九重自然史研究所便り

昆虫採集と観察のすすめ

分子と形態の解析に基づく昆虫の目の分岐図

2015-11-07 16:10:49 | 日記

分子と形態の解析に基づく昆虫の目の分岐図

 大分県九重町地蔵原の九重自然史研究所を閉鎖し全標本を琵琶湖博物館に移し、整理を始めてからやがて3年が経過する。地蔵原を立ち去る前に「九重昆虫記展」を開いた。そしてほとんどの目を含む約50標本箱を並べ、それぞれの幼虫や成虫の行動・生態を写した300枚のA3大の図版を展示した。どの目も同じように標本と写真を用意したが、種数の多い群ほど標本も図版の枚数も多くなった。展覧会の時点で九重昆虫記の原稿はすでに12巻まで大体完成していたので、たぶん昆虫の幼虫の写真は800種近くあったから全部を並べることは無理なので面白そうなものを選んだ。
 自然史関係の展示は目と目の類縁関係をわかりやすく示す、つまり系統進化を踏まえたものであるべきだ。そうするには昆虫の系統関係を考慮した目の一覧表が一枚欲しい。そのために作ったのがこの図版である。残念ながらほとんどの蔵書を長崎大学熱帯医学研究所熱帯医学ミュージアムに寄贈したので、この表の出典やどこを変更したか詳しいことは忘れてしまった。Wheelerという人の図をもとに作成したと思う。
私の頭の中で出来上がっている形態を中心に分類された20世紀の昆虫系統図は、21世紀に入って10年以上経った今ではそのまま使えない。分子生物学が進歩したのだから、ちょっぴりそれを考慮した表があればと思った。そんな時、この表を見てすっかり気に入った。
 それで展覧会はこの表をもとに標本と写真を並べた。そして来訪者に説明する際もまずこの表のところで、昆虫とは何かお話しし、さらに不完全変態群と完全変態群に触れ、その境界線上に「動き回るヘビトンボの蛹」の写真を見せ、ついで甲虫類もよく動く蛹がある、といくつかの蛹の写真を見せると甲虫の置かれている位置も納得してもらえた。
 学校教育では完全変態と不完全変態を教えるが、ある時を境になぜ昆虫たちが争って完全変態へ進化しなければならなかったのかという一番大事なことをちゃんと説明できている昆虫学者の書いた本を読んだことがない。私は中生代末期の恐竜の絶滅と、その後起こった顕花植物の進化が関係していると思う。植物が花粉を運んでもらおうと、争って高栄養の甘い飲料を虫たちに無償提供し始めたのがものごとの始まりだ。
昆虫の先祖が翅を持つようになったのは生息圏を広げるためと、より多くの異性から連れ合いを選ぶ配偶行動の広域化を進めるためだった。昆虫の祖先は塩水が混じらない淡水域やその周りの湿った環境に依存して分化しはじめたが、陸上は乾きやすく、小さな陸水はどこにでも生じるが、日照りが続けばすぐに枯れることが多い。だから最適環境を求めて移動するために翅は小型の地表部で暮らす陸生節足動物にとって必須であった。もともと植物は昆虫の成虫や幼虫の餌として昆虫側が一方的に利用していた。しかしその昆虫たちが、偶然、花粉を体につけたまま遠くの同種の花にも立ち寄り花粉をつけることに気付いた植物側も、虫たちを呼び寄せるために積極的に蜜を提供し、色とりどりの美しい花を咲かせて大々的に昆虫を花粉媒介に利用しはじめた。
この話は「九重昆虫記第7巻」の第VIII部鱗翅目昆虫の進化―チョウはなぜ美しくなったのか?」(415~504ページ)でもハチとチョウの進化を書いている。この系統図を眺めているうちにその物語の構想が固まったのだ。昆虫が変態する方向に舵を切ったのは「親と子が違う食物を食べる」ためには、親子の口の形が変わらなければならなかったからだ。この現象はカエルの変態とも共通している。カエルは幼生期には植物質を食べ、成体は虫を食べる。

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