り返し、ミハイロフスキー城の側から再びモイカ川に入る。
 運河クルーズに参加したのは私も実は初めてだったが、船の上からはこの3日間でまわった場所を眺めることができ、それらの位置関係を含めてペテルブルク観光の総復習になる。市内観光の最後にクルーズに参加するのがおすすめ。

 Hのペテルブルク観光は3日間と短かったが、案内してみて思ったことは、意外と多くの場所をまわれるということ。Bのおかげもあり、主要なところはほぼ網羅したコースだった。もう一度今回訪れた主要な場所を振り返ってみる。

1日目:ペテルゴフ、スパス・ナ・クラーヴィー聖堂、カザン聖堂
2日目:モスクワ広場、戦勝広場、プーシキン、アレクサンドルネフスキー修道院、芸術広場、夏の庭園、ピョートル大帝の家、ペトロパブロフスク要塞、バシレフスキー島、デカブリスト広場、跳ね橋
3日目:エルミタージュ美術館、(警察署)、モスクワ駅、ペトロパブロフスク大聖堂、イサク聖堂、運河クルーズ

 観光地めぐりはツアー客でもできるが、今回のようにペテルブルクの人々が利用するのと同じメトロやバス、マルシュに乗ったり、同じ店で買い物をしたり(Hは最後にウォッカを買っていった)など、人々の生活の一端を見ることが出来るのは個人旅行ならではの楽しみといえる。
 日本のガイドブックには未だに「ロシア個人旅行は難しい」などと書いてあるが、私は全くそうは思わない。個人旅行が難しい理由として、ビザが必要、街で英語が通じないなどといったことがよく挙げられるが、果たしてそれは個人旅行を阻む理由になるだろうか。 ビザは本来必要なもので、日本のパスポートではビザが免除される国が多いから、それに慣れた旅行者にとってはビザ取得が非常に面倒に思えるだけ。
 言葉にしても、そもそも外国で言葉が通じないのは当たり前。ロシア語しか通じないのを不便だと思うのは、どこでも英語で通じようと思う傲慢な態度の裏返しでしかない。旅行者全てがロシア語を勉強してくるべきとまでは言わないが、最低でもキリル文字と簡単な挨拶さえ覚えてくれば、ロシア旅行の楽しみは2倍、3倍になる。4月にパリから来たIは、1月からロシア語も勉強し始めていた。Hも旅行直前にたった1日でキリル文字を覚えてきたそうだが、文字が読めるだけで、ロシア語の世界がまた違って見えたことと思う。

 ロシア個人旅行を楽しめるのはロシア語学習者だけの特権ではないということを、HやIは実感してくれたのではないか。彼らはむしろ、他の国に行くのと比べて準備が面倒だった分だけ、実際にロシアに来て良かったと言ってくれた。
 ロシアは準備をする能力がない旅行者には永遠に遠い国だが、HやIのように、ほんの少しの労を惜しまぬ人には身近な国。これはロシアに限ったことではないと私は思う。

 この街で生活していると集中的に観光地をまわることはまずないが、今回Hを案内した機会に初めての観光地へ行ったり、クルーズに参加したりすることができた。
 ロシアの北都の記憶を、ベルリン留学の1ページに刻んでもらえたらなと思う。好奇心を持ってはるばるベルリンからペテルブルクに来てくれたHに、心から感謝したい。

 白夜のこの時期、23時を過ぎても太陽は沈まない。
 夜行バスの出発とは思えない明るさの中、Hを乗せたバスはタリンヘ向けてバルト駅を出発した。

       -ペテルブルク案内記 完-
  

ペテルブルク案内記13-3日目:ペトロパブロフスク大聖堂とイサク聖堂-

2006-07-13 20:01:07 | Weblog

【写真:アレクサンドル2世とその后の石棺。ペトロパブロフスク大聖堂にて。(29/06)】

 警察署で証明書を受け取り、遅めの昼食はモスクワ駅構内で。今回ロシア出入国はいずれもバスを利用するHは長距離列車を見る機会がないので、昼食後ホームに案内し、ロシアの鉄道の雰囲気を見てもらった。構内に掲げられている巨大な長距離列車運行図は西端がベルリンになっており、Hは気に入ってくれたようだった。

 モスクワ駅からメトロに入り、次の観光地ペトロパブロフスク大聖堂へ向かう。この聖堂は昨日散策したペトロパブロフスク要塞の中にあり、要塞内で最も重要な建築物とされる。聖堂の上の尖塔の高さは122.5mあるが、聖堂の広さはそれほど大きくなく、意外とこじんまりとした印象を受ける。内部は歴代皇帝の霊廟となっており、ピョートル1世からニコライ2世まで、モスクワのクレムリンに安置されているピョートル2世を除く18世紀以降の皇帝がここに眠っている。
石棺はほとんどが白い大理石製のもの(写真奥)だが、その中にあってひときわ際立つのがアレクサンドル2世とその后の石棺(写真手前の2つ)。これらは、農奴制廃止(農奴解放令を発令=1861年)に対する感謝としてウラルの工場労働者が作ったもので、ウラル産の碧玉と薔薇輝石で出来ている。
 その真贋が一時期論争になったが、1918年にエカテリンブルクで銃殺された最後の皇帝ニコライ2世とその家族の遺骨は、1998年にここに埋葬された。
 近代にあって歴史を動かし、あるいは歴史に翻弄されながら皇帝という宿命を生きぬいた役者達が一同に会する神聖な場所が、ペトロパブロフスク大聖堂である。

 今回の観光最後の見学地はイサク聖堂。キューポラ(天井の円い屋根)を持つ聖堂の中では世界で4番目に大きいこの聖堂は、19世紀の最傑作建築物の一つとされ、かつてロシア帝国第一の聖堂だった。
 建築や美術について私は詳しくないのだが、建物の内外にある彫刻、絵画などの豪華絢爛な装飾を見れば、この聖堂の偉大さを理解することは難しくない。
 ここにもとんでもなく高い外国人料金(聖堂内部の入場料と展望台の入場料計450ルーブル)が設定してあり、最も安いロシア学生料金(同75ルーブル)と比べて6倍もの差があるのがナンセンスだが、ここは聖堂内部、展望台ともに観光客は必ず訪れるべき場所であろう。
 ここの展望台からは、ペテルブルク市内を360度見渡すことが出来るのだが、残念ながら今日は私達が訪れた時間が遅かったため展望台に上ることは出来なかった。