続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

原子爆弾と戦後のこと

2020-08-10 13:05:16 | 辛い
私は東京大空襲に遭いましたが、猛火の中
家族6人、お隣の家族4人も無事逃げ延びました。
その後焼け残った家を借りて住みました。
新型爆弾が落とされたそうだ、100年草木が生えない
らしいと大人たちがひそひそ話していました。
敗戦になり、苦しいひもじい思いをしながらも、
両親や親戚のお陰で無事育ちました。
長兄はニューギニアで戦死しました。次兄は横須賀から
帰ってきました。
 
姉が結婚するとき、相手のお父さんが、お宅の息子さんは
戦死なさってお気の毒です。息子は無事帰ってきましたが
息子も地獄を見ました。と母に話したそうです。
復員してほっとしたのもつかの間、再び国から呼び出されて、
沢山のお金を渡されて、とにかく行ってくると出かけました。
外地じゃないからと、安心して行ったところが、広島でした。
衛生兵だった義兄はどのような仕事をしたのでしょうか、
帰ってきたときは、疲労困憊ていたそうです。
私たちはずっと後になって母から聞きました。
被爆はしなかったのでしょうか。
義兄は良き家庭人で、仕事もしっかりして、部下に信頼されていました。
酔うと 明治一代女 を唄っていました。陽気な人でした。

次兄は水兵だったので、棒で殴られたよなんて笑って言っていました。
泳げないから海に放り投げられた・・・アップアップしたよ~
私たちは笑っていましたが、苦労したんですね。
その兄は警察予備隊から誘いがありましたが、断りました。
あの時代の人は人に言えない苦労をしたのだと思います。

お国のために尊い命を捧げた英霊を祀る、靖国神社に
お参りに行かない総理、議員、役人、はどのような考えをして
いるのでしょうか。知りたいです。




  




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2 コメント

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父親が引き上げてきて (fukurou)
2020-08-10 21:42:45
続強子の部屋様
こんばんは。
親父も伯父も戦争に行っていおました。
戦地から無事引き上げてきたからこそ、私が今あるのです。
小学校6年生の2月、交通事故で無くなるまで、戦争の話は一切しませんでした。
気難しい怖いオヤジだったことしか覚えていません。
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こんばんは (続強子の部屋)
2020-08-10 23:26:52
fukurouさま
お父さまも、伯父さまも戦地から無事復員なさったのですね。お二人とも辛い体験をなさったのでしょう。
お父さま若くしてお亡くなりになったのですね。
fukurouさまはご苦労なさいましたね。

あなたの自然に対する、優しいお気持ちはお父さま、
お母さまから受け継いたのでしょうか。
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