国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

マジックのリハビリと日記18

2018-09-14 18:43:35 | マジックのリハビリと日記
●某日。といってもかなり前のことだが。

 マジックに台本があると良いと知る(今頃か)。

●某日。これは最近な。

 マジックのリハビリがてら、とあるセルフワーキングカードマジックを文字に起こした。

 手順と台詞を書いていったのだ。

●文章化後、最初の試演。カードがずれる。予定と違うカードが出るのだ。しばらく枚数を調整するが失敗。

 計算する能力がないんだね。怖い怖い。

●その後、とあるセルフワーキングマジックの実演と解説を見る。

 解説でセッティングの枚数が間違っていたのはわかったが、びっくりはそれから。

●私の台詞では、観客にやってもらうことが多かったんだが、その人は私の台本の三分の一くらいしか相手にデックをさわらせていなかった。

 観客に肝心なところさえ選択させていれば、あとは演者がやった方がいいのだ。

 観客にカードを配らせないで済むなら演者がやった方が安全だし、観客の負担も少ない。

 なのに、観客がやった方が不思議だろうと思ってた自分が恥ずかしい。

●それと台詞が丁寧。

 その方が台本を作っているかどうかはわからないんだけど、何が起こっているかがわかりやすい。

 そして、その台詞で観客がやったことの説明を丁寧にしているんだなぁ。

 最初に作った自分の台本が恥ずかしくなった。

●台本を修正して、保存して、ひと段落。

●来週には他人に見せたいものだ。





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中高生のための内田樹(さま) その10

2018-09-14 11:25:26 | 中高生のための内田樹(さま)



次の文章を読んで後の問いに答えなさい。




 ブランドとは(使用価値でも交換価値でもなく)、それを持つことが所有者の社会的位階の指標となるような記号的示差性(象徴価値)を主たる価値とする商品のことである。
このボードリヤールのブランド論が80年代からの「定説」である。
 だが、私はこの「定説」はフランスや欧米の国々には妥当するけれど、日本にはそれほどうまく適用できないだろうと考えている。
 その理由を述べる。
 フランスはブルデューの言うとおり「階層社会」である。
 階層差は明示的にはおもに文化資本の差によって示される。
 文化資本については前に長々書いたので繰り返さないが、要するに「お育ち」がともなうもろもろの資質(「なんでも鑑賞眼」とか「審美的趣味」とか「ワインのよしあし判定能力」とかだらけていても則をはずさないテーブルマナーとか品のいい酔っぱらい方とか…)のことである。
 これを後天的な学習によって体得することはむずかしい。
 知識やスキルの「コンテンツ」は努力すれば容易に学習できるのであるが、知識やスキルを表現する「マナー」は学習することが困難だからである(それゆえ、『マイ・フェア・レディ』が「おとぎ話」になりえたのである)。
 ブランドの適切な選択と装着をなしうる能力はヨーロッパにおいてはきわだって有徴的な文化資本の一つである。
 それゆえそれは階層差を表示する記号として機能しうる。
 それに違反すること(下層階層の人間が背伸びしてブランド品を身につけること)は彼の地では学歴詐称に類する「ルール違反」とみなされる。
 しかし、本邦においてブランド品にそのような強い差別化機能はない。
 ブランド品を所持する日本人の主たる目的は「所属階層」や「文化資本」というようなハードな「属性」を示すことではなく、「流行感度」のようなソフトであいまいな「個性」を示すことにある。
 わが国では、ロレックスをはめていても、エルメスのバッグをもっていても、アルマーニのスーツを着ていても、それは「一時的に可処分所得が潤沢なので、『おしゃれ』に気を使う程度の余裕がある」という以上の社会的記号としては機能しない。
 出身階層の別やそれ以外の(芸術的感性とか文学的素養とかの)文化資本の多寡をブランド所有が示すことはない。
 ぜんぜん、ない。
 むしろ、上記三ブランドを揃えてにぎにぎしく着用している人間などは「お育ちの悪い」集団にカウントされるリスクを負っている。
 だから、「ブランド」という語の語源的意味に即していえば、日本では「ブランド品」はほとんど「ブランド」として機能していないのである。
 ルイ・ヴィトンのバッグの50%は日本市場で買われている。日本は世界人口の2%である。
 つまり(意味のない平均だが)日本では、世界のそれ以外の地域で「ルイ・ヴィトン所持者」に出合う25倍の確率でヴィトン所持者に行き会うことになる。
それだけ考えても、ボードリヤールの分析が日本には適用するのがむずかしいことは知れるであろう。
 私は文化資本の差が記号的につよく意識される社会よりも、ジャージ着て健康サンダルをはいたおばさんがヴィトンのバッグをもってローソンに「おでん」を買いに行くことが許される社会の方が個人的には「好き」である
※ 記号・・・あるきまった思想や事柄の内容を表すためのしるし

問 「個人的に『好き』」とあるが、その理由は何か。










【解答例】
文化資本を重視する社会では、先天的な学習が大きい意味を持ち、出身階層やそれまでの生き方が重視され、ブランドもそれを意味することになるが、日本のように文化資本が重視されない社会は、ブランドは一時的な可処分所得程度の有無を表す程度の気楽なものになるから。





  
●あれどこか見た感じがするぞという中高生は偉い!
その4で用いた文章なのである。
●好き」自体を説明することは難しいがコンビニ(ローソン)におでんあたりから「気楽」「手軽」などの表現がほしい。
●「日本」と「外国」の対比パターンは頻出なので押さえておきたい。解答にもそれが反映されていて外国の属性が述べられているのがおわかりだろうか。なんなら「フランスと違い」などの表現を入れておくのも良いね。


全文はこちらです。






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