九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

草津市のチョウ相を考える

2016-01-25 22:48:58 | 日記


草津市のチョウ相を考える
原田さんが倒れたことで、落胆し、またあちこちに第10巻が出版されなかったお詫びの手紙を書いていた。また少し意欲が減退していたが、またブログを再開する。フィリピンの続きも書こうと思う。なお博物館の標本番号をつけていることは何度も書いた。新春からそれも継続しており、現在21979匹に番号ラベルをつけた。残りは約15000匹である。現在、日本産チョウの番号をつけている。つまり後、1週間で日本産鱗翅目のすべてに番号がつく。次は日本産トンボついでヘビトンボ、カゲロウ、カマキリモドキ、半翅目である。
ところで九重昆虫記は再版せず、もう一度再編集して別の名前で出したい。また本のサイズもA5判(保育社の図鑑の大きさ)にしようと思う。原田さんがあの小さなサイズを好んだのは書店の本箱に並べてもらえ、カバンに入れて持ち運びやすいからだ。派手な表紙も彼の発案だ。しかし第9巻の校正中気付いたのは説明文を2ページ内に収めると文字が小さすぎることに気付いた。電車の中で読むのは難しい。いろいろ失敗もあったが、失敗や間違いから学んだことも多いので今度は世にも美しい本にしたいと思う。九重昆虫記各巻の校正後のファイルと九重昆虫記の定期読者のファイルも廃業直後にマイコンと一緒に処分されてしまった。だから私の手元には校正前のファイルがあるだけだ。また九重昆虫記は書店が購入していた分がインターネットでまだ販売されている。また古書店にも少数あるらしい。版元に若干あった残部は処分されたという。

 「九重昆虫記第9巻」29ページで紹介した都心部に近い海抜100m以下の大分市富士見ヶ丘の家の庭で記録したチョウは55種あった。またそこから55km離れた海抜800m前後の大分県九重町地蔵原で記録されたチョウは92種である。地蔵原は寒冷で本州でいえば岐阜県の中山地に相当し、春は遅く秋の音連れは早い。一方、大分市は九州では比較的涼しい都市である。藤岡知夫著「原色原寸検索図鑑日本の蝶」(1975年、主婦と生活社)はチョウの分布を元にA環北極圏系、B旧北区系、C朝鮮・ウスリー系、D西部支那系、Eインドシナ系、F広域分布熱帯系、Gメラネシア系、H日本特産型の8つの分布系にわけた。
現在の日本列島のチョウ相は、日本列島をとりまく周辺の陸塊から陸橋を通って移住してきたものや、卓越風を利用し海を渡ってきたものなど様々の時期に違う出発地から侵入し定着したものが混じり合って形成されたものである。藤岡さんは主な出発地を7つにわけ、それに日本で種分化した群を加えて8系統にわけた。
私は九重町地蔵原の生物相を説明したとき、大分市のチョウ相と地蔵原のチョウ相を円グラフで示した。グラフは視覚に訴えるから読者が虫の素人であっても、わずか55km離れている2地域でも高度差が数百メートルあれば気候も生えている植物もおそらく違うからチョウ相が違っても当然だと納得できる。グラフを見て地蔵原には朝鮮・ウスリー系と西部支那系が多いが、富士見ヶ丘では朝鮮・ウスリー系が減少し、西部支那系や広域分布熱帯系、インドシナ系が多くなる。
私も「蛾類生態便覧」で蛾を使い同様の試みをしたが、蛾は種数が多く円グラフをつくるには大変なエネルギーがいる。この場面はまずチョウを利用して地蔵原の自然を大まかに把握する方が賢い。
ところで草津に移ってすぐ武田滋さんと布藤美之さんを訪問したとき1998年に出版された「伊吹山地の蝶」を頂いた。またもっと前に頂いた蝶研フィールド1989年のVol. 4, No. 11の15‐21ページに書かれた「滋賀県の蝶」が出てきた。それらと武田さんがCame虫2013年No. 170に載せた草津市のチョウ目録を使って3枚の円グラフを作った。これらを見ていろんなことが考えられる。草津市と大分市の円グラフは似ている。また滋賀県と伊吹山の円グラフは地蔵原と似ている。県内のあちこちでチョウ相を円グラフに作り比較するとチョウ目録を並べて比較してもわからなかった面白い発見があるかもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿