国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

マジックの日だというのに

2019-12-03 19:17:22 | 日記
●12月3日は「ワン・ツー・スリー」で奇術の日? マジックの日? 手品の日? 手妻の日ではないな。

 まあ、なんだそういう日なのである。

●はっ。12月3日を奇術の日にして、1月23日をマジックの日にするイベントを増やせていいのではないか。12月4日はコメディマジックの日で。

●これとは関係がない話だがと書こうとして考えてみたら意外と関係のある話だが、過去記事の一部を今日から編集させていただいている。

 改変したり、削除したり。

 ただ、削除、改変しているのはマジック、国語関係のほんの一部である。
 
 他の部分はいじらない。

 特に日記やマジックとリハビリの日記はいじらない。

●今後もその作業はちびちびびと続くはず。

 短期間だけど。

 本当に少数の記事だけだから。

●病気が治ったあとに備えてのことである。

●改変をよしとされない方もいらっしゃるのは重々承知ですが、今後のためなのでご了承いただきたい。

●もし、コメントなどがある記事が消えてしまっている場合は申し訳ない。ただ、原則としてコメントのある記事は尊重していく予定。

●あと、好きな記事が消えてしまっている場合もありえるので申し訳ない。

●気になる方は過去の記事もどんどんお読みくだされ。

●病気が治ったら何をするかは秘密である。まだまだ、病人だしな。





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北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』より 早稲田大学過去問

2019-12-01 17:58:48 | 国語


 次の文章は北村透谷の文章の一部である。これを読んで後の問に答えよ。

  吉野山に遊覧して、歎息するものあり、曰く、何ぞ桜樹を伐きりて梅樹を植ゑざる、花王樹は何の活用に適するところあらむ、梅樹の以て千金の利を果実によつて得るに如しかんやと、一人ありて傍より容喙して曰へらく、梅樹は得るところの利に於て甘藷を作るに如かず、他の一人は又た曰く、甘藷は市場に出ての相塲極めて廉なり、亜米利加種の林檎を植ゆるに如かずと。われは是等の論者が利を算するの速なるを喜び、真理を認むるの確なるを謝するに吝(やぶさか)ならざらんと欲す、然れども吉野山を以て活用論者の手に委ぬるは、福沢先生(注1)を同志社(注2)の総理に推すことを好まざると同じく好まざるなり。
 肉の力は肉の力を撃つに足るべし、死したるものゝ死したるものを葬むるを得るといふ真理は、ナザレの人の子(注3)も之れを説けり。然れども死したるものゝ葬むることを得ざるものあるは、肉の力の撃砕することを得ざるものあると共に、他の一側に横はれる真理なり。A一人の敵を学ぶの非なるは、万人の敵を学びても猶なほ失敗したる項羽(注4)すら、之を発見せり。万人の敵を学ぶは百万人の敵を学ぶに如かざればならむ。百万人の敵を学びたる(仮定して)漢王も、亦た「死朽」といふ不可算の敵の前には、無言にして仆れたり。「死朽」といふ敵に対して、吾人は吾人の刀剣を揮(ふる)ふこと、愛山生の所謂英雄剣を揮ふ如くするも、B成敗の数は始めより定まりてある如く、吾人は自然(力としての)の前に立ちて脆弱なる勇士にてあるなり。
「力(フオース)」としての自然は、眼に見えざる、他の言葉にて言へば空の空なる銃鎗を以て、時々刻々「肉」としての人間に迫り来るなり。草薙の剣(注5)は能く見ゆる野火を薙(な)ぎ尽したりと雖(いへども)、見えざる銃鎗は、よもや薙ぎ尽せまじ。英雄をして剣を揮はしむるは、見る可き敵に当ればなり、C文章をして京山もしくは山陽の如く世を益するが為めと、人世に相渉らしむるが為に戦はしむるは、見るべき実(即ち敵)に当らしむるが為なり。然れどもD空の空なる銃鎗を迎へて戦ふには、空の空なる銃鎗を以てせざるべからず、茲(こゝ)に於て霊の剣を鋳るの必要あるなり。
 自然は吾人に服従を命ずるものなり、「力」としての自然は、吾人を暴圧することを憚(はゞか)らざるものなり、「誘惑」を向け、「慾情」を向け、「空想」を向け、吾人をして殆ど孤城落日の地位に立たしむるを好むものなり、而して吾人は或る度までは必らず服従せざるべからざる「運命」、然り、悲しき「運命」に包まれてあるなり。項羽は能く虞美人に別るゝことを得たれども、吾人は此の悲しき「運命」と一刻も相別るゝを得ざるものなり。然れども自然は吾人をして「失望落魄」の極、遂に甘んじて自然の力に服従し了するまでに、吾人を困窘(こんきん)」せしめざるなり。爰(こゝ)に活路あり、活路は必らずしも活用と趣を一にせず、吾人をして空虚なる英雄を気取りて、力としての自然の前に、大言壮語せしむるものは我が言ふ活路にあらず、吾人は吾人の霊魂をして、肉として吾人の失ひたる自由を、他の大自在の霊世界に向つて縦(ほしいまゝ)に握らしむる事を得るなり。自然は暴虐を専一とする兵馬の英雄の如きにあらず、一方に於て風雨雷電を駆つて吾人を困(くる)しましむると同時に、他方に於ては、美妙なる絶対的のものをあらはして吾人を楽しましむるなり。風に対しては戸を造り、雨に対しては屋根を葺(ふ)き、雷に対しては避雷柱を造る、斯かくして人間は出来得る丈は物質的の権(ちから)を以て自然の力に当るべしと雖、かくするは限ある権をもて限なき力を撃つの業にして、到底限ある権を投げやりて、自然といふものゝ懐裡に躍り入るの妙なるには如かざるなり。爰に於て吉野山は、【 甲 】の睹易(みやす)からざる活機を吾人に教ふるなり。「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と歌ひたる詩人が、活用論者の知ること能はざる大活機を看破したるは、即ち爰にあるなり。

注1…福沢諭吉のこと。
注2…明治八年、京都に創立されたキリスト教主義の学校。
注3…キリストのこと。「死にたる者に、その死にたる者を葬らせよ」(マタイ伝)
注4…項羽は秦末の武将。名は籍。叔父の項梁と挙兵、劉邦(漢の高祖)と共に秦を滅ぼし、    楚王となったが、のち劉邦と覇権を争い敗れた。
注5…日本武尊は、東征の折、謀られて野火で焼殺されようとしたが、この剣で周辺の草を薙ぎ払い、向い火をつけて難を逃れたという。

問一 本文の空欄甲には同一の言葉が入るが、最も適当な語句を本文中から抜き出せ。

問二 本文の傍線部Aは次の故事を踏まえて書かれているが、その故事では「一人の敵を学ぶ」…X、「万人の敵を学ぶ」…とはどのようなことか。
項籍少き時、書を学ぶも成らず。去りて剣を学ぶ。又成らず。項梁之を怒る。籍曰く、書は以て名姓を記するに足るのみ。剣は一人の敵。学ぶに足らず。万人の敵を学ばんと。是に於て項梁乃ち籍に兵法を教う。籍大いに喜ぶ。略その意を知る。(史記)

問三  本文の傍線部Bの「数」と同じ意味で「数」の字が使われている熟語(一つとは限らない)を、次のイ~へから選び、その記号を答えよ。
 イ 数理  ロ 数奇  ハ 数珠  二 命数  ホ 術数  へ 概数

問四 本文の傍線部Cのような判断を下す筆者の、その根拠となる考えを最も端的に述べた個所を本文中から一五字以内で抜き出せ。

問五 本文中の傍線D「空の空なる銃鎗」とはどのようなものを指すか。本文中で筆者があげている三つの具体例をすべて抜き出せ。

問六 本文中の論旨として最も適当なものを、次のト~ルから一つ選び、その記号を答えよ。ある。
ト 自然はわれわれにとってとても克服し得ぬ強大な敵であるから、自然に対してひたすら柔順に従って、われわれはむしろ自然とは切り離された精神世界における自由を希求すべきで、そこからおのずと文学への道も開かれる。
チ 英雄のように剣を揮っても「力」としての自然にはあらがい難く、むしろそうした行為を放棄して、精神的な自由を獲得した時にこそ自然ははじめてその絶対美妙なる世界を建言するのであり、文学の真髄もここにある。
リ 英雄は剣を揮い、文学者は筆を揮って世を益するものだが、「力」としての自然の前には両者とも脆弱なものであり、肉を脱した謙虚な心で自然に接する時にこそ美妙かつ絶対なる一体感を味わうことができ、文学の創造もここにおいて可能になる。
ヌ 文学の偉大なる価値は、あくまで霊の剣を揮って「力」としての自然と戦い、人生に相渉る点にあり、そこに開示される絶対美妙なる世界は、百万人の敵を学んだ英雄が剣を揮ってもなおおよびがたいほど至高なものである。
ル 「力」としての自然はわれわれに「運命」としてどのような英雄も逃れられ得ぬ肉体的な苦しみを強いるが、絶対美妙なる自然はその懐裡にわれわれを抱きとって精神的に慰撫し、「力」としての自然の脅威に耐えるに足る新たな活力を与える文学を生み出す。












【解答】
問一 活用論者
問二 X 剣術を学ぶこと  Y 兵法を学ぶこと
問三 ロ
問四 肉の力は肉の力を撃つに足るべし
問五 誘惑 慾情 空想
問六 チ



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