感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

トランプ大統領とバイデン氏の初討論会を終えて

2020-10-01 | 2020年アメリカ大統領選挙

昨夜、午後9時から1時間半余り、共和党で現職のトランプ大統領と、民主党の大統領候補、バイデン氏の討論会がクリーブランドであった。英語が十分ではない私が、見るには少々困難さを伴いはするが、一市民として、見ておくべきとテレビの前に座る。

トランプさんの性格は今にわかったことではなく、歯に衣着せぬ物言いに、時に、子供のような紳士らしからぬ発言や、態度を何度も目にしているので、驚きはしなかった。この討論のスタイルにも、筋書きがあるはずだ、と思っている。’

決して昨夜のトランプさんは、スマートではなかったけれど、それで、驚く市民でもいまさらないはずだし。

そんな討論会の翌朝の今日は、朝の食卓の場で、アンチトランプを明言している息子と政治の話になり、言い合う事に。

「何で、自分のお母さんがトランプを指示するのか、自分には理解ができない。」と言うわけだ。昨日の彼を見ただろうと言うわけだ。

息子は、自分で言うのもなんだけど、自分の母親を賢い人だと思っているし、普段からその様に振る舞う。私も彼をリスペクトし、親子関係は至極スムーズである、普段は。

政治の話は家に持ち込むな、職場に持ち込むなとよく言うが、まさしくもだと思う。

いくら自分が尊敬している人であったとしても、政治的思考の違いには屈することが難しいわけだ。

息子曰く、「お母さんは、日本の国で育った、日本は強力な保守派政権がある事も知っている。トランプが日本に良くしたこともしってる。でも、アメリカ人には、もっとちゃんとしたリーダーが必要なんだ。アメリカ人にはスピリットがある。そのスピリットを感化して奮い立たせれば、国は良くなるんだ。トランプではできない。」と言うではないか。

彼は、軍人だったので、愛国心が強いほうだ。歴史も好きで私よりも世界の歴史をよく知っている。

でも、

私たちの世代が、実際に肌で感じてきた世界の歴史と、彼が頭で知っている世界の歴史には、温度差がかなりあるはずだ。彼は、共産主義の脅威を私ほどには、実感することが難しいと思う。

「トランプと言う一人の人間ではなくて、彼の側で彼を支える人達や、その人たちの思想、彼を利用しようとする人たちやその人たちの思想、それが世界の平和の為になるかどうかを考えるの、バイデンさんのバックにいる人達、バイデンさんを利用しようとする人達と、どちらが世界の為になるかを考えるんだよ」と話し、私がトランプと言う一個人を信仰しているわけではない事を話し、アメリカを愛する息子と政治的な話にしばし熱をあげ、互いに互いの意見や疑問を語り、良き時間を持つことができたなと、思う。

自分の意見を人にぶつけるのは、簡単ではない。話さない事がいいことの方が多いと思う。

近頃、黒人人権運動や、コロナの問題など、色んな事を利用して体制批判に持ち込む、思想的な流れがあると理解している。体制批判は、時に、過激化する。それを利用する勢力があるからだと、思っているし、そう話すその筋の人も多い。私は、基本、体制批判はよろしくないと思っている。かと言って全体主義が正しいとは言わない。全体主義では平和はこない。歴史を見れば明白だ。

思想の根底に愛がなければ、悲劇は繰り返すだろう。

事を始める動機、事に臨む動機、事を決断する動機、そこに人類愛があれば、結果が違ってくると信じたい。愛があれば理解しようと言う気持ちがわく、その気持ちは伝わる。友人同士が、ある一言で仲たがいもすれば、その逆もある。国同士の関係も、利害が複雑に絡んでいはしても、人と人の関係に尽きると、信じたい。良き関係、平和の為には、手段を選らばずなのではなく、困難な事を成し遂げるのは、困難が伴う、忍耐がいる。

何のパワーもない一個人である私達にできる事は何だろうか、と思う。

息子との会話で、知らないことがどれ程恐ろしい事かわからないねと、なる。教育の重要性をまた感じる。インディアン達に初期のアメリカがどんなことをしてきたのかを正しく知れば、アメリカ人の態度は変わるよ、知らないからわからないんだ、とも話す息子は、日本はパールハーバーの軍人をアタックしたけど、アメリカは、広島長崎だけでなく、日本中の街を空襲で襲い、一般市民を殺したよね、その事を、アメリカはこの先も多分誤る事はないと思う、そんな国だから、と話す。アメリカを色んな角度から見ているのだなと知る。

原爆の話もでた。原爆があるから世界の均衡が保たれていると言う原爆思想をどう思うかと言う事だ。向こうが持ってるからこっちも持つ、こっちが持ってるから向こうも持つ、結局、同時に一斉に原爆を破棄するしか手段がないわけだ。

プーチンや金ジョンウンやトランプや習近平と言う1個人が原爆の発射ボタンを押せるのは間違っている。でも、押したら最後世界中から攻撃され、押せば滅ぶことも分かっている。このジレンマなのだ。

もしかしたら、どこかの国が原爆の犠牲になり、原爆を使った国が滅び、そんな目に合って見て初めて、原爆をなくそうと言う事に世界が合意することになるのではないか、と言う思いに至る。

日本は広島と長崎に原爆を落とされ、原爆の恐ろしさを世界に知らしめた。その様な犠牲を払った国であり、福島の原発事故では、原発を持つことの責任がいかほどなのかをまた、反面教師として知らしめた国だ。犠牲が伴う。

 

コロナの今の現状をそれに重ねて思う。

平和が、健康が、人間社会が、順調に回る事がどんなにありがたいことか。

もしかしたら、自分の力ですべて成しているかの如く錯覚し、自然に対する感謝もせず、自分の思いのままに、好き勝手に生きる私達に、生きるとは簡単ではないんだよ、もっと感謝しなさいと言っているのではないかと、思って見るわけだ。

人間自身が、考えを悔い改めるまで、生きる事が何たるかを考えさせる期間として、神様が下さった試練だろうかとも思ってみる。もしそうなら、それは感謝して越えて行かねばならないし、と謙虚に考えをめぐらす。

今日はそんな日なのかもしれない。



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